2006年4月1日
しぇるぱ単独
山域:岡山県高梁市

備中松山城、臥牛山、大松山

 

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大久保峠から臥牛山を今日がわたしの誕生日、この歳になると、誕生日が来ても嬉しくもなんともないね。それでも、誕生日記念でどこかへ行動しようよ。
ええ日取りだから、中国四十九薬師の寺を巡り始めることにしようか。
岡山県は吉備中央町の大村寺、高梁市の薬師院を参拝しました。次は、当然、近所の山へ登らなきゃね。
2000年に松山城へ登っているんですよ。城から後ろの山にも登るつもりだったが、時間が無くて城から先には行けなかった。
ちょっと残念というか、宿題を残したままというか、ここはきっちり仕上げておかなきゃ気持ちが悪いよ。
その時のタイトルが、「牛臥山、備中松山城」、ぎゃ、うわぁ、大間違いしている、牛臥山と書いてある、
臥牛山がぎゅうざんが正しいのに。修正しとこう。
松山城ドライブウェイから高梁市街をえらい恥さらしだな、汚名返上というか、名誉挽回というか、もう一度登って、間違いの訂正をしとかなきゃならないな。
賀陽インターから降りて行くんだが、峠を越えて、一挙に川沿いの盆地へ降りて行く、ループ橋を通り、ぐるりぐるりと折れ曲がりながら街へ降りて行くんですよ。
高梁の市内は車で動きにくいよ。山と川に挟まれた盆地にぎゅうぎゅうに街が立て込んでいるんだからね。
JRの高梁駅を目指すんですよ。そこから北へ向かう。市役所、図書館を過ぎて、松山城への看板があるから、それに従えばええ。
えらい急な坂だな、ロー・セカンドで引っ張りまくらにゃならんな。
道の両側に、吉備国際大学のキャンパスが出てきた。真ん中を割って、進んで行かねばならない。
松山城の石垣ひと昔ふた昔前には、○○産業大学というのが流行ったんですよ。今は、○○国際大学というのが流行りものなんですねぇ。
萩国際大学は破綻して、民事再生法で再建ということになりました。これから10年のうちには、もっと倒産する大学が出てくることだろうね。
ということはなにかい、吉備国際大学は潰れる、と言いたいのかい。
いいや、潰れるとは言っていない、こんな坂道を毎日通うのかと嫌気がさして、受験生が集まらない、という事態にならなきゃええね、と言っているのですよ。
大学の峠を越えて、トンネルを突き抜けて、まだまだ坂道は続いて行くぞ。
土日祝日は通行止め、なんだ、なんだ、気になる看板が次々と出るじゃないか。
松山城、土塀と石垣はぁ、やっぱり、今日は土曜日だものな、城へ登る道にはガードマンが塞いでいるよ、駐車場へ誘導されて行く。
駐車場に車を止めて、シャトルバスで往復するシカケになっているのだそうな。
わたしは歩くよ。歩くために来たんだもの、なんぼ舗装路でも歩きますよ。
前に来た時は、遊歩道だった、あの道は歩き易かったなぁ。いかにも城の巡視路といった雰囲気だったものね。
自動車用の道は、無駄に折り返して、歩きには不向きだね。頭上高いところにガードレールが見える、やれやれ、大回りしなきゃならない。
ガードレール越しに、高梁の市街が見える、狭い街だね、新見も狭い街だった、盆地全部が家並みで埋まってしまっているよ。
備中松山城ここがふいご峠、平日ならここまで車で来れて、駐車すればよかったんだよ。今日はシャトルバスがここで折り返している。
なになに、遊歩道は石垣補修工事のため4月15日まで通行止め、しゃぁないな、保安路の舗装路を歩き続けるしかないね。
保安路とは?補修保全のトラックの道、消防自動車の進入路なんだがね。
保安路も尽きました。ここから先は石段を自分の脚で歩かなきゃならない。
大きな石垣だ、曲輪だよ。ここから松山城の心臓部なんですよ。その石垣の間をくぐって曲がって入るんだね。
白塀がある、○や□の銃眼がくりぬいてある、石垣はあちこちで見ているのでもう驚かないが、銃眼には心躍るね。
臥牛山、最高地点さて、天守閣の前まで来たよ。中に入る気にはなれないな。展示は鎧兜、太刀に馬の鞍、そんなもんだろう。
武具馬具武具馬具三武具馬具合わせて武具馬具六武具馬具ぶぐばぐぶぐばぐみぶぐばぐあわせてぶぐばぐむぶぐばぐ。はやくち言葉だよ。3回繰り返して言えますか。
焦点はここから先なんですよ。天守閣に沿って道は続く。天守閣の後ろが搦め手なんだね。下への道は消えて、もう密林化している。
土橋を渡って局面が変わる。土橋までは現存の松山城、そこから先には、古い松山城があった、看板を解釈すると、こういうことらしい。
古くは、山上深く城を構えていたが、時代が新しくなるにつれて、低い手前の山に城を移していったものだそうな。
新城の出城か出丸か、古城の砦・塞の遺構なのか、今となっては区別もつかない、要するに土の盛り上げ掘り込みしかないんですよ。
古城が大松山にあったという、その大松山を訪ねて標識を点検しながら歩いて行く、このあたりの最高地が大松山なんだろうな。
大松山、旧松山城址おおむね、このあたりがそうだろう。ここが大松山で、古城の松山城があったということなんだろう。
石組みは見当たらないが、掘ったり掻き揚げたりの土木工事の跡が判る、ここが古松山城で間違いなかろう。
真下に大きな吊り橋が見える、あれは何だろう。
中国自然歩道の看板が出て来ている、さては、自然歩道のために谷越えの吊り橋をわざわざ架けたんだ。
大切にしてくれてありがたいような、無駄遣いそのものだとなじりたいような、うぅむ、どっちの立場を取ろうか。
ケモノが渡るのを邪魔しているぞ、橋のタモトには鉄の網の箱がある、ドアが二つあって、ノブを回して扉を開けるのだ。ケモノはこんなことは出来んものね。
大松山から吊り橋が見える谷を越えて谷向こうに行って見たくなる、わざわざ吊り橋があるんだもの、しかも、谷向こうの山のほうが高く見えるから、つい、呼び寄せられてしまうよね。
何人かのひとに出会ったよ、この先に何があるんですか、何があるんでしょうね、ただなんとなくね、目当て無しかい、不思議なひとびとが多いね。
林道を歩いているうち、中国自然歩道の標識に出合ったよ、高みの方向へ誘導している、それに従ってみよう。
ははぁ、三角点だ、このあたり唯一の三角点だ。
今だから三角点を踏めるけど、タラの木がにょきにょきと生えてきている、来年再来年は、タラの棘が痛くて三角点の手前までしか行けないことだろうよ。
全般に、このあたりを臥牛山というのだそうな。山域の総称として、そう呼ぶんだね。
吊り橋の対岸に三角点大松山は古城の跡、引き返しながら看板の説明を読んでいると、現在の松山城は小松山に建っているものだそうな。
小松山はどこにあるかと、一生懸命に探したんだよ、そうと判って、だぁと肩のちからが抜けたよ。
松山城とは、大松山、小松山から由来しているのだねぇ。高梁城という名前を名乗らなかったのはどうしてなのだろうね。
ふいご峠まで戻ると、シャトルバスが待っている、ゆっくり歩こう、こいつは乗らないな、と見極めて、バスは発車した。
ええの、ええの、わたしは歩きを貫くの。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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