2000年11月3日
しぇるぱぁに(よめさん)、しぇるぱ
山域:岡山

臥牛山、備中松山城

 

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高梁市街から牛臥山松山城址を広島に帰るのにどこか道草するところはないかな、岡山の高梁に備中松山城というのがあるよ、山城で、山の名前が牛臥山(間違い、臥牛山)。
面白そうね、そこに行こう。
地図のゼンリンの出版している雑誌で、季刊誌ラパンというのがあるのさ、秋号に山城ハイキングという特集があってな、これで目をつけていたのさ。
中国道と山陽道の中間に賀陽インター、ここから15分くらいかな、ほら、高梁市についたよ。
武家屋敷保存地区ほぉぉ、高梁の街は川沿いでそびえた山に挟まれて、落ち着いた街ね。ここへ車を停めるの。
高梁国際ホテル、コーヒーでも飲めば駐車OKだろう、さぁ、出発。
広い道をぶらぶら歩けば川に出たよ、両岸から洗い物に降りるよう石組みがしてあるね。
川沿いに曲がって踏み切りを渡るのね、このへんの寺は有名なようね。
この辺りでは有名なんだろ、由緒が書いてあるがローカルなところがええね。
大石内蔵助の腰掛け石このへんは武家屋敷の保存地区のようね。奥の家は改築しても、塀と門は昔ながらの風情を残してあるのねぇ。
うんと昔は山の上の城に通っていたようだよ、だんだんと通いがつらくなって、藩主もろとも下に降りてしまったんだってよ、御根小屋という政庁ができて、そこで藩政を司ったんだと、名は体を表す、ネをあげたんだね(^_-)
山が近づいた、バス停の名が登城口、このへんから入っていくんだろな、聞いてみようか。
歩いてお城に登るんですが、どこから入ればいいんでしょうか。
駐車場から登城道へ川沿いに行くと標識がありますがの、今はだぁれも行きませんで、道は草をかぶっとるんじゃないかのぅ。
どうもありがとう。これだこれだ、ここから城道の標識がある。
草なんてかぶってないじゃないの。広くて綺麗な道ね。
地元のひとはほとんど関心がないんだね。訪ねるのは他所のひとばかりなんだろ。
この石段、段差がきついね、大汗かいて登らにゃならんのね。誰かきた。
暑いのぉ、大石の腰掛け石を見とぅての、この道を降りたんよ、昔のお侍も大変じゃったのぉ。
切り立った石垣地元の方ですか。
いいや、わしらぁ遠くから来たんよ。
もろに地元じゃないか、そうか、そんなに大石内蔵助の腰掛け石とは有名なのか、あはは、ちゃんとベンチの状態になった石がある、これがそうなんだな。
なんのこと、大石内蔵助の腰掛け石とは。
赤穂城のお家断絶引渡しはよく知っているよね、ここではその逆、このお城がお家断絶で次の藩主が決まるまで赤穂の浅野家が預かっていたんだと、その事務引渡しに大石内蔵助が担当したんだとさ。
銃眼のある土塀大石内蔵助、下の御根小屋ではなく、毎日真面目に山上のお城に登ったんだってよ。その時、草臥れたぁ、と休んだのがこの石なんだと。
駐車場に出たよ、車ならここまで来れるんだ。
ここからは誰も歩かなきゃならんのさ。
石垣が出てきた、段々と廃城の雰囲気が出てきたわね、大和高取の廃城と似てるね。
おぉ、これはこれは、山上には石垣がそびえてるじゃないか。白塀が残ってる、丸と四角の銃眼がきれいに空いているね。
二層の天守閣やっと天守閣、ここで城は最高地点だね。
見渡すと、ぐるっと山が取り巻いてるね、その盆地のなかにこの山城があるんだ、こりゃ護るには難攻不落の城だね。
おぅい、時間じゃけ、閉めますよぉ、天守閣に入ってんなら早ぅ入ってやぁ。
ありがとう、時間がないからやめときまぁす。
今朝は出発が遅れたな、3時ころから登り始めたんだもの、今日は牛臥山(間違い、臥牛山)の頂上は無理だな、ここまでにしとこうか。
追記、訂正 m(_ _)m
牛臥山と書いていますが、それは大間違いです。正しくは、臥牛山。思い込みのまま、勢い任せに書いてしまったと反省しております。
備中松山城、臥牛山、大松山 ここに、今日のコースの続きを書いております。

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