2011年10月24日
しぇるぱ単独
山域:広島県庄原市

比婆山古道を行く

 

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ここで駐車2011/06/23、中国新聞に、比婆山に古道が復活した。60年ぶりに昔の道が復活して、ふたたび通れるようになった、こんな記事がありました。
これは行かなきゃならないな、来週行こう、再来週行こう。ちょっと暑いな、また、今度にしよう。
ゆっくり構えていたら、バッドニュース、9月3日の台風12号の影響で、吾妻山国民休暇村へのアクセス道が崖崩れで崩壊した、ということです。
崩壊したのは、吾妻山国民休暇村への東の道で、西からの道は健在なようです。
周回するコースが途中でぶち切られてしまったなぁ。
ネットの登山状況を見ると、どんどん登っている。では、わたしも追っかけしようか。
庄原市比和から入って、吾妻山の麓で、西からの分岐に看板がある
比婆山古道、登山口まで通行できます。吾妻山は「久泉原」側へ迂回してください
看板をとっくりと眺めて、よし、このまま行こう。県道を進んでいるのだが、この先で県道分岐、県道は細い道になって熊野神社のほうへ分岐していく、太い道が市道で吾妻山へ続く道なのだ。
休業中のドルフィンバレースキー場がある。ここに誘導するための太い道なのだね。
比婆山古道登山口この先で道が細くなって、これより先 2.5km 路肩崩壊 通行止 と看板が出ている。概念地図があって、崩壊地と現在地の中間に比婆山古道登山口があると表現されている。
通行止なら車を入れてはまずいだろう。道幅の広いここに置くなら、路上駐車にはなるが赤キップは切られないだろうさ。
アスファルトの上をテクテクポコポコ、大きく折れ曲がった道を進むのだが、途中になんぼでも道のふくらみがあるじゃないか、先に車で走り抜けてから駐車場所を探せばよかったな。
後ろから吾妻山国民宿舎のマイクロバスが追い抜いて行く。へぇ、崖の崩壊はもう通れるようになったのかな。
ほどなくマイクロバスは引き返して行った。
登山口はもうすぐだ。あれぇ、登山口に何人も人数がいるよ。ははぁ、昨夜の宿泊客を登山口まで運んだのだ。先に出発したひとがいるかもしれないが、全部で5、6人というところかね。
みんな一緒のパーティーではないようだね、ふたりずつ、ふたりずつ、ばらばらに散らばって登り始める。
比婆山古道と大きな石碑が立ててある。最初の新聞でのニュースの時にはこの石碑の写真はなかった。新聞ニュース以降に建てた石碑なんだね。
ばらばらとばらばらの中間に混じって登り始める。
最初は植林の中、杉の枯れ葉が積もっていて、踏み締めてもふかふかで気持ちがええよ。
植林とブナ林の境界谷に沿う道から山腹の道、尾根へ出て、そうか、支尾根を登る道を行くのか。
植林が尽きて、自然林に入っていく。
道は、直進と横道と二つあるが、横道は植林の作業道だろう。どっちにもピンクのテープがあるので紛らわしいが、たいていのひとが直進を選ぶと思うよ。
さて、このピンクのテープ、本来は森林組合で売っていて、作業段取りを示すものなんですよ。
登山者がそれを利用して標識に使うので、作業段取りなのかコース標識なのか、区別がつかない、それで混乱するんですよ。
このあたりのブナ林は黄葉まっさかりで、今日は曇り空なのが残念に思うよ、日光がふりそそげば黄葉がどんなに輝いていることか。
涸れ沢を渡る。水の流れていない岩の上なんですよ。岩の下では水が流れていて、しょろしょろと流水の音が聞こえる。
尾根道をたどって、もう一回、涸れ沢を渡る。水琴窟て知っていますか。そんな感じ。ちょろちょろちょろ、ぼんぼんぼん。
ここが登山路の大曲り地点、普通なら尾根へ突き抜けると思うでしょ。この杣道は尾根直下を尾根と平行に進んで行くんだよ。
尾根を行かないのは何か作業上の不都合があるんだろうね。荷物を背負っていて風に煽られるとか、雪庇を踏み抜くとか、それを避ける杣人の知恵がこもっているのだろうね。
