2010年5月6日
しぇるぱ単独
山域:広島市安佐北区

参道の山、可部の福王寺山

 

画像をクリックするとそのままそこだけ拡大表示されます
Microsoft Edge のユーザーは、画像・テキストにちょっと触れてください、その効果で、ポップアップページは消えます
Internet Explorer Google Chrome Mozilla Firefox のユーザーは何もしなくてもポップアップページは消えて行きます

 

石標、左福王寺道可部の福王寺山、この山は前々から登ろうと狙っていました。
何度か、山の周囲の道を巡って観察するに、駐車する場所がない山だなぁ。どこに止めればええのだろう。
考えていても進まない、現地に行けばなんとかなるさ。
国道54号線のバイパスを進んでおります。南原峡への道と交差するあたり、このへんでなんとかならないかしら。
ここいらは道が狭くて、道の膨らんだ箇所なんかないぞ。バイパスまで引き返そう。あ、ええとこ見つけた。
可部バイパスの南原トンネルと可部トンネルに挟まれた部分、県道253号線、南原峡へ行く道と交差するところ、新町屋橋に隣接して、もう使っていない、塞がった道があります。ここなら苦情も出ないだろう。
あのね、カシミールの地図ではまだバイパスが表現されていない、Google Map には表現してあります。下のリンクを辿って確認してね。
バイパスを横断して、南原峡への道を進む。
石州街道の一里塚の名残りがある。枯れてしまったがここに一里塚の松があったんだよ、と残念の案内がある。
石灯籠ここからわずかのところに、ピカピカどろ団子の看板があって、左福王寺参道、と石の案内がある。
交通事故に遭ったとみえて、折れたところをセメントで接着してある。
どんどん山裾に近づいて、石灯籠が山道の両側に並んでいる。
石灯籠の足元に左福王寺道と石標がある、ここから入って行くのだ。
山への登り道のように見えるが、そうではなくて、谷沿いの道を辿るのです。
再び、民家が現れて、農家じゃないね、どこの家も一般家庭だね。開発が進んで農地が宅地化したものだね。
ええと、ここはどう歩けばええのだろう。
なんにも案内がないので、当然のように、道を上へ上へと進んで行きます。
民家が尽きて、資材倉庫があったり、土砂取りの現場があったりで、どうも自然の中というより、開発途中といった感じだね。
道は行き止まりで、細い山道が続いている。
林道の終点尾根を乗り越えると、別の道が下から来ている。ベンチがあって、ちょっと休憩、と誘惑している。
途中で薄々気がついてはいたのですよ。
つもりでは、真っ直ぐ西向きに登る予定だった。意に反して、南から登る尾根に取り付いてしまったのだ。
このコースは帰りの道に使おうと思っていたのだが、まぁ、ええさ、順番が逆で、登りに使っても構やしないさ。
丁石がある。十六丁と刻んである。登るにつれて、段々とカウントダウンして行くのだよ。
この丁石がどこから始まるのかは知らない、判らない。ここの下の街は駐車できる場所がありそうもないので、探索するつもりもないのだがね。
舗装の車道に出てきた。展望台も設置されている。
展望台のてっぺんからは可部の市街地が見えている。高松山が見えて、その背後に白木山が見えている。
正しくは、高松山の真後ろが白木山の頂上ではなくて、白木山の頂上はすこし東にあるのだがね。
展望台車道は大きく曲がっていて、山道は尾根の上を行くようになっている。この尾根道も広島県自然歩道となっている。
自然歩道は1970年代に始まって、今に至るのだが、もう当時の熱気は冷めているように思えます。
既に30年、40年は経過しているんだもの、道標は紛失し、開発されて道はずたずたになっている。
東海自然歩道はガイドブックがあるが、他の自然歩道にはガイドブックがなく、情報を集めるのに難儀するよね。
歩いているうち、偶然、自然歩道に出会うことが多い。それをつなぎ合わせて、自分なりのデータベースを構築しなさいよ、ということなのかもしれないね。
丁石は順番に続いております。観音坂参道入口と石標がある。この下から来る道を観音坂というのかい。
階段を下りて、車道と合流する。車道の終点で駐車場になっているのだね。
看板に、真言宗金亀山福王寺、金仙の亀と案内があって、寺発祥の縁起のええ亀なのだそうな。
住職の車庫があって、ここからは住職といえども坂道を歩いて登らねばならない。
車道はここまで山腹を横歩きする道に変わって、道の分岐、南原(可部バイパス)と案内がある。
一丁の丁石まで到着した。たいてい、一丁標石は山門の前にあるもんだが、まだこの先が続いていそうだよ。
屏風のように大岩が連なっている。尾根が風雨に洗われて大岩が露出しているのだ。
尾根を迂回して大岩の裏側に回って行く、尾根のページをめくるような感じで、山門が見えてくる。
