2009年9月19日
しぇるぱ単独
山域:島根県安来市

別の比婆山、出雲の比婆山

 

画像をクリックするとそのままそこだけ拡大表示されます
Microsoft Edge のユーザーは、画像・テキストにちょっと触れてください、その効果で、ポップアップページは消えます
Internet Explorer Google Chrome Mozilla Firefox のユーザーは何もしなくてもポップアップページは消えて行きます

 

比婆山登山口、横屋参道の入口比婆山は広島県にあります。
だいぶ前に、島根県にも比婆山があるのを知りました。いつかは行って見なくちゃならんね。
機は熟したぞ、今日行こう。県境を越えておろちループから、
亀嵩かめだけを抜けて行く。ここんとこ亀嵩かめだけ近辺に集中して行っているのですよ。
奥出雲町から安来市に入る。ドライブマップで学習しといたのは、国道532号線から県道258号線に入って行くこと。
入っていったが、県道とは名ばかりでほとんど林道と変わらないじゃないか。峠を越えると、奥出雲町のウェルカム標識が出ている。
変だ、地図と現実とがマッチしていない。あまりに怪しいので引き返そう。
引き返して国道をそのまま進むと、再び県道258号線の案内が出てきた。
比婆山久米神社ドライブマップを熟読すると、県道258号線は南から国道に繋がって、しばらく国道の上を走って、東へ抜けて行くのだ。
国道からすると、二本の県道258号線が刺さっているのだ。
今度の県道258号線はちゃんとした道で、順調に進んで行ける。
このまま進めば安来市中央、川沿いに不意に看板が見える、比婆山の案内図だ
神社があるのだが、駐車場はいっぱいで道のふくらみにも止めてあって、もうこれ以上余地がない。
しょうがないので、止められる場所を探して、集落はずれに下水道浄化槽がある。そこには広い駐車スペースがある。
ちょっと遠いが文句を言ってもしょうがない、ここに止めよう。
引き返して、橋を渡って、神社の前、鳥居を潜って神社の境内から入って行くのかなぁ。
横屋参道は古い道ガイドブックにはそんなことは書いてない。あたりの風景とガイドブックの内容がマッチしないがなぁ。
ガイドブックはヤマケイの分県登山ガイド、島根県版、随所に怪しい箇所があるので、島根県版については全然信用していません。
神社を素通りして舗装路を進む。どうも風景に変化が起きないのが変だねぇ。
引き返そう、神社の中を突き抜けて歩いてみよう。神社の名前が比婆山久米神社
鳥居を潜って、拝殿の前庭の左隅、川沿いのところに道が見える。近寄ると、案内標識があって石段が見える。この道なのだ。
馬もすれちがいできそうなほどの広い道で、古い道なので、雨水が掘り込んで塹壕のように深くえぐれている。
霊社さんとか、社日山などの標識があるが、指差す対象が見当たらないから、気持ちは未消化なまま進んで行く。
国道分岐の絵看板に社日山展望台とあったので、社日山は展望台の意味だろうと推測したが、霊社とはなんだろう。
玉抱石みたまやしろ、とでも読むのかしら。そのような社祠は見当たらないし、このあたり一帯に霊魂が充満しているということかしら。
寺院には辛酸をなめた霊魂が取り巻いている印象があるが、神社には明るい霊魂ばかり、わたしはそんな印象を持っているのですよ。
なんでそんな印象を持つの?
寺の背後には墓地があるが、神社には墓地はない、だから、そんな気がするのかなぁ。
案内標識は、山頂まであと700メートル、500メートル、200メートルと次々に教えてくれる。
玉抱石を示す標識があって、玉抱石は道から逸れた場所にあるのだそうな。寄ってみようか。
道からそんなに離れてはいない、へぇぇ、これが玉抱石なのか。ふりがながあって、たまかかえいし、とかなをふってある。
神社の廃墟石の表面に玉が外れたような穴がたくさんある。昔々は穴の中には玉が詰まっていたのだろう。
そうかな、火山ガスかもしれない。岩が凝固するときガスの抜け穴かもしれない。
穴はどれもこれも、同じ大きさ、同じ深さ、ガスの量・圧力をコントロールできるはずもないし、この仮説は間違いかもしれない。