便所か作業小屋かその点、登山者は単純だよね。尾根道がええのだ、展望が一番開けるのは尾根道なのに、何で尾根の直下を行くんだろう、とこのように考えるんだよね。
尾根を越えて谷の頭を渡っていく、もうひとつ谷の頭を渡って、次の尾根でやっと稜線の方向を目指す。ほんとに稜線を避けて避けて杣道を作ってあるよねぇ。
古い作業小屋が立ち腐れになって残っている。壁はブロック造りで、屋根は朽ち果てている。
某ブログには、便所だと書いてある。なるほどなぁ、便所と言われるとそのようにも見えるね。
次の谷の頭が最後で、古い道標が見えている。道標には太鼓岩と記してある。写真を拡大したから読めるので、肉眼ではとうてい読み取れません。
太鼓岩とあるが、三角のおむすび様で、これを太鼓と見立てるかねぇ。どう見ても太鼓には見えないよ。太鼓岩の前には祠が鎮座してある
太鼓岩とは言葉が遷移したのではなかろうか、もともとは太古岩と言った、これは当たっていると思うよ。
太古からある岩で、何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる、要するに、 なんかええな、感じるものがあるね、そういう岩なんじゃなかろうか。
この先に、産子の岩戸があるのだそうな。
全景がこの姿、接近すると、うへぇ、これはまさしく産子の岩戸だ。おまんちゃんそっくりじゃないか。
太鼓岩イザナミ、イザナギの愛と憎しみの神話はこの岩からストーリーが膨らんだのだろうね。
あなにやしあらすてきえをとこええ男あなにやしべっぴんさんえをとめええ乙女、そこで、みとのまぐはひに誘われるわけです。
国産みの神話を思い出してちょうだい、ここからぼろぼろと、国土が、神々が生まれてくるんですよ。
神話のストーリーがあったから、産子の岩戸はここだと指定した。そうではないでしょう。岩がそっくり過ぎているから、連想が湧いて、次々と神話のストーリーを紡ぎ出してきたんでしょう。
引き返して、比婆山のメインコースの上に出た。ここは比婆山御陵から一段下がった境内の庭地のようなところだね。
進むと、鎖で閉ざされている御陵の聖地がこの中にある。イザナミをこの地比婆山に埋葬した、そういう神話伝説があるんですよ。
御陵というと皇室の関連なのかい?とんでもない、皇室誕生以前の神話伝説の時代なのだよ。高天原からイザナギ、イザナミの国土創生プロジェクトチームが派遣されたと考えてちょうだい。
さて、帰ろうかね。
比婆山頂上には比婆山古道に関する道標などはありません。逆コースで進もうとするなら情報不足になるのは承知しといてね。
太鼓岩に戻って行く、双子の大杉があって、太鼓岩への道標がある。そこが比婆山古道への分岐点なんですよ。もちろん、比婆山古道などの案内はない、きっぱりと、ない。
産子の岩戸吾妻山が梢越しに見えている。葉の茂る春から夏にかけては葉が邪魔で見えないね。秋から冬だからこそ見えるのだ。
そこから進むと谷の頭にいるわけです。谷底へ向かうテープの列がひとつ、稜線と並行するテープの列がひとつ。
谷底から登ったのではないよな。稜線と並行するコースを歩いたよな。
比婆山から古道を下りて行こうとするひとは悩むでしょうね。どっちを行ったらええんだろう。
トイレだか、作業小屋だか、それが道の脇にあったらその道が正しい。なんぼ歩いても出会わなかったら、その道は間違っています。
谷の頭をひとつふたつ、横切ったら涸れ沢があって、そこからは一挙に下りの道に変わります。
当地では、ハイマツによく似ているするのがモミノキです。イチイとも言う。ツガとも言う。
こいつは直立せずに横へ横へと延びて邪魔をするのだ。大木に成長するまでには前史があって、横に這う幼樹時代があるのですよ。
古道を通れるようにするには、このハイマツ状の木を切らなきゃならない。スパリと根元から切り損ねて幹が残るのだよね。
けっこう、この、幹というか、跳ね枝というか、長めの切り株が足に邪魔なんですよ。
