2011年7月13日
しぇるぱ単独
山域:兵庫県上郡町

兵庫県、上郡町、白旗山

 

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野桑集落の駐車場珍しく兵庫県へ遠征です。
今夜、囲炉裏の月例会があるのですよ。久しぶりに参加します。昼間を有効に使おうと、山に入ります。
兵庫県で未体験の山はどこにあるか、上郡の白旗山には登ったことがないなぁ。よぅし、そこにしよう。
事前学習で、この山には登山口がふたつある、登山口、下山口を結ぶには自転車を使えばええ、と解ってきました。
西側に自転車をデポしたほうがええ、東側に車を駐車すればええ、これはネットで得た情報です。詳細は現地に着いて判断すればええ。
要は、駐車できるかどうか、問題はそこなんです。
中国道で作東インターで降りる。兵庫県に入って、千種川の支流の佐用川、堤防の工事、川底の工事、三面貼りの工事をしている。
そういえば、一昨年(2009年)の大水害で、佐用川は一気に増水したのだった。
林道の扉降った雨水を即座に流すには、ヨシ・アシなどの植生を取り除き、水流の抵抗をなくして、川を樋のように改造する、その工事を施工しているのだ。
千種川に沿って進んで、赤松集落、登山口の標識があって、登山口の案内に自転車を括りつける。
周囲を見渡すと、ここに駐車するのは無理のようだね。私有地につき駐車禁止などの拒絶看板が見えるものね。
ここを下山地と確定して、上郡市街地に向かう。橋を渡って、鞍居川に沿ってさかのぼっていく。
白旗山登山口と案内があって、芝生の広場が道沿いにある。ここなら駐車もOKのようだね。
ここは野桑集落、バス停にも野桑と書いてある。
さて、歩き始めよう。曲げたパイプで進行方向を示している。最初のパイプ、消防団・集会所のパイプ、左折して集落から離脱するように示すパイプ。
森に入るところに柵が設置してある。扉があって、掛け金を外して入れるようにしてある。入ったら、もちろん、掛け金で閉ざしておかねばならない。
舗装路の終点道は整備された道で、軽トラが通うためにメンテしてあるのだと思うよ。
道の脇に石を積み重ねて石塀のように連なっている
斜面には石が散乱しているのだよ。押し出して道を埋めてしまうのだ。道を作るとき、道をメンテするとき、脇へどかしたのが積み重なって塀のようになってしまったのだ。
近畿自然歩道の標柱がある。
山道を歩く自然歩道は趣旨に沿っているのですよ。里道を歩く場合があるが、道は判りにくいし、舗装でくたびれるし、里道は苦手だね。
この自然歩道の傾斜もぐんぐんと増してきて、ついに舗装路が途切れてしまった。
一基の五輪の塔があって、ここから先は傾斜が急なので、林道を延長するのは諦めている。
ごろごろ石の道を歩いて登って行く。
尾根上の三差路谷から離れて山腹の道を進むようにステージが変わる。擬木の階段があって、こういうのも環境省仕様なんだよ。
古いしるべ石があって、右あかまつ道左やま道とある。山腹を登るように昔から道づくりしていたのだ。
擬木の階段はいつまでも続くわけじゃない。自治体の予算があって、百万なら百万、二百万なら二百万、その範囲しか工事できない。
別に階段じゃなくてもええよ、古道の道を登って行く。
尾根に出たところが三方向の分岐になっている。尾根への道は白旗城跡への道なんだよ。
岩だらけの尾根を切り割って、堀切りがある。たいして深い溝ではないが、岩を穿つのはこれで精いっぱいだったんだろうね。
中世の城には堀切りが必ずある。有効なんだろうか。有効なんだろうねぇ。効果があるから岩を切り欠いて塹壕を構築したのだろう。
堀切りの上は決まった道などないよ。めいめいそれぞれ、自由に歩いて歩き易い道を探している。
白旗城二の丸どんどん登って行きます。
櫛橋丸跡と案内がある、山の上を指している、水平な道は本丸・二の丸跡を指している。
山腹の水平な道を本丸・二の丸へと進んで行こう。
ここが二の丸、山の上は平坦で、何千人でも収容できそう。
二の丸跡と本丸跡の距離はけっこうあるんですよ。ここが本丸跡。ここも平地が広くて、何千人でも収容できると思うよ。
本来はね、防備専門の山城なんだそうな。何千人もの軍勢を置くのではなく、少数で防ぐのを目指していたのだそうな。
