2017年6月5日
しぇるぱ単独
山域:広島県竹原市

竹原市の城山じょうやまと木村城址は無関係

 

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竹原に、小早川家発足の城として、木村城址があると知りました。その城に隣接して城山があるのを地図で見つけました。
当然、木村城址と城山は密接な関係があると思い込みますよね。城山は地図のどこにあるかは分かっている。木村城址がどこにあるかは未確認のまま、まずは現地に行ってみようじゃないか。
竹原の北の郊外、ここに木村城址の立て看板がある。この奥のどこかにあるのだろうと、そこは未解決のまま出発します。
東野中央橋まで歩いてくる。橋の向こう岸まで歩いて、振り返る。農協の共済の看板がある建物の背後に峰が聳えている。これが296峰なのかと確認する。まず、あの山に登るのだ。
農協の共済の看板がある建物、昔々は農協の支店だったが、今は閉鎖されているのだ。建物の横に空き地がある。朝市駐車場と書いてある。
そこから奥を覗き込むと、ようこそ城山へ城山を愛する会との看板が見えている。この山際から登山道が始まるのだ。
道の草刈をしてあるが、これは登山道の草刈ではない、畑の持ち主が草刈して自分の為に刈り込んであるのだ。
おばちゃんが畑の草取りをしている。こんにちわぁ、ここから城山しろやまに登ればええのですね。
城山しろやまとは呼ばん、城山じょうやまと言うんですよ。気ぃ付けて行きんさいの。
なるほど、城山は難しいね。しろやまと読むこともある、じょうざんとよむこともある、ここではじょうやまと読むのかい。
城山登山道城山を愛する会の看板がこの先あちこちで見えている。
ここが火葬場跡、瓦のカケラがあるが、建物は撤去されているのだ。
笹の中に道があるような、埋もれているような。こっちが旧道だろうね。はっきりした確かな道がこの先に続いている。平成ノ新道と案内がある。ガラガラの石を踏んで歩き難い道だね。
何度も折れ曲がって、ここで旧道と新道が合流したような気配がある。旧道は草の中に埋没したみたいだね。痕跡が見える程度だね。
山抜けを起こしたみたいだよ。一気に斜面が崩れて道が分断されたことがあるみたい。木が押し流されてそれ以来育っていない。道は石ころだらけで土砂が流出している。
中間地点470mと案内がある。最初は標高の案内かと思っていたんですよ。次々と数字が増えて行くので、ははぁ、距離の表示だなと判ってくる。
再び火葬場跡、もっと昔々はここが焼き場だったのだ。ここまで棺を担いで登ってくるのは大変だったと思うよ。
集落から離れたところで焼きたいから、昔々はこんな山の上に火葬場を作ったのだろう。担ぎ上げるのが辛いから、もっと下に火葬場を移したのだろう。
いくら地区の火葬場があっても、集落の持ち寄りで遺体を焼くのは負担だから、公共の火葬場が出来ると、集落の共同作業で火葬するのから解放された。こんな経過があったのだろうね。
あれ、電線が山の上に延びている。アンテナが設置されている。下の案内ではテレビ塔ということだった。
これはテレビの共同視聴アンテナではないね。防災無線とか警察無線とか、密かにしておきたい、名乗りたくない役所の無線アンテナだと思うよ。どこにも標示がないのですよ。
その先で、296峰に到着する。樹にハシゴが架けてあるが、もっと展望を求めてのことだろうね。
展望を求めて、木々が伐採してあって、朝日山が見えている、眼下には竹原の市街が見えている、北を見ると、広島空港の滑走路、その延長の赤い航空標識のハシゴの構造物が見えている。。
ここから城山に登るのだが、城山の西のコブに到着する。後でわかったこと、このポイントは重要かもしれない。ここから道があるかもしれない。ただし、未検証です。
そのまま歩いて、城山じょうやまの三角点に到着した。とりあえず弁当にしよう。
ここまでは道がある。この先に道はあるような、ないような。
城山と名前があるからには、この近所に木村城址があると思い込んでいたのですよ。山を下りて行けばどこかで木村城址に当たるのだろう。
