備後西国三十三観音霊場巡拝

第2番 海岸山千手院福禅寺

平成15年11月21日巡拝

 

画像をクリックするとそのままそこだけ拡大表示されます
Microsoft Edge のユーザーは、画像・テキストにちょっと触れてください、その効果で、ポップアップページは消えます
Internet Explorer Google Chrome Mozilla Firefox のユーザーは何もしなくてもポップアップページは消えて行きます

 

バス道から見上げると福禅寺福禅寺へは明王寺から芦田川沿いに下流へ車を走らせればいい。
芦田川沿いの道の両側に鉄工所がずっと続くんですよ。へぇぇ、意外な産業展開だな、船具関係からの進展なんだろうかね。
なめちゃいけない、せいぜいが漁師町と思い込んでいました、認識を改めます。
川沿いの道は海沿いの道に変わってきたね。久しぶりに潮の香りをかぎながら進んで行くよ。
福禅寺の入り口真向かいに島が対面するようになってきた。仙酔島なんだね。
海峡に小島があって、塔が見える、仙酔島とは離れているようだね、弁天島というらしい。
皇后島というのがあるそうなが、どれだろう、弁天島の後ろの小さい島かしら。
皇后と名乗ってあんな小さな島はないだろう、不敬に当たる、などの糾弾が来てはまずいので、どれだか解らないということで逃げておくかね。
本堂福禅寺を探すんだが、岬状の街中を探すのは大変だな。
あらら、標識があった。仙酔島を見渡す崖の上に福禅寺はあるんだよ。
高台の狭い路地を入って、ははぁん、ここが寺の入り口なのかい。
朝鮮使節が江戸に向かうのに、風除け潮待ちするのに、ここで滞在したのだそうな。
この景色にいたく感服し、日東第一形勝と賞賛し、客殿を対潮楼と名づけたのだそうな。
境内から仙酔島を時代をさかのぼると、将軍足利義昭が織田信長に追われて、ここ鞆で毛利勢に保護されたことがるのだが、このあたりの有力寺院というと、福禅寺などが候補に登ってきそうだね。
幕末でも、勤皇の浪士がここに滞在して、気炎を上げたそうだね。
で、料金を払って対潮楼に上がってみたのかい? いいや、面倒になって、塀の上から海を眺めて、まぁこんなもんだろう、と満足したもんです。

第3番に進む
第1番に戻る
備後西国リストに帰る
山の寺に帰る
トップページに帰る