2007年2月19日
しぇるぱ単独
山域:広島県庄原市

国広山と上帝釈峡

 

画像をクリックするとそのままそこだけ拡大表示されます
Microsoft Edge のユーザーは、画像・テキストにちょっと触れてください、その効果で、ポップアップページは消えます
Internet Explorer Google Chrome Mozilla Firefox のユーザーは何もしなくてもポップアップページは消えて行きます

 

寺の門前に駐車前回の四天蓋山で、梢越しに見えたのですが、あれはアンテナではなかろうか。次は、あそこに行ってみよう。
地図を開いて、探してみると、国広山というのがそうらしい。放送アンテナでネット検索すると、国広山は一覧表に入っている。
庄原を越えて、県道23号線を東城への道へ、日本ピラミッド、葦嶽山への分岐を見送って、中山峠を越えて、東城区域へ入りました。
中国道の高速バスで、バス停帝釈峡がある。ここの分岐から高速のガードを潜ると御神山への道なんですよ。
次の交差点が県道26号線への分岐、これを末端まで走り抜けると、四天蓋山の麓に出て、西城への道へ届くのです。
交差点からすぐにアンテナの刺さった山が見える。なんだ、こんなに近いのかい。ふぅん、思った以上に低い山だね。
ミツマタのつぼみ駐車できそうな膨らみがないね。山に入る分岐を走り抜けて、寺の門前、ここならじゅうぶん膨らんでいる、止めても迷惑がかけることはないだろう。
門前の石柱に、曹洞宗国広城跡、御神山広国院、と刻んである。
国広山の名前を反対にひっくり返して命名したのかい。○○寺というのではないのだね。
門の後ろに御神山の山容が見える、山号を御神山と付けたのは借景の感覚なんだろうね。
ごめん、わたしは寺に参詣に来たのではない。寺に行かずに、道を下って、さっきの分岐へ向かおう。
バス停があって、林道が谷の奥に続いている。電線が道と並行している、これは通信塔への電力供給線だろう。この道で間違いない証拠だよ。
道はすぐに地道に変わる。いやぁ、このほうがええよ。ずっと舗装路だったらかなわんな、と気がかりだったんだよ。
道端にミツマタが群生しているとネットで出ていた。これがそうなんだろうな。谷に沿って密集している、裸の枝先につぼみがある。枝先がみっつに分かれて、その先にそれぞれつぼみがある。
国広山三角点へぇぇ、ミツマタという植物を始めて認識した。これがそうなのか。いったん覚えたら忘れはしないよ。
池がある。昔ながらの築堤ではなく、近代工法で築いてあるよ。地図をながめると、ざっと半分ほど来たことになるな。
ここの植林は几帳面だね。定規で測ったようにピシッと直線を出してある。こんな四角四面な人とはお近づきにはなりたくないね。
電線が道から逸れて、山の中に入って行く。
自動車道だもの、道は傾斜を緩く取らないと登れるはずがない。資材の節約なんだろうね。ジグザグ道に合わせて電線を引いたのでは、コストが嵩んでしょうがないもの。
頂上のアンテナが見えてきた。もう近いということだね。
ここからが道はジグザグ、何度も切り替えながら登っていく。地面にタイヤの跡がある。ここ数日のうちに登ったものだろうな。タイヤ跡が新鮮だもの。
国広山から岳山をさぁて到着したよ、国広山の頂上には、まず、DoCoMoの通信塔。あれ、車があるよ、4台ある。タイヤの跡はこの車だったのか。
一番高いところに三角点、横にNHKのTVアンテナ、その向こうに別の携帯電話のアンテナがある。作業員が電池を引き出して並べているよ。
ご苦労さんでぇす、どこの携帯電話ですかぁ、ほぉ、ソフトバンク、車で登るのも楽なこっちゃないよねぇ。では、では。
電線を敷設するのに切り開いてある、この切れ目から見晴らしが効くぞ。狭い範囲だが、右へ左へと動いて視野を得なきゃね。
切り開きの真下に池が見える、谷の出口があそこ、電線が邪魔だけれども、御神山が見える。
切り開きの線に沿って視線を伸ばすと、府中の岳山だろうなぁ。広島県備後で山座同定するには、岳山は、完全に基軸の山になったよ。それだけ際立って周囲と隔絶しているということなんだね。
最初に潜る中国道東の岡山県境のほうを眺めると、ぴょんと三角形が飛び出した山がある。行ってみて、山頂を踏査して、猪辻山だと思っているんだが、異議でも同意でも、ご意見はありませんか。
四天蓋山の方向を眺めるのだが、そっちは梢が邪魔してよく見えない。
放送アンテナの山だから、もっと視界が広がるかと思ったが、そうは問屋が卸さない、北と西は諦めてちょうだい。
さて、下りようか。ところどころ、ピンクのテープが結んである。登山者の標識かと思ったが、テープに活字がある、国土調査。見渡すと、稜線だけじゃない、斜面にもどこにも沢山シルシがある。測量のメジルシなのだ。
