1999年10月23日
しぇるぱ単独
山域:京都府

幻の愛宕ケーブル

今日は愛宕山に行くけど、ちょっとコースを変えようかね。
どこでこんなコースを見つけたか、それはね、納税協会に納税月報という雑誌があるんですよ。
バックナンバーをめくってるうち、面白そうなコースを発見、ここに行こう。

清滝到着、愛宕神社の鳥居をくぐるんだね。
訂正:降りる時、確認したんだが、鳥居をくぐらず、すぐ横手の空き地に入ると、そこがケーブルの旧清滝川駅だった。ケーブルはそこから始まったのだ。
ファイアーマンさんから聞き込んでいたんだが、鳥居からちょっとのところ民家の途切れる頃、正面参道のすぐ下にケーブル跡があるよ、ということ。ほんま、ほんま、道から下を覗けばあるじゃないか。
石垣が途切れるところから、いざ、いざ、幻の愛宕ケーブル。
道の下に旧軌道がある
第1トンネルの手前
最初の鉄橋を渡ると、ロープが張ってある。
危険に付き、立入禁止、京都営林署
立て札があるが、危険の程度を知るのが今日の目的、ケガとベントは自分持ち、そのへんはわきまえて行動するから、入ります、どうぞお許しをm(_ _)m
線路跡は倒木で避けながら歩かなきゃならんね。すぐに第1のトンネルが見えてきた。出口の向こうが透けて見えるね。短いトンネルだ。両方から光が入るから懐中電灯はいらないね。
トンネルの壁はしっかりしてるじゃないか。昭和4年7月に開通したということだが、当時は重機などなかったよな、スコップともっこで、えんやこらとトンネルを掘ったんだろね。
第2トンネルはもっと綺麗だね。よく見ると、化粧モルタルが剥げて落ちてる、年月は争えないね。
トンネルを出ると、大杉谷越しに月輪寺からの道の稜線が見える。あの道もどかどかと降りてく道で楽じゃないんだよね。
第3トンネル、あれれ、落盤で塞がっている。しょうがないね、山越えで行くか。
右側にテープあり、こっちから行くのだな。道は、道はと、地面を透かせて見ることだね、白く黒く、人が歩けば地面に跡が残る、それを拾って見当で行くしかないね。
見つけた、古い仕事道に出会った。この道をたどればなんとかなるだろう。予想通り、道はトンネル出口に誘導してくれたね。
さっきから軌道道の階段が踏み荒らされているんですよ。廃止以来、半世紀、落ち葉がつもって腐葉土となり、みみずが棲みついているんだね。それを掻き出して食べているんだろ。猪のしわざだろうね。
第4トンネルの出口にはすれ違いの離合点があった。やれやれ、ここで中間点かい。
中間交叉点
林道を突っ切ります
第5トンネルも落盤で通行不能、また山越えだよ。
右にテープあり、今度はテープが次々とあって道を間違うおそれはないね。だがね、急登。木の枝、草をつかんで体を引き上げなきゃならない。イバラ、サイカチ、ヒイラギ、何があろうと目の前をつかんで引き寄せなきゃね。ここでは軍手が必帯です。
稜線まで出ると仕事道、とんとんと運ぶと、あれれ、林道、植林越しに月輪寺が見えるということは、これは大杉谷林道かい。
林道をたどっては駄目なようだね。すぐ道の反対側にテープがある。猛烈な草かぶりの道だが、どんぴしゃり、トンネルの出口に出たよ。
草臥れちゃったな、ケーブル軌道なんだから、角度は一定、コンクリの階段をずぅっと歩かにゃならんな。もの珍しいから一度はいいけど、もう一回やれと言われたら、即答はできないね。
最後の6番目のトンネル、あともうちょっとなんだがね、銀河鉄道を思い出すね。
宮沢賢治ではなく、松本零二のほう。機関車が昇って昇って、宇宙に飛出すイメージが湧いてくる。
終点の愛宕駅に着いたよ。荒れているなぁ。天井のコンクリからは鍾乳洞さながら涙のしずくが垂れているし、風化して、鉄筋がむきだしになっている。
昭和4年に開業して、昭和19年に、戦争で鉄材供出、愛宕山鉄道は廃業したそうです。
短いトンネルが1、2、4、6番目、長いトンネルが3、5番目、短いトンネルは通れるけれど、長いトンネルは塞がっています。
頂上愛宕駅跡
ここにはテープ等のなんの印もない
さて、参道へ向かおう。笹原の中を左の道、水平にたどると、参道と合流するね。
合流点は水尾の分岐とシキミを売場の中間ですね。
今日はもう疲れた。
愛宕神社はまだまだこの先、正面参道を通って帰ろう。


カシミール展望図をつけました。
次ページへ
あちこちの山へかえる
トップページへかえる
囲炉裏へリンク