尾根をどんどん降りて行く。このまま下るのではないかもしれない、ここで右に曲がってみよう。こっちへ行けば下の道の峠に出会うはずだから。
竹やぶのなかに道は続く。竹が倒れて道を塞いでいる。一本づつ竹を跨いで越えて行くのは面倒だな。この道は諦めよう。引き返そう。
耕作放棄のたんぼがあって、たんぼの向こうに道があるような。たんぼに踏み込むと、えらい湿田で、場所を選んで足を下ろさないとめり込んでしまう。草の株を踏んで、やっとのことで湿田を抜け出した。
道までやっと脱出したぜ。湿田の中にはヒヅメの足跡がなんぼでもあって、シカなのか、イノシシなのか、獣の世界と同居していたのだ。
せっかく道に出たのだが、幅広の舗装路は狭くなり、舗装もなくなり、杣道に変わっていく。
はっきりと道があるからには、このまま進めばなんとかなるだろう。
赤いテープが出現して来た。下り道にもたんぼからの道にも赤いテープなどなかったのに、ここで登山者の痕跡が残っているとは。
さては、こういうことだ。この尾根の上で、このまま尾根を下るのを嫌がって峠の方向へ道を変えたのだ。曲がらずに、そのポイントから尾根を下ると、ここの赤いテープのところに出てくるのだ。
この先にも赤いテープが続いているから、意を強くして進んで行く。
GPSの画面を見ていると、城山の北の山腹を歩いている。このまま進んでええのだろうか。道を離れて尾根を下ることに変更する。
尾根は谷に降りて、谷の周囲は小さな竹が密集して歩けない。谷の流れの中を行こう。幸いちょろちょろ水で、深いトロ場などないことだし、石と砂を踏んで歩くしか足を踏み入れる選択肢がないのだ。
抜け出した。耕地があって、獣を防ぐ柵が取り巻いている。右を探り、左を探り、右の方向へ歩いて行く。
民家の前で、柵が解放されている。よかった、柵を越えるにはどうしようかと悩んでいたのだ。民家の庭先で柵が解放されていて助かった。
おばちゃんがいて、聞いてみると、木村城址はすぐそこなのだそうな。城山と木村城址、全然関係ない、あっちとこっちはばらばらで、結び付ける道などありゃぁせんよ、ということだった。
ついこの間、警察が来たのだそうな。山の中で迷った人がいて、捜索に来たのだそうな。そりゃ迷うわな。里から近いのに深山の様相を呈しているもの。
セメント道がアスファルトの舗装路に変わる。
なるほど、木村城跡の案内がある。案内によると、三原の小早川家の最初はここから始まるのだそうな。毛利家は高山城・新高山城の小早川家を簒奪したが、竹原の小早川家のことは相手にもしなかったのかも。
舗装路をとんとんと下りて、登山口から木村城址を見上げる。歩き始める時、木村城址はどこなんだろうと判らなかったが、すぐそこにあるとは思いもしなかった。
一にも二にも、城山という名前、木村城址という名前、名前を聞くといかにも隣接して密接な関係があると思うじゃないですか。現実はそんなに近くはないよ。はるかに遠いよ。
次は、木村城址に登って、城址から先に延びる道があるかを確認することなんだが、道はないだろうなぁ、あったとしても、その探索は地元の人に任せます。
今日は尾根道に進路を転じたが、山腹をめぐる道はそこからまだ続いて延びていた。城山の西のコブから木村城址への尾根道と出会うのじゃなかろうか。これ、未検証。
その尾根道と出会えば、西のコブに向かうのか、木村城址に向かうのか、道があるのかどうか。そこの探索は誰かにバトンタッチすることにします。
そうそう、これは言っておかねばならない。登山口から城山の頂上までがハイキングの範囲です。そこから先は、踏み込まない方がええ。敢えて行くなら、そこは自己責任。リスクが多いよ。簡単なコースではないよ。
 
農協の建物 火葬場跡 さらにその上の火葬場跡 通信鉄塔
296峰から竹原市街を 城山三角点 麓の道 赤いテープ
山腹道を離れて尾根道へ 山を抜け出してイノシシ柵 民家がある ここから木村城跡へ

 

詳細地図、地図上のどこで撮った写真なのか解ります

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