2003年9月25日
しぇるぱ単独
山域:広島県中央

広島県中央の天神嶽

 

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吉原の登山口分岐広島県の中央部にはあんまり食指の進む山は少ないもんだねぇ。ここなんかどうだろう、天神嶽。
昨日のうちにロケーションを確認したよ。賀茂郡豊栄町にあるんだよ。登山口は北の吉原と南の安宿にあるんだよ。
今日の天気予報は曇り、なんとか降らないのを信じて出かけようかい。
このあたりは、三和町、豊栄町、福富町、大和町、地域の名前としては、全国どこにでもある名前じゃないか。
昔からの固有の名前はどうしたんだい、主体性が乏しいから、見ろよ、自治体合併でみんな飲み込まれてしまったじゃないか。
安宿の八幡神社さて、肝心の豊栄町、登山口はどっちにしよう。
カシミールで安宿と吉原のそれぞれの高度を測ってみました、吉原が高い。
これで、吉原の登山口出口に自転車をデポすることに決定だね。
まずは、吉原の集落から山の中へ、舗装の林道だから登山口までは簡単に行ける、ここで自転車を下ろすとするね。
ぐるっと山の反対側へまわって、安宿へ行く、安宿はあすかと読むんだそうな。
豊栄町中心街の宮の首交差点、清武交差点を曲がって安宿へ、小学校と郵便局がポイントだね。
その先に神社の門柱がある、そこへの曲がり角に、安宿農村広場、天神道の標識が見える。
角休み進んで行くと、八幡神社、神社の脇に駐車スペースがある、ここに止めさせてもらおう。
広いのに草深い道が続く、角々には天神道の案内があるから迷うことはないよ。
岩に漢詩が彫ってある、ならんで、天神嶽小唄も彫ってある、翻訳だろうか、当然、別々のものだろうね。
漢詩の七言絶句が、七七七五、あるいは、七五七五とバックコーラスのおはやしで歌われるなら、聞いてみたいもんだ。
谷川に沿いながら登っていくんだよ、林道を横切って、もひとつ林道を横切る。
ここから道は草かぶりから解放されるんですよ。
そりゃそうだよね、だれだって林道が出来れば歩くのはやめる、そっちへ車を乗り入れるさ。神社からここまでの道が草に覆われるのもごく普通のことだよね。
阿弥陀堂岩がありさえすりゃ、岩という岩、どこでも岩の上にお地蔵さんを載せてあるんだよ。
そのお地蔵さん、どれも新しいんだよ、この風習はそんなに古くからのもんじゃないねぇ。
ここが地蔵の大集団、角休みという場所なんだとさ、だれもがこの曲がり角で荷物を降ろして休んだ、だからそう言う名前なんだとさ。へぇぇ、なんだか、創作民話臭いとは思わないかい。
この先、道が明るくなった。池のはたに出た。阿弥陀堂がある、この阿弥陀堂が安宿のひとの信仰の対象のようだよ。
いままでもここでも箇所箇所に歌を詠んだ石碑が点在する、内容を見ると、どうやら誰かを偲び敬う内容らしい。
もちょっと先に進むと何かがわかるだろう。
稜線の分岐ここからは、草刈を放棄してある。安宿の勢力範囲は池の阿弥陀堂までとはっきりしてきたよ。
ブヒヒー、鼻を鳴らす音、ホォッホォッ、荒い息継ぎの音、林の中にはイノシシがいるんだな。
わかったよ、きみの縄張りを荒らす気は無い、すぐに歩き抜けるからさ。
六甲で繁殖したイノシシを手近で見たことはあるが、姿が見えずに警告を受けるのは切迫感があるもんだね。
稜線に出たぞ、中天神嶽、東天神嶽の標識、まずは東天神嶽へ向かおうか。
水平な広い道と、稜線の細い道があるがどっちにしよう、稜線の道を選ぶとするか。
東天神嶽の頂上はここと表示したものはないんだね。あいまいなもんだな。
東天神嶽岩があって、岩の上から展望が広がるはずなんだが、今日は雨上がり、水蒸気でなんにも見えない。
引き返そう。
さっきの峠から反対側へ向かう、地蔵を収容する長屋のような建物がある、物置のような建物もある。
開けてみた、うわ、びっくり、石像がいっぱいあって、みんなこっちをにらんでいる、すぐに扉を閉めよう。
高台には巨大な地蔵さんがいるぞ。どうやら、この地蔵を中心に信仰の場を開いているものらしい。大地地蔵というそうな。
中天神嶽雨が降ってきたよ、降水確率20%ということだったが、20%の範囲内に入ってしまったよ。
この上が中天神嶽なんだな、登ってみようか。
岩場のある頂上がある。この先は西天神嶽なんだが、草深いし、雨が降ってるし、やめた、ここまで。
この岩、大勢が登った踏み跡があるぞ、登ってみたら、へぇ、岩に彫刻してある、忠孝だとさ。
昭和初年のころの作業だね。中国、北朝鮮と同じ精神構造だね。岩があればスローガンを彫りたくなる(ーー;)
だれもが見る公共物に自己のドグマを主張する、街の壁をみてごらん、ペンキの落書きが随所にある。
かっては指導層がこんな彫刻の落書きをした、今は、おちこぼれが落書きをする、今昔の違いはこの部分だけ。
道々の板碑の内容では、天龍翁50回忌、とあったな、50年から80年前に天龍翁がここに信仰の場を開いたのだろう。
没後、まだその遺徳で、信仰は残っている。平成年間の地蔵もあったもの、ごく最近の寄進だぜ。
大地地蔵霊峰天神嶽、麓でそう名前がついているが、天神嶽を霊峰に仕立てたのはプロデューサー=仕掛け人がいてのことだとおもうよ。
富士講にしても、食行身禄がいてこそ、隆盛に向かったんだもの、白山、御岳信仰にしても同様なことさ。
影響の規模は小さくても、今なお、ここに残っているとはすごいことだね。
今でも漢詩を書き、歌を歌碑に刻む、この地域の文化水準はただものではないね。
巨大地蔵の前から道は刈り払われている、広い道だね、ここから吉原へ向かうんだろうな。
安宿から登るときは、どんな小さな分岐でも、必ず天神道と案内があったもんだよ。
ここでは、そんな案内はない、ただただ広い道目指して下りて行けば間違いはないよ。
吉原側登山口急な道もお終い、地道の駐車場に出てきたよ。
ここからはわずかで、舗装路の林道分岐、朝にはここに自転車をデポしといたんだよ。
本来は、吉原に下りて、街道を行くはずなんだけどね、間に峠があるんだよ、自転車で峠は越したくない。
林道を行こう、そのまま自転車を押していく、ほんのちょっと、池まで行けば後はもう下り道だね。
林道から街道に出た、峠の登りはわずかであとは下り道、町の中心部を抜けて安宿までスイーと行けたよ。
この天神嶽、山陽と山陰の分水嶺なんだそうな、安宿からは山陽へ、吉原からは山陰へ、それぞれ流れが続くんだろうね。
分水嶺の峠を迂回する道を見つけたので、エネルギーロスが最小ですんだよ。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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