小谷山、98年10月11日
しぇるぱ単独
山域:滋賀県

小谷山は古戦場

ここが姉川かね、細い川だね。ここで織田信長と浅井朝倉連合軍が戦ったのかい。信じられないほど狭い地域だね。当時の合戦規模はこんなもんかね。

奥が山頂、中が城址、前は無関係


昨日はよめさんと伊吹山のドライブ山行して、帰りに関が原で道を迷ってうろうろしたが、この関が原の合戦規模は見当がつかないね。

さてと、林道終点。途中の枝道はまつたけの縄張りで通せんぼになっていたね。まつたけの時期は迷惑でかなわん。

本丸大広間、奥の高台が城主の台

ここが千畳敷、大広間か。奥の本丸に浅井長政がいたということかい。城郭はまだまだ上に続きますね。この山王丸でまずは頂上かね。木の間からむこうが透けて見える。ガイドブックには小谷山、現地標識では大嶽となってます。谷を降ってもう一回登る、面倒だけれど、標高495M、たいしたことないさ、でも今日は暑い、大汗をかいたね。
武将の位に何千石とか何百貫とありますね、いつのまにか重量単位から容量単位に呼称が変わってしまいました。浅井の当時は位を貫目で呼んでいたことでしょうね。

ここが頂上、大嶽城址か。ここまでずっと城郭の遺構縄張りなど細かい部分までよくわかります。他の古城址とちがうのは下草をきれいに刈り込んである。先週は役場の教育委員会、観光課に悪態をついたが、謝ります、こんなに手入れしてあると随分と勉強になります。

登り詰めた山王丸から頂上を

手入れは小谷城址保勝会とありますが、当然補助金が出ているでしょう。こういう予算執行は生きています。

おや、鳥が集まってきた。ちいさいね、雀よりちいさくアブラゼミよりちょっと大きい程度。鳴き声はちいさく鈴虫の声みたい。枝の葉先にぶらさがって虫をとってるようだ。頭の上で自由に行動し、降るように鳴いてくれるのは至福の時ですね。
あめのうおさん、この鳥なぁに?とりあえずは自分で名前をつけておこう。
セミマガイニタリスズムシシュウダンコウドウハッパブラサガリドリ

頂上は静かですね、誰もこない。木をたたく音がする、キツツキだ。この山は松の木の多い自然林です。

十字路の乗越し、奥に大嶽、左が清水谷

さぁ、おりよう。さっきからスズメバチがまとわりついてくる、巣の近くなんだね。一匹程度なら大丈夫、数匹まとめてきたら逃げ出そう。
皮膚に葉っぱがふれた、ふりかえって確認するとウルシではない、安心、まぁ、ウルシにふれても汁がかからなきゃ大丈夫だい。

帰り道、高速北陸道から小谷山をみると、周囲全部がたんぼなんですね。浅井の当時からそうなのかしら、後世、開墾したのかしら。

浅井が北近江の領主として小谷山を城としたのは正解でした。ここからは北近江が全部見渡せます。

頂上、大嶽城址の三角点


その後、秀吉が長浜を居城としたのも時代の趨勢、兵站と迅速が要求される時代になりました。

カシミール展望図をつけました。
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