今日で、中国地蔵の巡拝もこれで最後です。
鳥取駅からふたつの大きな道が出ています。一本は県庁に向かう道だから、それは選択しない。北北東に向かう道のことですね。
ほぼ北に向かう道があります。この道に沿って進んで行くとええ。
直線で進んできた道がちょっと折れ曲がります。そこに注目。
荒木又右衛門の墓所、遺品の矢印が見えます。こっちのほうが解りやすいかな。
玄忠寺に隣接して、観光バスも駐車できる大きな駐車場があります。そこに止めればええ。
寺伝、縁起などの看板がありませんなぁ。
ひたすら荒木又右衛門を盛り立てている。
説明するのも面倒だから、看板をそのまま写しておきますね。
門前には、荒木又右衛門三百七十年祭の看板もあるし、石柱を立てて、墓所があります、と案内してある。
荒木又右衛門の墓石がこれです。金網で保護してあるのは、こういう事情です。
有名人の墓石のカケラを財布に入れて持つひとがいるんですよ。強いひとの験が乗り移って、バクチに強くなるんだそうな。
森の石松の墓はね、初代の墓は玄翁と鏨で打ち込まれて、欠けてぼろぼろになって、二代目を作り直したのだそうな。
これも欠け始めて、あろうことか、とうとう墓石まるごと盗まれてしまった。
作り直した三代目の墓も欠け始めて、これではいかんと、今は防衛のため、鉄の檻に入っているのだそうな。
あの世に行っても、檻の中とは、情けない話しだが、これは本人への罪科じゃない、後世のバクチウチのとばっちりだものねぇ。
荒木又右衛門も、バクチウチの迷惑を受けて、三百七十年後、金網に包まれていようとは思いもしなかったろうね。
けったいなエピソードを語ってしまったが、これで中国地蔵はおしまいです。