比婆山御陵数年すれば、涸れて朽ちて邪魔にはならないのだろうが、手入れ再開初年度だもの、絡みつく、蹴つまづく、これはしょうがないことだよね。
自然林から植林に変わるポイントまで戻ってきた。
山の頂上はね、神様の領域なんですよ。神様の領域には手を触れなかった、伐採しなかった。ここが神と人との境界なんですよ。
ここは宗教性の強い山だから、神への恐れがまだ残っているが、神が押しやられて、ほんの頂上部だけが伐採を免れた山はなんぼでもあります。むしろ、そっちが大多数だと思うよ。
植林地の道は手入れが入った道だから歩きやすい。杉の落ち葉が積もって、ふかふかして歩くのに膝に優しい。
道が光って見えていて、登山口まで降りてきた。
いったい、この先のどこで道が崩壊しているんだろう。これは追及しなきゃならないな。
これより先1km路肩崩壊通行止とある。行ってみようか。
歩き始めてから後悔した、なにも歩かなくてもええじゃないか、車で行けるところまで行けばええじゃないか。そうだね、もっともな反省だね。
比婆山と吾妻山の中間に大膳原がある。地図では南北に道がある。北への道は通じているのは知っている。南への道はどうだろう。
登山口に戻った舗装路を歩きながら観察する。水の流れはあるが、道のようなものは見当たらないぞ。地図に道は書いてあるが、あれはもう廃道なのだろう。
こういうことを確認しながら歩いて行くのだよ。
大きくカーブした地点で振り返ると、比婆山の全景が見えている。比婆山は全体がブナ林なんだが、御陵のところだけ杉が生えている。杉を目当てに御陵を探すのだよ。
ここが崩壊箇所、ほんまだ、そっくり全部崩れてしまっている。
下からブロックを築き上げる工法は高くつくね。道路工事するなら山腹側をえぐって山側を掘り込んだ道にするだろうな。
ただし、ここは市道、庄原市単独で施工しなきゃならない。予算を捻り出すのに苦労するだろうね。国民休暇村への道は西からの道が確保されているのだ。工事しないのも選択肢のひとつだろうね。
道路は崩れているが、側溝は残っている。その側溝を伝わって歩いた跡が見えている。
通行禁止とはなっているが、登山者はそんなものは無視して歩くよね。そりゃぁ、山の中にはこれ以上の危険個所があるんだもの、この程度なら屁でもないと歩くさ。
あのね、歩くのを奨励しているのじゃありませんよ、歩いた形跡があるねと観察の結果を述べているのですよ。
さぁ、戻ろう。登山口まで引き返そう。
崩壊地登山口から車を駐車した場所まで戻って行こう。
実はねぇ、今日はGPSの電波の把握が怪しいのですよ。
歩き始めから登山口までとんでもないところを歩いているように記録している。崩壊箇所の近くから歩き始めていることになっている。
登山口からは正常なんですよ。
幸い、今日は単純な往復のコースだ。帰りのコースの位置関係を、朝のコースにコピーして、時間軸はそのままに生かしておくことは簡単なことだよね。
方針は簡単だけど、手間は大変なんですよ。
朝のポイント数が午後の3/2倍、ポイント数を1/3に減らして、結果、ざっと120ポイントに午後の数値を置き換え入れ替えする作業、全部やりました。何時間もかかるうんざりする作業でした。
GPSが不思議な軌跡を描くことをそのまま表現してはダメですよ。補正できるひとは補正しなくちゃ。出来ないひとは、がんばってね、補正修正できるように段取りを理解しなくちゃね。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります



カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。
でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます


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