備後西国三十三観音霊場巡拝
第17番 吉祥山岩屋寺
平成16年1月21日巡拝
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三次の市内のふたつ目の寺だよ。JR八次駅前の鳥居橋新鳥居橋のあたりから北の山を見ると、寺が見える、そこが岩屋寺なんですよ。
岩屋寺の所在は畠敷町、畠敷町の真ん中を貫くバス道での看板をよぅく見といてね。
某医院の駐車場に岩屋寺への地図がある、それに従うと、岩屋寺川という名の溝川沿いにたどる道なんだね。歩くには向いてるんだが、車では不向きだと思うよ。
別の交差点に岩屋寺へ矢印を示している、車なら、この矢印に従ったほうが戸惑いが少ないだろうね。
どこか適当な道のふくらみに車を置いて行こうよ。この寺は、車で行くより歩いて登ったほうがはるかに面白いのだよ。
谷の出口にさしかかる、ほら、ここには駐車するスペースはないでしょう、途中に止めといてよかったね。
寺の案内の絵地図があって、毘沙門堂がある、ここから参道で、この奥は草むす道なんだよ。
今は冬で安全だよ、谷の道だから、夏の盛りにはさぞかし蛇が出ることだと思うよ。マムシに注意の看板がないのがせめてもの頼りだね。
進んで行くうち、仁王門、門の両脇には仁王像は無くなっている。大きなワラジが掲げてあるが、かなり年月を経たワラジだね。
普通、ワラジは縄に藁を巻きつけて作るもんだよ、縄の替わりにビニールパイプが使ってある、それでなんとかカタチを保っていられるのだよ。縄だったら、とっくに朽ちてしまっていただろうね。
仁王門の後ろからは谷が狭まってきている、大きな岩がごろごろしている、大岩の下に地蔵が並んでいる、岩屋寺のいわれはこのへんの岩累々の様子から由来しているんだろうな。
白山大権現、剣大明神、鎮守の神々を案内する標識があるよ。寄ってみようか。
どこにも地主神はあるものなんだよ、比叡山には日吉大社、高野山には丹生都比売神社、ここではこれがそうなんだね。
草が倒れてはいないね、この様子では、最近はあまりお参りするひとも少ないようだね。
参篭する拝殿があって、さらにその先に岩場の道が続くよ。雪が融けて岩が滑りそうで恐いところだな。
朱塗りのヤシロがある、ここがそうなんだな。見晴らしはええけど、岩のてっぺんなので気持ちのええところじゃないね。すぐ下は断崖絶壁じゃないか。
谷向こうに岩屋寺の屋根が見える。地主神にしてはずいぶん遠くに祭ったもんだな、谷を隔てて左右対称になっている、両者同等の祭り方になっているなぁ。
ここは修験の寺だもの、修験の行のありようなんだろう、これも何かの理由があるんだろうさ。
長居は危険だ、ほどほどにして、元の道まで帰ろうぜ。
地蔵堂があって、ここで谷を渡るんだよ。大丈夫、ちゃんとした石の橋がある。
ここから境内まではたいした道のりじゃないさ、すぐにたどりつける。
さぁ、ここが岩屋寺、本堂の前。谷向こうには朱塗りの鎮守のヤシロが見える。境内の端からは麓が一面に広がる。
石碑があるよ、へぇ、そうかい、住職が代わったのかい、その住職が寺を復興したのだと褒め称えてある。
実はね、この岩屋寺の子が中学校の同級生なんですよ、わたしの同級生。
逢えることを期待していたが、残念にも、寺を退散していたとは知らなかった。
代替わりした住職が奮迅の努力で寺の経営を頑張ったんだねぇ。電気・電話・車道を引いたと石碑に書いてある。
寺院経営はしくじったんだが、先代までの当時は大変な生活だったんだねぇ、そりゃぁ、つらかったろう。
寺の横に墓地がある、歴代の墓石の前に、その復興した住職の墓がある、ずいぶんな高齢で亡くなったんだそうな。
車道を行かずに、水平の歩道を行こう。山のしわをひとつ越えると、ここが展望台。
岩屋寺公園とあって、ここから三次の市街の中心がよく見える。南の山々も見えるのだが、ひとつひとつの名前を言っても聞き流されるだけだろうから止めておくね。
あとは車道を下りるだけ、右へ左へと何度も折れ曲がって進むが、道のまんまに進めばええよ。
下りたところは谷の入り口、毘沙門堂のところなんだよ。お疲れさまぁ。
その数日後、岩屋寺の裏山に入ると、その先はどうなっているんだろう、と雪の中を奥へ奥へと探査に行ってきました。
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