2008年9月8日
しぇるぱ単独
山域:鳥取県鳥取市

久松山きゅうしょうざん鳥取城跡附太閤ヶ平とっとりじょうせきつけたりたいこうがなる

 

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県庁裏から久松山を先ほどまで市内の寺にいました。中国地蔵の巡拝で、玄忠寺にいました。
中国地蔵の巡拝も最終で、この寺で終わりです。これまで中国観音中国薬師中国地蔵と、中国五県を三めぐりしました。
信仰はともかくとして、寺の巡拝は中国五県の文化風土、ロケーションを把握するのにとても有効でした。
で、寺に参ったあとは、近くの山に登っています。今回は、鳥取県庁の背後の山に登ります。
県庁の駐車場に車を止めて、さて、出発。駐車場から山上の石垣が見えるよ。城跡なんだねぇ。
城の堀のたもとに銅像がある。吉川経家公像と名前がある。羽柴秀吉の軍勢に対峙して負けた側の武将なんだね。
県庁から歩いて来て、最初の橋は鳥取西高校への道、こっちからも行けるが、法務局の前の次の橋を渡ったほうが解りやすいと思うよ。
久松小学校があって、ちょうど女子高校生が歩いてくる。
あのね、ちょっと質問、山は
久松山きゅうしょうざんだよね。小学校も久松きゅうしょう小学校なの、久松ひさまつ小学校なの。あぁ、やっぱり久松きゅうしょう小学校と呼ぶの。どうもありがとう。納得できました。
鳥取城、山下ノ丸史跡の看板にはフリガナを打ってある。
鳥取城跡附太閤ヶ平とっとりじょうせきつけたりたいこうがなる、へぇぇ、こんな読み方をするとは思わなかったな。
国の史跡に登録されたもので、公文書に記録があるのだ、つけたり、などと俗語が混じっているのが奇妙で愉快だね。
こりゃええな、これをページタイトルに使おう。
歌舞伎の外題みたいでしょう。
世話情浮名横櫛よはなさけうきなのよこぐし、お富与三郎のお話しだよね。天衣紛上野初花くもにまがのううえののはつはな、お数寄屋坊主の河内山宗俊、御家人片岡直次郎、花魁三千歳。青砥稿花紅彩画あおとぞうしはなのにしきえ、白波五人男、すなわち、日本駄右衛門、弁天小僧菊之助、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸。
え、知らないの?これを知らないでどうするの、勉強したまえ。
博物館の前を通って、門を潜る。石垣の間を抜けて何もない空っぽの広場に出る。
この城は明治になって陸軍省が接収したのだそうな。そのとき、建物は撤去したのだそうな。
鳥居を潜って山上へ広場の片隅に赤い鳥居がある。背後の山に登るにはこの鳥居を潜って進む。ここからは一挙に登りの道になるよ。
途中に今にも倒れそうな小屋があって、登山のグループのものなんだね。名札が並んでいて、登れば札を裏返すルールのようだ。
石段をおばちゃんが登って行く。手ぶらだから足が速い。さっさと追い抜いていく。
徳川幕府で岡山から鳥取に移封された池田城主は、山上の城から山の麓に政庁を移した、そりゃそうだろうさ、毎日登り降りするのは大変だもの。
この鳥取池田家の紋所は、徳川の縁戚なので三つ葉葵、昔からの紋が丸に揚羽蝶、下の赤い鳥居の稲荷さんの幔幕に揚羽蝶の紋があったよね。
城主池田家を宣揚してのことだろうね。
石段の寸法だが、揃い過ぎている。磨耗した石段は昔ながらの石だろうさ。角が鋭い石がある。最近、補修したのだろうね。三角柱の石で、側面は四角・上面は三角、規格品で、インド・アフリカからの輸入品を使っているのだ。
そんなことが何故わかるの?大阪港の埠頭には輸入した石材がなんぼでもあります。高級な墓石と並んで、安い土木用の石材が山盛りに積み上げてあります。
鳥取城、本丸跡国産は高いので安い輸入品が工事現場では使われているのです。
一合目と看板がある。ここから始まって、終わりが九合目、十合目の標識はなかったなぁ。カウントしながら歩くと残りなんぼと解ってがんばれるよ。
五合目標識で、広場があって、社がある。久松中坂大権現と扁額にある。ちょっと休憩しようよ。
気を取り直して登りにかかる。傾斜はきついよ。きついが、何合目と標示が減っていくのが楽しみだものね。
九合目の標示が現れて、山伏の井戸と案内がある。井戸はつぶれているよねぇ。滴り落ちる水滴があるから、昔ながらの湧き水があるのだねぇ。
石垣が見えて、落石注意と看板がある。
ここの石垣は崩れるんですかぁ。
かぁっ、見りゃぁ解ろうが。石垣がふくれとろうが。いつ崩れても不思議なこたぁない。そがぁなことも解らんのかい。えぇっ、かぁぁっ。
えらく高飛車な物言いだね。いつもいつもこのように上から目線でしゃべっているのかい。じいさん、きみの葬式は参列者が寄り付かないだろうぜ。
ここがミスポイント山上は、右が山上の丸(二の丸)跡、左が本丸跡、一番高いところが天守櫓跡、ここに三角点があるはずなんだが見つからなかった。
天守櫓跡からは海岸に砂丘が見える。目を移せば大山、鳥取県西部で見る山容とずいぶん違うね。大山とは別の山みたい。柔らかに見えるよ。ところが、実は、これが大間違い。
大山と思い込んだのは鷲峰山だった。大山は霞んで見えないのだ。きたろうさんから教えてもらった。ミスを修正できてよかった。