自然の障壁を山門の手前のガードに見立てたんだね。
仁王が守護する山門を潜れば、石段がそびえて、本堂の屋根が見えている。
石段を登れば、うわぁ、本堂が大きい。
大屋根と下屋根の間に大斗と肘木、木組みを露わにして荘厳を増している。大屋根の下に裳裾の屋根をめぐらしている。
こんな山の中に巨大建築があろうとは、想像もしなかった。
大師堂、阿弥陀堂、客殿、寺務所、他にも伽藍お堂があって、ただごとじゃない構成になっております。
仁王門誰が創建したのか、誰の保護を受けたのか、現在の檀家信徒が支える仕組みはどうなのか、歴代のマネジメントの腕前が優れていたのだろうね。
里や平地に巨大寺院があるのは驚かないよ、こんな山の中でどうやって建築したのか、参詣者の道を確保するにはどのように手を尽くしたのか。
寺の案内図をとっくりと眺める、ガイドブックを事前に読むのをさぼっておりました、これからどう歩くかを検討する。
大師堂と本堂を繋ぐ渡り廊下の下を抜けて、歩いて行けば、金亀池、寺の起源に関わる瑞祥の池なんですね。
池を半周して、尾根の方向へ進む。お山めぐりの標識があって、四国八十八箇所のレプリカが並んでいる。
進むうち、もっとええ道と合流して、さらに進んでいくと、朽ちそうな鳥居があって、扁額には、三鬼大権現とある
しばらくは水平な尾根が続いて、一挙に傾斜が増して山の上へ登って行く。
山上には、お堂があって三鬼堂、これは拝殿、後ろへ回ると、本殿の屋根が風に飛ばされて哀れな姿になっている。
三鬼大権現、三鬼堂、三鬼の信仰は宮島広島周辺での信仰のようで、この地に限られた信仰なんですね。
福王寺本堂ここの三鬼堂は、おそらく、東限、北限のお堂で、三鬼信仰もこの地までなのじゃなかろうかね。
地図と照合するに、三角点はどこにあるのだろうか。
三鬼堂の周辺には見当たらない。尾根道を先に進んでみるに、傾斜が下がってくるのでこの先に行ってもしょうがない。
家に帰って、GPSの軌跡をパソコンにダウンロードしてみると、三角点はもっと先にあるのだった。
途中で見切りをつけたが、さらにその先に進むべきだったのだ。まぁ、ええわ、次回の宿題に残しておこう。
引き返して、さっきの分岐、道標の案内はないが、こっちに進むと本堂の反対側に出るはずだよ。
うわ、異様な風景、杉の樹が幹だけ残して林立している。
酸性雨のせいだろうか。いや、そうではない、幹が黒焦げに焦げている、山火事の跡なのだ。
樹の幹の間から可部の市街地が透けて見える
火事の焼け跡で道が分岐しているが、どっちを進んでもええみたい。
三鬼堂わたしは尾根を越える道を選んだが、この道は秋葉権現堂から阿弥陀堂の前へと進む道だった。
火事現場を下へ降りる道もあるが、その道はたぶん寺務所の裏側に出る道だと思うよ。
本堂の前から、さぁ、下りましょう。
山門を潜って、分岐のところまで戻って、分岐の案内には、南原(可部バイパス)、そっちに進めば戻れるはずだよ。
えらくジグザグの道で、切り返し、折り返し、しながら進んで行く。
道端に石標があるのだが、最初は気にも留めなかった、気がつくと、あれれ、丁石じゃないか。
この丁石、下りるに従ってカウントダウンしているのですよ。普通、登りながらカウントダウンするもんだろう。
道幅は広い。驚くのは、道路に直角に溝切りをしてあって、雨水を逃がしてあるんですよ。
溝切りの数がただごとじゃない。深く溝を浚って、数メートル置きにあるんですよ。
山道のメンテナンス、この作業は住職がしているのか、檀家の奉仕なのか、溝切りが施してあるので、道は雨に崩れることなく健在なのですよ。
南原参道の分岐一丁の丁石のところまで出てきた。この先に民家が見えている。
ははぁ、道の分岐はここなのか。墓地の前で、石標に仁王門迄□□、□□は読めない。
朝来た道で、谷沿いに進んで舗装路に出た、ここで左の道を選んでしまったのだ。右に進めば石標があったのだ。
そういうことかい、ここで間違ったのだ、と納得しながら谷沿いの道を進む。
石灯籠が並ぶ入口まで戻って、あとは道沿いに駐車場所まで戻るだけだよね。
福王寺山の姿が見えるのは、バイパスの南原トンネルの手前、ここからなら正面に見えている、あそこに福王寺があるのだよ

 

OS,プラウザの種類、ヴァージョンによっては、JavaScriptErrorと宣告され、表示されない場合があります。
その時は下の文字、数字をクリックしてみてください。
1 2 3 4 5 6 7 8 9





詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。
でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます


前ページへ

あちこちの山へかえる

トップページへかえる

 囲炉裏へリンク