備後西国三十三観音霊場巡拝

第11番 今高野山愛染院龍華寺

平成15年12月14日巡拝

 

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今高野山の山門三原からの帰りにもうひとつ巡拝して行こう。
ここは世羅郡甲山町、隣り町が世羅町で、お互いの町役場はものすごく接近しているんですよ。
200〜300メートル程度しか離れていない、これでは別々の自治体でいる必要もないし、現に、近隣をまとめて合併するのだそうな。
土日休日は、観光客用に銀行の駐車場を解放してくれるそうな、ありがたく利用させていただくね。
朱塗りの橋を渡って山門を入る、今高野山という凄い名前を付けてあるが、名前の通り、豪勢だったかもしれないね。
大田庄歴史館というのがある、参詣の前に入ってみようか。
丹生神社の太鼓橋200円です、名前と住所を記帳してください。
いやですよ、プライバシーを明らかにしたくない、氏名不詳、住所不定でお願いします。
押し切って入ったせいか、正体不明の輩が展示物を壊してはいけない、とずっとくっついて監視されることになった。
へぇ、平家が大田庄という荘園を整備して後白河法皇に寄進したのかい。それを、法皇は高野山に寄進したのか。
それで荘園の管理センターに今高野山としての寺を建立したのかい。
その後は、守護地頭の介入があり、国人領主の横領があり、いやぁ、なかなか主権を維持するのは大変ですなぁ。
龍華寺の大師堂、観音堂昔は12の子院があったということだが、今はねぇ、このように歴史館に変身したのは、ましなほうだよ。
アクアセンターという風呂屋に変わったのもあるのさ、甲山温泉という料理屋に変身したのもあるのさ。
かっての栄華もずいぶん変わったもんだね。
一番奥に龍華寺があるが、ここが親院だったのかどうか、それはどうなのかしらね。
参道の奥に地主神の丹生神社がある、どう見てもここがセンターに見えてしょうがない。
祭神はアマテラス、スサオノ他なんだが、それなら丹生神社は名前と合わないじゃないか。
今高野山裏山のコンクリート城よくよくパンフレットを読むと、高野山の地主神丹生神社の名前をもらった、とある。なんだ、支店の制度を本社と合わせただけなのかい。
裏山に四国88箇所のコースがある。行ってみようか。
龍華寺側から回ると逆の順番になるんだな、これでは、龍華寺は山内合議では大事にされていないように見えるぞ。
山に登ると城があった。今まで何度も甲山の町を通り抜けたことがあるが、城があるのは気がつかなかったな。

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