二の丸から道があるかと踏み込んでみたが、三の丸で道は尽きた。引き返そう。
二の丸の石垣の下に道がある。十神林道へと誘導する道だ。十神林道とは何かは知らないが、この道を進んでみよう。
北への尾根道を東へ曲げて誘導する標識、そんな意味なのだろうな。赤い→があるが、特別重要な意味があると思い込んだのだよ。
久松山からどんどん降りて行く。降りつくして、今は、峰と峰との渡りの尾根を進んでいるみたいだ。
再び標識、尾根道を進めば十神林道、谷へ下れば長田神社、赤い→が下を指している。そっちへ向かおうか。
どんどん谷へ下りて行って、分岐の標識がある。太閤ヶ平へ行くコースを示しているが、あまり踏まれた道ではない。怪しい、このまま谷へ進もう。
太閤ヶ平への修正ポイント谷へ下りて、ラッキーにも、ひとが歩いてきた。すみませぇん、太閤ヶ平、本陣山へはどう進めばええのでしょうか。
もうちょっと引き返すとね、道があるけぇね、なんだかんだ、あぁだこぅだ、理解しにくいかな、一緒に行きましょう。
ここはさっきの太閤ヶ平標識じゃないか。ははぁ、やっぱりこの道を進まなきゃならんのか。池の前に出た。
ちょっと道を間違えた、池まで出ちゃぁいけんのじゃ。池の上の道を歩かにゃならんのじゃ。引き返しましょう。
あのひと、手ぶらだからどんどん歩いて行く。ありがとうございまぁす、道の先行きの見当が付きましたぁ。どうぞ、お先に行ってくださぁい。
切り通しがあって、ひょうたん池と案内板がある。この先に小さな池がある。この池をひょうたん池というのだろうか。
この先、コースの最後あたりで絵地図がありました。下の大きな池をひょうたん池、上の小さな池をからづつみ池と言うのだそうな。
そもそもの原因はね、標識の赤い→を重視したのが間違っていたのだ。赤い→にこだわらずに、そのまま十神林道を進めば良かったのだ。
どうやらその正しい分岐点に差し掛かったらしい。尾根道の先に久松山とある。これが本来のコースだね。やれやれ、迷走するか直進するかは判断次第、それに尽きるね。
ひょうたん池谷越しに通信鉄塔が見える。あそこが太閤ヶ平、本陣山なんだな。ずっと緑のトンネルの中だったので、始めて行く手を確認できたよ。
展望所が道はずれにあるそうな。寄り道してみるか。
展望所とはあるが、展望の効く範囲は極めて狭いね。設置した当時は展望があったんだろうがね。木々の成長は早いものね。いつまでも展望が効くとは限らない。
ぽんと舗装路に出たぞ。舗装路の末はDoCoMoのアンテナ、その背後にもアンテナ群はある。
ここが本陣山で太閤ヶ平、ここに羽柴秀吉が布陣して指揮したのだ。
ちょっと前のお話しだが、毛利対尼子の最後の合戦のときには、毛利が尼子を見下ろす山を占拠して尼子を蹴散らしたのだ。
補給線を確保するのに、尼子戦では毛利は作戦上手だったのだが、羽柴軍ははるかにその上だったのだ、物量戦で負けたのだね。
どだい、これほど近くの高地を占拠されるようでは、毛利に勝ち目はないさ。
山の中をうろうろ探し回ったが、三角点はどこにも見つからない。ま、ええさ、三角点を見つけることが目的というわけじゃない。
太閤ヶ平のDoCoMo電波塔DoCoMoのベンチ前に引き返すと、毎日登山のひとがわいわいと談笑している。
あれが久松山ですか。違うよぉの、方角が違う、もっとこっちの方向よぉの。なるほど、盛り上がった姿からして、あれが久松山だ
降りる道ですがね、地図の実線の道は舗装路ですよね。途中で、山道に入る分岐は解りやすいですか。
大曲りの下にあるがのぉ。行ったことはないてのぉ、イノシシが棲み着いとるちゅうことなんで歩く気がせんよのぉ。
本陣山を鉢巻に巻いて、大きなカーブを曲がって、ここのことかい。ちゃんと標識があるよねぇ。
粟谷町へと標識は指差している。どんぴしゃり、粟谷町と県庁は隣り合わせだもの、こっちの方向へ歩けばええのだ。
草に覆われていても仕方がないなと覚悟していたが、肩透かし、歩きやすいええ道だよ
ブルドーザーで引っ掻いて新しい道を作り、砕石を敷いて草が生えるのを邪魔してある。
谷底に出た。ひょうたん池に繋がる分岐の標識もあって、このあたりはいろんな歩道が組み合わさっているようだね。
粟渓神社砂防ダムがあって、その時の建設資材の運搬道が石畳の道に仕立てられている。
ほんとはわたしは石畳の道は嫌いなんですよ。石の面がまちまちの方向を向いているので、靴底を踏み降ろすのに確かめながらで、歩き難い。
民家が見えてきた。ここでイラストマップの看板がある。最後にマップを見るとは皮肉だねぇ。最初に見ておけば歩く見当を付けやすかったのにね。
民家が見えてきて、出たところが粟渓神社、地名が粟谷町というわけだ。
ぶらぶら歩いて、県庁へ山側から駐車場に戻って行く。さあ、戻ってきたぞ。帰るとしようかい。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。
でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます


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