投げ松由来記
第34代舒明天皇(629〜641)は、熊野へ御幸の途次、藤白峠で王法の隆昌を祈念し、小松を谷底へ投げられた。
帰途、小松が根付いていたので、吉兆である、と喜ばれた。
以来、投げ松と呼ばれている。
筆捨松由来記
平安初期の仁和(885)のころ、絵師巨勢金岡は熊野への途次、藤白坂で童子と出会い競画をすることになり、金岡は松にウグイスを、童子は松にカラスの絵を描いた。
次に、金岡は童子の絵のカラスを、童子は金岡の絵のウグイスを、手を打って追うと、両方とも飛んでいった。
こんどは、童子がカラスを呼ぶと、どこからか飛んできて絵の中に収まった。
しかし、金岡のウグイスはついに帰らなかった。
金岡は「無念!」と筆を投げ捨てた。筆は「投げ松」のところへ落ちた。以来、筆捨松と呼ばれてきた。
童子は熊野権現の化身であった、といわれている。
(郷土史より)
元のページにかえる