備後西国三十三観音霊場巡拝
第18番 慈高山円通寺
平成16年2月21日巡拝
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国道183号線を庄原に入る手前、標識は口和町比和町を指している、その七塚西交差点信号を北に曲がるんだよ。
道はたんぼの中をゆったりと横たわっている、のんびりじりじりと坂道を登り始めるころ、たんぼの向こうに山が衝立になって立ち上がる。
もう少し走ればカントリーエレベーターだが、その手前に案内の標識がある。
円通寺本堂、甲山城址、こう書いてある、この案内に従えば間違いない。
たんぼの中の細道を右へ左へ、どこまで行くんだろうと不安になってくるが、谷の小橋を渡って山への道に入るので、この方向なんだなと、ようやくロケーションが明確になるね。
道は、坂道になって急傾斜になってくる、この先はたしてこのまま行けるだろうか。不安だなぁ、ここに駐車しとこうか。
歩いて登ることにして、道は鉢巻きに山腹を渡りながら進んで行く。
参道には石仏が点々とあるが、どうやら西国札所のレプリカのようだね。
もともと、禅宗で観音札所というのが納得いかないのだがね。禅宗とは、自己研磨自己陶冶の教義じゃなかったのかい、観音信仰とは相容れないと思うがどうなんだろう。
この備後西国の札所の中には禅宗の寺がたくさんある、これではわたしの認識と違う、いささか驚いています。
杉並木を潜って、その先に庫裏が見えてきた。続いて本道の屋根も見えてきた。
石段を登って山門を潜る、正面が本堂なんだろうな。円通閣と書いてある。14番の大慈寺で円通閣という建物を見たことがある、三原に円通寺という大きな寺がある、円通という概念には何か特別な意味があるのだろうな。
この円通閣、常識的な本堂の大きさよりずいぶんと小さいよ。
小さいのだが、国の重文と看板が出ている、建築年代は看板に書いてない、どこがどうだからこれは重文の価値があると、その理由を知りたいもんだね。
本堂の後ろには避雷針が大きく伸びている、なるほど、大事にされているのはよく解ったよ。
境内には、甲山城址の案内が出ている。
地元のひとの言葉では「こうやま」と読むんだとさ。
この裏山は城址だそうな、戦国時代、毛利尼子の時代に両勢力の間で加勢したり裏切ったりしながら、結局は消耗していった地方領主なんだね。
登ってみようか。三の丸二の丸本丸、けっこう本格的な構造じゃないか、軍勢を収容する広場もあるね。
その広場は草が刈ってあって、庄原の盆地が一望できる、見える範囲が城の勢力だったのかしらね。
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