近畿不動巡拝

第一番 荒陵山 四天王寺 (こうりょうざんしてんのうじ)

99年7月31日参拝

西門
マニ車
あれは何時だったかな、納経帖を見ると、昭和58年4月16日と書いてあるよ。
もう記憶も薄れたな、もう一回巡拝してみよう。
ここが西門、たいがいの人はここから入っていくよ、西に沈む夕陽に西方浄土をイメージしたものなんだと。
今は建物が建て込んで、ちょっとイメージしにくいが、創建当時は、大阪湾、ちぬのうみに赤々と夕陽が輝いたものだろうね。
一番近い駅が「四天王寺前夕陽ケ丘」夕陽に愛着を覚える伝統は今でも脈々と伝わっているよ。
南大門から伽藍配置を
亀井堂
この門前には、占い、薬草売り、喜捨を求める坊さん、怪しげな連中がたむろしているんだがこれも四天王寺の風景なんだよ。門前だか門内だか境界が曖昧なあたりに、寄生を許すおおらかさが四天王寺にはあるのだよ。
大門を越えて中に入ろうか。手の届くところにからからと回る輪がある。これはマニ車、チベットラマ教の伝統の法輪だね。輪の中に経文が仕込んであって、回す度に経文を読むと同じ功徳があるということなんだがね。わたしも回そう、カラカラカラ。
南大門の方へ行こうか。こっちから見ると、四天王寺式伽藍配置、中門、五重塔、金堂、講堂が一列に並んでいるのがよくわかる。
創建当時は光り輝くパビリオンであり、大学であり、統治のカナメだったんだろうね。
上町台地の高みに建っているんだもの、どこからでも仰ぎ見ることができ、新しい時代の到来が誰にもよく解ったことと思うよ。
誰もが寄ってく亀井堂、ここには亀井不動が安置されていて、脇では経木の供養をしています。
亀の石から泉が湧き出し、その水を経木にそそいで水に浮かせる、重ならないよう長い柄杓でつついて水面いっぱいにまんべんなく広げています。これはなかなかにコツと根気のいる仕事だね。経木が充分に開いたかどうか、供養を頼んだ人が見ている前だからね、やかましい大阪人の願いは形に現れないと承知できないのだよ。
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