2008年4月20日
しぇるぱ単独
山域:島根県津和野町

津和野の丸い山、青野山

 

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これから登る青野山中国地蔵の巡拝で津和野まで来たんですよ。19番光明寺
中国道を六日市インターで降りて、下流へ下る、このあたりの谷は深いなぁ。海へ流れ出るときは高津川なんだが、ここでの名前はどう言うのだろう。
広島県岡山県では谷が深く刻み込まれる、そんなことはごく少ない。ここ、西中国山地では谷の空が狭い、谷が深いのだ。
六日市町と柿木村が合併して吉賀町となったんだがね、交通標識のポールを見ていて、どうも何かが違うような気がする。
ポールには、ここはどこどこ、と所在地が書いてあるもんですよね。それを頼りに車を走らせるのだ。
吉賀町柿木村大野原、吉賀町柿木村柿木、何か変だよ、集落の名前に全部柿木村と前置きがあるんですよ。
旧名を守り抜くぞと意地になっているのがありありと見て取れるよね。
別の例にこんなのがあります。
中国自然歩道の看板の前庄原市本村町というのがあります。昔々、町村合併で周辺の町村が合併して、本村という名前の集落、名前を本町ではなく本村町とすることを選びました。
本村小学校は本小学校という名前に変わりました。ここだけがネーミングの統一から外れているのですよ。いろんなのがあって、えらく柔軟だ。
本村町、この場合は、言葉の語調・勢い、それと、中心でもないのに本町とはさすがによぅ言えん、と社会通念に従ったものでしょうね。
さて、津和野町の町域に入って、国道9号線を南に向かう。
道の向こうに丸い山が立ちはだかっている。ははぁ、あれが青野山なのか。
津和野東大橋を渡って、青野山トンネルを抜けて、トンネルを抜けたところで谷底の津和野の町並みへ向かうのだが、そこは光明寺のページを見てもらうことにして省略、このまま国道9号線を進んで行くね。
巨大な赤い鳥居がある四差路に出ます。これは太鼓谷稲成神社へ誘導する道、ここは逆に左折して山へ向かう道を選びます。
青野河原交差点山裾をぐるっと迂回して、ぱっと青野山の全貌が見えてくる。へぇぇ、ずいぶんと丸い山だねぇ。
中国自然歩道の看板があって、交差点が幅広だからここに駐車しようか。
道標を眺めると、青野河原まで3.5キロ、登山口まで1.5キロ、登山口とは笹山登山口のことなんだよね。
青野河原までの道は、車は入れるが舗装路じゃないよ、地道、看板があって、通行止め予告、4月25日から5月24日まで終日通行止め、と書いてある。
車を突っ込むのは止めにしよう、どうせ青野河原からぐるっと一周してここまで帰ってくるのだ。ここに止めても同じことだもの。
道は無舗装の道だが、
わだちのデコボコを均してあって、車で走っても走りやすいと思うよ。
ただね、山水が染み出て道がぬかっているところがある。
メルセデスベンツなので汚したくない、タイヤがちびているから滑らないだろうか、そんなひとは踏み込まないほうがええ。
青野河原登山口あとで判ったのだが、道路工事ではなかった、材木の伐採だった。こういう事情なら、歩行者も通っちゃいけないと制限される場合があるかもしれないね。
この林道は杉の枝が鬱蒼としているのですよ。GPSが人工衛星をキャッチできない。軌跡が取れなかったが、補正しておいたからね。
林道の途中で、伐採された空間があって、そこから津和野の町がよく見える。
あそこが駅の周辺この角度からは太鼓谷稲成神社だな、また角度を変えると城の跡、ふぅん、津和野藩は幕末まで続いたのか。
調べてみると、幕府初期を除いて、亀井家が藩主、国民新党の亀井久興、亀井亜紀子は藩主の末裔なのだそうな。それで選挙が強いのか。
道の向こうに送電線鉄塔が見えている。地図とマッチさせるとクロスするのはこのあたり、ふんふん、今はこのへんを歩いているのか。
大きく曲がるカーブで津和野街・青野山の看板がある。津和野へ行くという道はシノダケの中だよ。とても歩けるとは思えない。
ここが青野河原交差点、道の反対側は舗装してあるよ。JR青野山駅から来たなら舗装路の上を来たのかもしれない。
津和野市街展望地道の終点は青野河原駐車場、広い駐車スペースがあってトイレがある。
ここからいよいよ山道が始まるのだ。歩き始めて間もなく、ベンチが現れた、バンガロー風のシェルターが現れた、雨宿りには便利だろうね。
ここの標示杭に、山頂まで1400M、さっきの駐車場からここまでが100Mかな、つまり、駐車場から山頂までは1500Mということになるね。