あっと言う間に下りてしまった。9時20分から歩き始めて、今、10時50分、これで帰ってしまうのはさびしいね。
帝釈峡を歩こうよ。帝釈峡の主要な部分はよく知っている。そこから外れた上帝釈峡を歩いてみようよ。
帝釈川の谷との出会い谷に沿ってどんどん歩いて行く、舗装された広い道でちゃんとしたもんだよ。前に壁が立ちはだかって、それが高速中国道なんですよ。
しばらくは、中国道と並行して歩いて行く、ここで高速道路の下を潜る、橋の下を潜るのだが、谷底と橋の上、けっして交差することがない無関係な状態なんだね。
谷は別の谷と合流する。帝釈川本流なんだよ。バス停があって畑橋と書いてある。
看板があって、このあたりが上帝釈峡なんだそうだ。断崖があって、白い岩肌だ。石灰岩だよね。
岩肌には、長い年月をかけて水が溶かして、穴、凹みを作っているのが見える、なるほど、帝釈峡だ。帝釈峡の特徴だ。
ふたたび、高速道のアーチ橋を潜る。高速道を通るとき、毎度必ず、谷の上下を大急ぎでパパッと見渡したもんだ。この下を歩くとは思わなかったな。
谷の流れはとうとうと流れている、川底の石が白いのですよ。白いのは石灰岩、大理石、その欠片が累々と転がっている。
二番目に潜る中国道川幅が広がって、瀞、淵になっている。あれ、眼の錯覚かな、水が上流に流れている。
よぅく見ると、反転して渦を巻いているのだ。へぇぇ、ええもの見たな、ここで泳いでいたら、予想と違って、パニックになるかもしれないね。
谷が別れている、左の谷へ向かうのだな。橋を渡って、橋の名前が落合橋、決まり通りの名前だね。
またまた、断崖の岩場がそびえているぞ。看板がある、なになに、鬼の岩屋
昔この岩屋に多くの鬼が住んでいました。みな心の優しい鬼で、道に落ちた石を取り除いたり、岩屋の広場で踊りをするのを楽しみにしていました。
へぇぇ、いかにも創作民話、伝承の書き換えのように見えるねぇ。異議ありなんだが、ほんまかいな、とチェックを入れるに留めておこうか。
登ってみよう。なるほど、岩の裂け目がある、入り口は狭いが、20〜30メートル入ると、奥行20メートル幅20メートル高さ30メートルの空洞があるのだそうな。
鬼の岩屋入口には鉄の柵がある。たったひとりで入るのは怖いもの、柵があって通れないので、ほっとしたよ。入るの止ぁめた。
奥から水がどんどん流れ出ている、この水が洞窟を造り出して、さらに奥の小洞窟を穿っているのだね。
なるほど、これが上帝釈峡のハイライトなのか。こんなものがあるとは、ここへ来るまで知らなかったよ。
あとは惰性だね。舗装路ばっかりなんだが、車が通る気配も無い。ぽくぽく歩いて行かずばなるまい。
崖鼻を曲がると、集落が見えて来た。帝釈始終ししゅうの集落なのだ。普通に読むとしじゅうなのだが、ここではししゅうと読むのだそうな。
小学校があるが、廃校になっている。創立百年の石碑があるが、これ以上は維持できなかったんだね。遠くまで通学しているのだろうな。
国広山のアンテナが見える、アンテナの先が見えるだけなのだ。つまり、アンテナの足許からここが見える訳がないのだ。
帝釈始終の集落大きく谷底を一回りして、反対側の山腹の道に取り付く、見下ろすと、歩いてきた谷沿いの道が見える。
帝釈峡と合流したあたりから、中国自然歩道の標識が出ていたもんだが、いつの間にか、姿を消してしまった。
案内がばらばらまちまちで、魅力に欠ける、自然歩道というのは役割りを終えたのかもしれないね。多くを期待しないでおこう。
舗装路の最高地点がここ、ここまでが帝釈始終ししゅう、これから先は帝釈未渡。
電柱にミトカンとプレートがあるんですがね、地図を眺めて未渡の地名を見つけた。ははぁん、ミトカンとは未渡幹線のことなのか。納得。
さて、寺の門前、駐車場所まで戻ってきました。
国広山単独ではあまりにショート過ぎるね。帝釈峡上流部をぐるっと周回してきたが、舗装路歩きばっかりだったのに、そんなに草臥れたとは思わない。
絵巻物を広げるように、場面、場面に変化があって、それぞれの発見があったからだろうね、かなり得した思いがするよ。

OS,プラウザの種類、ヴァージョンによっては、JavaScriptErrorと宣告され、表示されない場合があります。
その時は下の文字、数字をクリックしてみてください。
1 2 3 4 5 6 7 8 9





詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


前ページへ

あちこちの山へかえる

トップページへかえる

 囲炉裏へリンク