それにしては規模が大きい。縄張り、配置の具合からすると、万の軍勢が収容できるふうに見えるがね。
この向こうに三の丸跡があるのだそうな。三の丸跡までは行かなかった。
白旗城本丸郭と郭、出丸との間隔も離れているのですよ。これだけ離れていると、各郭で指揮を執る侍大将も数多くいるし、それぞれが有能でなきゃならない。
この城が襲われた合戦があったのだろうか。難攻不落の堅城という評判が名高く、実戦に及ぶことはなかったのではなかろうか。
頂上には切り開きがあって、大型放射光施設スプリング8が見えている。播磨科学公園都市を開発して、その中核なんですよ。
反対側からは赤松側の登山口が見えていて、自転車をデポしたあたりが見えている
この城の名前は白旗城、南北朝時代の赤松円心の居城として名高い。
赤松円心は後醍醐天皇に応じて決起し、戦果を挙げたが、派閥争いに負け不遇、一転、足利尊氏の軍勢に身をよせ、播磨摂津美作備前の守護に任じられる。
時代が室町時代になると、内紛で赤松家は衰退してしまうのです。
こんな広い城郭を赤松家が維持していたのだろうか。毛利の郡山城、尼子の月山城を知っているが、同等かそれ以上の規模なんですよ。
トイレ、ここから林道白旗城は赤松氏から放棄されたが、その後、この城に入ったのが誰かは明らかではない、案内看板には書いてない。
防備には向いていても、年貢の備蓄、訴訟の検断などの政治行為には山の上では不便だろうと思うよ。
兵庫県には一等三角点が八ヶ所あって、ここの三角点がそのひとつなんだよ。
さぁ、降りよう。どんどん降りて、さっきの三差路まで戻ってきた
案内看板には白旗城址山麓五輪塔群と案内がある。別の昔の看板には赤松と書いてある。そっちへ向かえばええのだな。
山腹を歩く道から谷底を歩く道に変わったが、めちゃめちゃ歩きにくい。土が洗い流されて石が露出しているのですよ。
石が平らとは限らない。石はあっちを向きこっちに傾き、靴を置く場所を選んで歩くから、すたすたと歩くなどとんでもない。ゆっきりとしか歩けない。
トイレが見えてきた。そこからはちゃんとした林道が続いている。
赤松側のフェンス案内標識に出ていた五輪塔群が近づいてきた。道を離れて寄り道するのだそうな。五輪塔群といっても、つまりは墓だよなぁ。気味が悪い、パス。
山道の出口に金網の柵があり、扉で閉ざされている。出入りするたび、紐で結え直すのだ。
柵の高さが高いので、これはシカ対策だな。イノシシならこんなに高いフェンスは必要ないものね。
柵を抜けると民家のすぐそば、自転車をデポした地点まではそんなに離れてはいない。
さぁて、これからは自転車を踏んで行くぞ。まずは千種川に沿って下って行くのだ。
千種川の対岸に上郡町の市街地が見えている。
橋を渡るのだ。千種川の支流の鞍居川、その川に玄武橋という由緒深そうな橋がかかっている。
地図で見ると、上郡駅の近辺よりも、千種川左岸と山裾に挟まれた一帯のほうが家屋の集積の密度が高い。
赤松登山口に自転車をデポのぞきこんでみると、路地の民家は江戸時代の風情を残していて、重要伝統的建造物群保存地区、そこまでの値打ちはともかくとして、古いことは古いなぁ。
川上への登りの道なのだが、そんなに自転車への抵抗はない。一生懸命にシャカシャカ急ぐ道でもないし、ゆったり踏んで行けばええさ。
さぁ、戻ってきました。朝方、駐車した芝生の広場、自転車をばらして車に積み込むとするかね。
サイクルコンピューターの記録では、下山口から登山口までが9.8キロ、時間が47分、時速12.4キロ/時、効果的な使い方だったな。
今夜はこれから囲炉裏の月例会があるのですよ。一年半年ぶりに参加するのだよ。これから大阪までひとっぱしりしなきゃね。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります



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でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます


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