2007年1月30日
しぇるぱ単独
山域:広島県安芸高田市

郡山城跡から高小屋山

 

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軽トラに原付を乗せてちょっと今日は距離があるんですよ。
出発地と到着地が離れている、そんな時は自転車を使うことにしているが、今日は、国道を戻らなきゃならない、峠を越えなきゃならない、トンネルがある、これでは自転車は使いにくいね。
バイクにしよう、原付で行こう。荷台に積み込まなきゃならないから、乗用車では無理だ、軽トラで行こう。
ここが山越えして到着地の集落、安芸高田市甲田町の田口集落、ここへ原付をデポしておこう。
軽トラはずんずん進んで、安芸高田市の吉田町、ショッピングセンター
YOUMEゆめタウンの駐車場へ置かせてもらおう。帰りには買い物をするからね、かんにん。
眼の前が郡山なんだが、登山口はどこにあるんだろう。
昨日、ざっとネットで眺めて、西側から入るのだと記憶にある、そっちの方向へ動いて行こう。
毛利元就墓所大きな交通標識がある、郡山城跡、毛利元就墓所、その他いろいろ、ここから入って行くのだな。曲がれば歴史民俗資料館、ごめん、パス。
司馬遼太郎の石碑がある、味がある筆跡だね、へたに近いところが親しみがわくね。
なにやら案内がある、去年の台風で崖崩れがあり、東回りのコースは工事中通行止め、わかりました、西回りの道を行きます。
舗装路はぐるっと半円を描いて遠回りするが、治水工事の護岸沿いの道を行こうよ、円を串刺しにショートカットの道だものね。
ここで道が別れる、東への道は通れない可能性があるから西へ進もう、毛利元就の墓所の方向だね。
道端の杭が様々で面白いよ、毛利家、史跡境界、文部省、いろんな関係者が管理してるのがよくわかるね。
この奥が毛利元就の墓、鳥居を潜って石段を登って、直角に曲がったところに一族の墓所がある。
郡山城本丸跡広島へ、山口へ、萩へ、本拠地を移して行ったのだが、本貫の墳墓を守るには、なかなか苦労があったことだろうね。
あろうことか、参道の途中に、民間の墓地があるのですよ。いつの時代からかわからないが、と看板に書いてある。あっと気が付くと、お殿様、民草に墓所を侵食されてしまっているんですよ。
道は反転して、墓所の上の尾根道を進んで行く。
道は公園の道のようで、手入れをじゅうぶんに施してある。
御蔵屋敷跡、二の丸跡を経て、本丸跡に到着。複合施設のようで、広い敷地の本丸と、一段と高いが狭い敷地も本丸とある。
ここが最高地点だが、この北側には下りる道がない。東へ進んで道を探そう。
三の丸跡、厩の段跡、ここで矢印があいまいな方向を示しているので迷う、道が消えたよ。引き返そう、ちゃんとした道があるはずだ。
羽子の丸跡から高小屋山をありました、三の丸・本丸の裏側をえぐる道があって、釜屋の段跡、ここから北へ突き出す尾根へ進みたいのですよ。
掘割があって道が横切っている、掘割を越えてなお進む。ここからはぐんと道の手入れが悪くなります。終点が羽子の丸跡。
この先に広島県自然歩道があるだろうと見当をつけて来たのだが、外れたね、この先には道がない。
ここからは、これから進む四軒家、妻坂峠、高小屋山の方向が見える。北の方向の見張りを担当する砦の役割だったのだそうな。
引き返して、さっきの掘割、そこに道があったよな。
南に進む道は違うような気がするぞ。北に進む道のほうが正解だと思うよ。昔々の仕事道でまだまだ役目を果たしているよ。
山抜けで道が崩壊しているが、なんとか道の続きをたぐりよせる、この方向に道があるだろう、ちゃんとあります、見つかるもんです。
外堀集落から妻坂峠を峠になったので東への斜面を下る、湿地帯へ入ってしまうぞ。放棄したたんぼ跡らしい。
山靴の跡は見えないね、ひづめの跡ばっかりだ。そのひづめの跡が斜面を滑っているんだもの、この湿地帯をどう抜け出そうか。
あれ、道が見える。斜面を駆け上って舗装路に出た。そうかぁ、さっきの峠は、あのまんま進めばよかったのだ。しなくてもええ余計な苦労をしてしまったよ。
