2008年4月5日
お山歩くらぶメンバー(みーとさん、鴨さん、ほーちゃん、研さん、しぇるぱ)
山域:広島県庄原市

東城の五品嶽ごほんがたけ城址と福寿草

 

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正面に五品嶽今日はお山歩くらぶのオフ会です。
庄原市東城、福寿草を鑑賞して、そのついでに、どこか近所の山に登ろうか、こんな趣旨です。
集合場所は東城インターの出口前の道の駅、遊YOUさろん東城、ここの駐車場です。
前の晩、夜更かしして読書したので、ちょっと眠い。うとうとしていて、気が付くともうみんな集合していました。
こんちわぁ。どうしましょ、日が差さないと福寿草は花が開かないのですよ。2時3時が一番ええ、そんなもんなんですと。
それなら、順番を変えませんか。城址を先に登りましょう。その後で福寿草を見ることにしませんか。
なら、車を移動させましょう。東城病院の駐車場、ここに止めさせてもらいましょうよ。
ここからは歩き、橋を渡って、橋の正面に見える山が
五品嶽ごほんがたけ、城址なんですよ。
東城の真ん中を成羽川が流れているでしょ。川の東側が川東、川の西側が川西、そのまんまの地名なんですよ。
ほら、歩道橋のあるところ、五品嶽城跡、と案内が出てるでしょ。車で通過したのではこの看板は眼に入らない。歩いてみなきゃ絶対見つけられないって。
神社への登り坂鳥居には天満宮とあるでしょ、こっちの石灯籠には金比羅宮、ずいぶんと寄り合い所帯のようで、主神はどなたなんでしょうね。
拝殿はごく普通の見かけですね。拝殿から渡り廊下があって本殿に向かう。渡り廊下の裏側に賽銭箱がぶら下がっている。こんなのは始めて見たな。
拝殿の前にちゃんと賽銭箱はありますよ、それよりもっと本殿に近いほうが願いが強く叶うと賽銭箱がここにも設置されたんだろうか。
主殿の周囲を摂社・末社が取り巻いている。そのうちのひとつが平和神社、驚いたね、こんな神様は戦後に請来されたんだろうね。
え、どこから?どこにある神社から勧請したのかね?  どこだろうねぇ、平和の大神はどこにおらっしゃることだろうねぇ。
神社の境内を抜けて、山を鉢巻きに巻く道に出て来た。ミツマタの黄色い花が咲いている。ここは左に曲がるのだよ。
始めて看板が出て来た。五品嶽城跡と世直神社、へぇ、あの神社は世直神社と言うのかい。
あまりに聞き慣れない名前なので、ネットで調べてみた。
福島正則が安芸備後に領国を任じられて、家老の長尾隼人が東城一万石に任じられた。長尾隼人は城の名前を世直城、神社の名前を世直神社と改称した、のだそうな。
福島藩政は短かったからね、世直神社とは標識に名前を残すだけで、町の人々はこんぴらさんと親しんでいるのがどうやら現実らしい。(庄原市の観光口コミ情報)
五品嶽城跡と世直神社最初はゆるゆると登る道なんですよ。水平道と登りの道の分岐が現れる。ここは登りの道を選んで、ここからは登って登っての道になります。
道は広い道で、五品嶽緑地環境保全地域、整備が行き届いて、歩くのに何の不自由もないね。
モミ、ケヤキ、カシの大木が林立している。福島氏の跡を継いだ浅野家は五品嶽城を廃城にした。廃城の後も山を荒らさず保全に勤めたものとみえます。
稲妻形に切り上がった平地がかやのなる、ここの平地に
五品嶽城跡ごほんがたけじょうせき、と解説の看板があって、ごほんがたけと読むのだと、やっと正しい読み方を教えてくれる。
別名、五本竹城とも世直城とも呼ばれて、現在は、通称城山、地形図の名前も城山となっているが、創建当初の名前を尊重して、五品嶽城と呼ぶことにするかな。
井戸の穴が大きく開いていている、落ちたら脱出に苦労するだろうな。あまり近寄らないことだね。
ケヤキが
なる太鼓のなる、これらの平地を過ぎて、常の丸、ここは草原の平地で、一段高いところに櫓の跡地がある。
登山道は巨木が多い中世の城は、どれもこれも土の掻き揚げのみで、石垣の工作跡は見当たらないものだが、この最高地点には石垣がある。近世の初期に補修した城なんだねぇ。
遺構の姿がよく残っていて、土木跡の起伏を見れば、往時の建物・将兵の収容人員などが推定できる。かなりの将兵を養ったものだろうねぇ。
役場の人員と城の将兵足軽の人員は似たようなもんだ、こんな仮説を立てております。
年貢にしろ税にしろ、余剰人員を養う余力は現在も過去もそれほど違わないだろう。こう考えると、旧町役場の総人員が城の総人員と大差ないと考えても、大きな間違いはないだろうさ。
五品嶽頂上は立ち木が伐採されて草地になっているが、ぐるりと立ち木に取り巻かれているので展望は貧弱だ。
西に、この峰から連続した高峰が見えるが、いったん大きく降りて登り直さなきゃならない。堀切の土木工事跡があるのだとさ。
ちょっと早目だが昼食にしましょう、食べ終わったところで降りて行きましょか。
下の分岐で水平道があるでしょ、城の出丸に進むんですよ。平地にベンチがあってね、そこから小学校が正面なんです。低学年の遠足の場所じゃないかな。
五品嶽城跡、常の丸神社まで降りてきました。石段から見ると東城の街が丸見え、かなり密度が詰まった街で、自立する気概を持っている街のようです。
意気込みだけでは財政悪化を乗り切れないよなぁ。止むを得ず、合併の道を選ぶしかなかったのだよねぇ。
商工会を市内統合一本化しようとの動きに逆らって、東城商工会は単独でやると蹴飛ばした。意地を張ってでも、東城モンロー主義を貫くんですって。
バイパス沿いの道でなく、路地の道を歩きましょ、ということで、古い街道に沿って歩く。狭い道だが、この道が東城往還だったのだよ。
屋敷の土蔵のシャッターに東城信用金庫と書いてある。へぇぇ、その昔、この土蔵が信用金庫だったのだ。
大通りに進むと、しまなみ信用金庫の建物がある。こんな山の中にしまなみの名前を見ようとは。
平成11年に東城信用金庫は福鞆信用金庫と合併し、平成15年、福鞆信用金庫は合併して、しまなみ信用金庫という名前になった。
ほら、ねぇ、東城の町は庄原と一体化するのを宜しとはしていないのですよ。視線は南の福山に向いている、川下の岡山県に向いているのです。
路地に人出が多いなぁ。 うどん、食べていってください。そば、食べていってください。
ははぁ、東城まちなみ春まつり、このイベントが開かれているのだ。商家、民家の入口にはおひなさまが飾ってある。旧暦のひなまつりなんだね。

詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります

為重の福寿草への分岐さて、今日のメインイベントは福寿草です。
東城インター出口、道の駅の前まで引き返して南下、国道に行かずに県道に沿って進む、これが肝心です。
中国道の高架下から道沿いに緑の幟が立ててあるので、幟に従って進めば間違いありません。
高架下からすぐに為重集落、分岐に、みちのく福寿草自生地入り口、と巨大看板があるので、まず間違うことはないでしょう。
坂道の舗装路をを登りきると、そこはライスセンター、秋の収穫期に刈り取った米が持ち込まれます。
今は閑散期、なんぼでも駐車可能だし、今日明日は福寿草祭り、地元の人がテントを設営して待ち構えています。
祭りにしては駐車している車の数が少ないなぁ。客より売り子の数のほうがはるかに多いぜ。
はっぴを着ている人が世話人整理員なんだね。そのひとたちを追い越し掻き分けて福寿草の順路に入って行きます。
総領で節分草が咲いていますよね。その咲き始めの頃に、もう、ここの福寿草の幟は道端にあります。
まだ福寿草は雪の下に埋もれているのですよ。そりゃ、先触れPRは必要なことだが、これは早すぎ、フライイングだよねぇ。
近いから、為重の福寿草自生地ちょいちょい咲き具合を覗きに来ていたんですよ。
まだ芽も出ていないころから、咲き始めたころ、今週半ばにも、時々来ては咲き具合を観察していました。
四日前よりはるかに、咲いている面積が増えている。
福寿草祭りを今日明日に設定したとは、地元の人の観察判定は大したもんだね。どんぴしゃり、満開の時期に当っている。
黄色い絨毯だよ。横から眺めると福寿草が連なって分厚くずぅっと連続して見える。
関西で福寿草というと、鈴鹿の山の上まで、雪の道を、泥濘の道を、苦労して登らなければ巡りあえないのだ。
彼らがここを見ると、憮然としてしまうだろうね。価値観が揺らぐかもしれない。
看板によると、キタミフクジュソウ、ミチノクフクジュソウ、フクジュソウ、シコクフクジュソウ、日本のフクジュソウは四種に分類されるのだそうです。
違いは、花の数、葉の違い、花弁の大きさ、ふぅん、種の違いといってもそんなに大きく違うのではなさそうだね。
養鶏場から奥の福寿草ここまでの順路に加えて、別の順路が山沿いに伸びている。そっちは1キロ先まで伸びているそうなので、長いね、またの機会にしましょうか。
次の福寿草の自生地に行きましょうか。
為重から県道をさらに南下する。谷を登り詰めて峠に至る。峠に東城ポートリーと看板があるでしょ。養鶏場なんですよ。
峠の道を養鶏場の方に進んで行く。
鳥インフルエンザ防止のため立入禁止と立て札がある、こっちだって鳥インフルエンザに感染したくはないよ、近寄らないさ。
養鶏場の門前の駐車場にたくさんの車が止まっている。全部従業員の車なんです。養鶏場の雇用するちからは大したものがあるよ。
南の府中市から岡山県の県境沿いにさらに東城の北部まで、広島県岡山県、たくさんの養鶏場が立地していて、養鶏場ベルトを形成している。
全部で何千人のひとが職を得ているのだろう。
養鶏場の前の四つ辻を左へ曲がります。
農家のゲシに福寿草が一軒の農家があって、農家の庭先の斜面に
(広島県ではこれをゲシと言うんだね、岸が転訛したものだろうか、庭先やたんぼなど生活に根ざした斜面はゲシ、山の斜面や崩壊地の斜面はゲシとは言わないよ)
農家の庭先の斜面に、福寿草が自生しているのです。
なぜか、ここの福寿草は塊りを作ってコロニー状態になっているのが多いんだね。
為重で世話するひとに、為重のとここのと、どうして状態が違うのでしょうと聞いたのだが、土の味加減かのぅ、栄養の違いかのぅ、という答だった。
ほら、斜面に石灰岩が露出しているでしょ。石灰岩が崩壊して、土地が弱アルカリ質なので、帝釈峡近辺は福寿草には体質が合うのだそうです。
研さんがアマナを見つけた。ほら、これがアマナ。ほぉ、アマナとはこんな花なのか、始めて認識したぞ。
じゃ、これで解散しましょうか。さらに花を追うひとは帝釈峡に向かうし、帰るひとはそのまま帰って行くし、お疲れ様でしたぁ。

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カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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