中国観音霊場巡拝

第2番 上寺山余慶寺

平成16年10月8日巡拝

 

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餘慶寺観音堂西大寺から吉井川にかかる永安橋を渡って余慶寺に向かおう。
雨が降っているんですよ。雨の日には寺参り、晴れたら山に行こう、と決めたんだから、文句の言いようもないことなんだが、やっぱり鬱陶しいもんだね。
地図をながめて見当を付けていたのだが、求める余慶寺は低い丘の上にあるものらしい。
麓の道から眺めると、山腹からずっと住宅の開発が進んでいる、大昔の環境とは大きく違ってきたことだろうね。
餘慶寺薬師堂山麓の道は鉄道と交差するようになってきた、JRの赤穂線なんだね。線路の向こうに行ってはうまくない、このへんで、丘に登る道に入らなくては。
住宅地の狭い道だが、大丈夫、いくら狭くても生活道路だ、どんどん丘の上へと進んで行けるね。
余慶寺を案内する看板が角々にある、本来は、こんなところから来るはずじゃない道のようだね。裏道を進んでいるのだろうね。
角を曲がると、そこは寺の境内の中だったよ。
中央に参道広場が大きく広がって、駐車のスペースには何台でも止められるよ。
子院の白塀参道の突き当たりは神社なんですよ、豊原北島神社。これは地主神なんだろうなぁ。
たいていの地主神は脇へ退いているもんだが、ここのは、参道の正面にある。寺よりもはるかに格上のような配置になっているよ。檀家、信者が納得しているんだから、通りすがりのものは黙っているしかないがね。
東向き観音として名高いそうだが、観音堂がある。これが余慶寺の本堂なのだそうな。
看板によると、かっては、七院十三坊と多くの塔頭を抱えていたそうだが、今も子院が六院も存在している。見たところ、どの子院も繁盛しているように見える、近在に裕福な檀家信者がたくさんいるということだろうね。
山門の廃墟荘園と結び、戦国の豪族の庇護を受け、藩主の保護を受けたとしても、大勢の民草の支持があってこそ、山の上の寺院の群れが存続できることだからね。
来た裏道を戻るのは止めておこうよ。参道がまっすぐ南に向かっているのだから、そっちからの道があるに違いないよ。
突き当たりに山門があった。仁王像は撤去されていて、廃墟になってはいるが、ここから境内ということなんだね。
その先は山道のようで、自動車道は反転して山腹を縫って走っている。
麓に降りてみたら、見覚えがあるような、ないような、ここは通過したかしら、来た道とちょっと風景が違う感じだな。
いずれにせよ、余慶寺に向かうなら、丘の上を目指せばたいがいの道は余慶寺に集中することだと思うよ。

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