子に恵まれない夫婦は石に触れると玉が飛び出して胎内に入り元気な赤子として生まれる、そんな伝承が看板に書いてあります。
石の抜けた穴は、赤ちゃんが生まれたしるし、そのように見立てておくと夢があるよね。
登山道に戻ってすぐのところに石の鳥居がある。柱は立っているが、横に通る、笠木、島木、貫は折れて地面に落ちている。
こぶを越えると、広場がひろがって、拝殿跡、本殿跡などの看板があって、ここに古い神社があったことを示している。
看板によると、麓の比婆山久米神社の奥宮と書いてある。
神社の背後は御陵広い広場なのに、草を刈り払って遺構が草に埋まらないように丹念に手入れしてある。
さらに進んで、次のこぶに向かう。
陰陽竹というのがあって、幹は竹で葉っぱは笹の葉、ここにしかないので県の天然記念物にしている。
伝承があって、イザナミがここに登ったとき、使った竹の杖が根付いたのだ、そんな伝承です。
標識の矢印があって、わたしの登った道が横屋参道、左の谷に下りれば峠之内参道、このまま進めば清水掻参道。
あれぇ、わたしは横屋参道を登ったのかい。
ガイドブックは峠之内参道から登るコースを示している、道理でガイドブックと地形がマッチしないわけだよ。
これはガイドブックに失礼しました。
尾根をまたいで谷道へそのままこぶを登ると、神社がある。
神社には比婆山久米神社と扁額がある。拝殿本殿の背後が塀で囲んであって、そこが伊邪邦美大神御神陵と案内がある。
境内からは中の海が見えている
イザナミの墓としては広島県の比婆山が有力だが、あんな人里離れたところにあるものなのかなぁ。
ごくごく里山、海も見えるこの地のほうがひと臭くてええがなぁ。
イザナミとイザナギはもともとは夫婦なんだが、イザナミの死後、二人の間に猛烈な戦いがありました。
神々の戦いが人里放れた山奥であったほうがええか、裏山であったほうがええか、わたしは人里に近いほうを支持するね。
建物自体はそれほど古色を感じない、ほら、古い神社にあるでしょう、なにごとのおわしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるる、胸に迫るなにものかが感じれられない。
この先から舗装路先ほどの古い神社跡、これを壊して新しくここに建て替えた、のではなかろうか。
明治大正昭和の神国日本の狂乱の時代がありました。狂ったように皇国史観に凝り固まった時代がありました。
神社の左に尼子道跡と矢印がある。これが
清水掻こりかき参道、こりかきと読むとは思いも付かないでしょう。
しばらくは山腹を歩くが、稜線に乗ったところで稜線をまたぐ、反対側の谷を降りて行くのだよ。
谷は狭まって咽喉の隘路を示すが、すぐに広がって、刈り払われた道に出てくる。
谷道の終わり、橋を渡ると舗装路があり、たんぼに沿って歩くようになる。
農家があって、山裾の道路と合流する。
道路を上に登れば
清水掻こりかきの集落、ここも清水掻こりかきの一部なんだろうね。
清水掻集落への道道を歩いて行くうち、今朝の風景と出会った。ここ引き返したのだ。その場所まで戻ってきたのだ。
そのまま歩いて、神社の前、橋を渡って浄化槽の駐車場まで戻って来ました。
振り返ると、比婆山の稜線が盛り上がって見える。あの道を行ったのだな。
県道を戻っていると、比婆山入口と看板が見える
峠之内たわのうち参道の入口なのだ。
北から進めば看板が見えるが、南から来ると物陰で看板は見えない。
横屋参道で始めて比婆山入口と看板に出会って、ガイドブックの登山口と錯覚したのだ。
ガイドブック島根県篇を散々けなしているが、今回はわたしが悪かった。ガイドブックに罪はありません。

OS,プラウザの種類、ヴァージョンによっては、JavaScriptErrorと宣告され、表示されない場合があります。
その時は下の文字、数字をクリックしてみてください。
1 2 3 4 5 6 7 8 9





詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。
でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます


前ページへ

あちこちの山へかえる

トップページへかえる

 囲炉裏へリンク