がんばれあと1300M、津和野小学校の自動の手製の看板が励ましてくれる。
どの看板も、94.6.5(H6.6.5)、みんな14年前のものです。設置した子らも、今では26歳になったことだろうね。
その日は日曜日と書いてある、PTAか子供会の行事なんだろうね。サポートのひとびとも草臥れたのか、その年限りのイベントで終わったようだね。
小学生だから登れるんだよ。26歳の若者になれば、登ろうと声をかけても、登る若者がいるかどうか、怪しいもんだよ。
道は植林の中へ右折して行く。すぐに元の方向へ左折して、さらにその先へ進んで行く。1000Mの看板が励ましてくれる。
青野山王権現森の中から草地へ出て来た。ヤマザクラがたくさんあるが、植えたものだろうか、自生のものだろうか。
ヤマザクラがまばらなので、展望がよく効く。あれは国道9号線、JR山口線が走っている谷だな。
橋が赤く塗ってある、そうか、来る時に通った津和野東大橋だ。ポイントが判ると、ピタッと全部判ってくる。
あと800Mの看板を過ぎると、この先で道は曲がって、山腹の道から尾根を登る道に変わった。
ここで600M、この間の200Mはかなりこたえたぞ、急な登りになったので、感覚的にはもっと長く歩いた感じがしている。
ここからは、きちんと100M毎に看板が出てくる。巻尺を使ったのか、歩数を換算したのか、子供にはじゅうぶん学習になったことと思うよ。
あと500Mのところで尾根が細くなり、あと400Mのところで植生はリョウブの林に変わり、ここが津和野市街展望地、なるほど、見える、見える。
残念なことに、朝のすっきりとした展望と違って、空には黒雲がひろがってきて、重く垂れ込めたモヤに覆われて遠くは見難くなってきた。
青野山三角点ここからはゆるゆる散歩で、頂上部の丸いカーブに沿って歩いているのだな。梢の隙間から見える、円頂部の曲線が見えるぞ。
頂上には青野山王権現の石の祠がある。石室の中には石像があって、ひとつの大きな石に6体の像を彫りこんでいるように見える。
これは仏像だろうか、山王の使いならば猿だろうし、漁師の崇拝が篤いということなら、なんだろうね、漁師群像かしら。
思いっきりへたくそな彫像なので、どんな方向へも想像を広げることができるよ。
山頂は切り開かれた草原、岩原で、岩と岩の間に三角点がある。
三角点より山王権現の祠のほうが高いように思える。
北側からカシミールのカシバード(透視図)を展開しても、青野山の三角点は示さない。そりゃそうだ、山王権現の祠のピークが視野を塞いでいるからだ。
頂上からひろがっている視野は東への方向だと思うのだが、ここより高い稜線が連なっている。モヤが晴れたらもっとはっきりするのに、それが残念。
屈曲点から県境をさぁ、南方向への道を降りて行こう。
下りの道は一気に雪崩落ちるように下って行く
落ち葉が積もっていて、うかうかすると足許が滑る。二度ほどみごとに転んでしまった。足を取られて踏み留まったのが何回もある。油断ならないよ。
曲がり角に切り開きがあって、麓の集落・笹山が見える。その先に丸い山々が見え、その先は山口県ではなかろうか。
津和野と山口とは、国道9号線JR山口線を通じて極々親しい関係にあるのだ。
消費行動で、県内の益田に向かうより山口市に向かうほうが自然なことだと思うよ。
こっちの斜面にも100Mごとに看板が付けてある。同じく94.6.5(H6.6.5)の小学生の作業です。
あと1000Mの標識のあたりから傾斜が緩んできたような気がする。あと1100M、あと1200Mの看板では明らかに道が平らになってきた。
笹山登山口子供の看板であと1300Mがあって、ポンと杉林から林道へ飛び出す。
振り返ると、鳥居があって石灯籠もある。ここからは青野山王権現の結界だという宣言なんですよ。
道に下りると道標があって、笹山登山口、山頂まで1.3キロ、反対側の青野河原駐車場からは1.5キロだから、こっちがちょっと短い。傾斜もきつい。
ここからは舗装路をゆるゆる、ぶらぶら。車を置いた交差点まではのんびりと戻ればええ。
さぁ、戻ったぞ。ぐるっと青野山を一周したわけだ。青野山を振り返ると、ほんまに丸い山だよねぇ。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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