舗装路が集落に近づく、外堀だの内堀だの、そんな名前の集落で、城の外周にふさわしいぞ。
国道54号線に合流したよ。しばらくは国道を歩かなきゃならない。歩道はあるんだが、トラックの風圧によろけながら進んで行くのだよ。
ここが四軒家、ここで妻坂峠という標識を見たんですよ。何度も通りすがりに眺めているうち、この道は通れるんじゃないか、と歩く候補に繰り入れたわけです。
いつかは歩くぞ、の予定は今実行されているわけです。集落を抜けて、平原山神社、ここで道が二分するが、地図では右へ進むべきなのだな。
四軒家、ここが妻坂峠への分岐道はひたすら真っ直ぐに進む、国有林なのだそうな、タイヤが接する地面だけが舗装してあったり、なかなか合理化の経営を図っているね。
地道だったり、舗装路だったり、今度は地道が続くのだろう。なおなお真っ直ぐの道なんだよ。ため池がある。これは変化だね。でも、やはり、この次も真っ直ぐの道。
到着しました、妻坂峠。ここまで、この先、広島県自然歩道なんだが、あんまり自然歩道の標識などは無いよねぇ。
とりわけ郡山城跡界隈は、自分で探査しなさい、頑張りなさい、入口も出口も教えないから好きなように歩きなさい、徹底してるよねぇ。
広島県では、自然歩道は誕生はさせたが、維持管理はする気がないみたいだねぇ。
苦情が来ないから何もしないのだろうか。ということは、広島県のハイカーの人数が少ないからだ、あるいは、少ないわけでもないが自然歩道に魅力を感じていないからだ。
ここから高小屋山へ向かうつもりなんだが、風倒木が累々と重なっていて、どこから入ればええのだろう。
妻坂峠歩き易いところから歩き易いところ、選んで歩いて、どうやら昔道に乗ったようだぞ。
この尾根は、旧甲田町と旧吉田町の境界なんですよ。杭が尾根沿いに続いて見える。
国土調査の杭があるが、この社名はあちこちでよく見る。自治体からの請負なのだろうか、山主の依頼なのだろうか。
木の叉に大きな石を挟んである、こっちでは、三本の木の間に石を詰め込んで盛り上げてある。なんちゅう悪戯をしとるんじゃろう。
帰り道でわかった、尾根の分岐だった、こっち、という指示がめっちゃユニークな方法でしてあったのだ。
尾根の盛り上がったところ、まだここは最高峰ではない、弓形に稜線は曲がって進んで、ここが一番高い場所だろう。
ここが高小屋山、三角点が埋めてある。木札などが架かっていて、ちゃんと訪問者はいるのだ、見捨てられている山ではないのだ。
高小屋山三角点稜線を引き返して妻坂峠へ、ここの稜線は判りやすい、丹念に稜線そのままに道になっているので安心して歩ける。
妻坂峠からすぐ北に、水が湧いていてケモノのヌタバになっている。泥にまみれてダニを落とすのだろうが、落ちたダニがそのへんにうようよいるんじゃなかろうか。
いないけどね。
この道も真っ直ぐだよ。地図を見てほしいのですよ、ほら、登り道、下り道、一直線だよ。
さっき、自然歩道に道標がないと悪態をついたがね、今度は誉めてあげます。道の草刈が行き届いている。登りも下りも草で苦労するようなことがない。
同じ風景で飽きてしまったな、砂防ダムの工事道と重なって、道が広幅になった、変化したでしょ、でも道が一直線なのは変わらないよ。
舗装路になって、集落が見えるようになってきた。
田口集落は近いデポしておいた原付のところまで帰ったぞ。
風を切って走るのだから着膨れしよう。ザックを背負ってパタパタ走るのだが、そんなに変には見えないぞ。
国道を走るのだもの、原付の規制速度で走っていたら余計に危ない、追い越しのトラックの風圧にあおられながら、もとの駐車場へと走っていくよ。
さて、戻りました。アユミを架けて、軽トラの荷台に原付を押し上げなきゃ。暴れないようにロープ掛けも左右から均等に引っ張らなきゃね。
さぁ、我が家目指して帰るとしようか。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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