2008年4月27日
しぇるぱ単独
山域:島根県益田市

全部舗装路、益田の比礼振山ひれふりやま

 

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乙子下組の変電所中国地蔵を巡拝しておりますが、今回は益田市の20番妙義寺、寺のあとは、近くの山に登るのを恒例にしております。
どこかにええ山はないじゃろか、で、見つけた山が
比礼振山ひれふりやま、ここに登ろうか。
妙義寺から山裾に沿って、川を渡って、医光寺の前を過ぎたら車のスピードを緩めてね。
再び益田川を渡ろうとする、上流には大きな橋が見える、この道は国道191号線なんですよ。国道はトンネルと橋が連続しているんですね。
医光寺からの道は八坂橋を渡って国道と合流しようとしている。ここでは橋を渡らない。川沿いに崖下の道を、国道191号線の橋の下の道を進んで行くんですよ。
坂道を登ると、ただいま建設中の道路に合流する。登り方向へは使用可能だが、下り方向は、今はカラーコーンで封鎖してある。
乙子下組、ここから比礼振山の道帰りに確認したのだが、この道は、石見西部広域農道で、すこし上流に新田倉橋が完成していて、来月か再来月からはこの道が使えることと思うよ。
比礼振山への道案内、ネットレポートも、一部内容が書き換わると思う。
さて、その立派な新しい道をどんどん登って行く。
行く手に変電所が見えてくる。変電所の手前の分岐に、比礼振山山頂2.5km と案内標識が出てくる。
この先は舗装路なんですよ。そのまま車で進んでもええよ。事実、頂上まで舗装路で、車で行けばそのまま行ける。
きみは歩きに来たのだよね。歩こうね。分岐は道が膨らんでいるから、車数台を置いたとしても何の不都合もないと思うよ。
舗装路をぽくぽくと歩いて行く。
登り坂が尽きて道は下りになっている。峠を越えれば、こっちの集落からそっちの集落へと移って行くのだ。
簡単な峠峠の向こうに、お宮登山道と矢印標識がある。矢印方向は、とりあえず歩く方向、頂上は真正面にあるのだね。
矢印を90度動かして、目標位置はあっちと示したほうが適切なのかもしれないね。
通りがかった地元のひとに、比礼振山は、と聞いたら、権現山ですか、と返事があった。
権現山はあの方向、と教えてもらったが、地元民は比礼振山とは言わないのだ、権現山というのだ。
集落のそれぞれの家屋への道には入らずに、太い道をそのまま歩いて行く。
柱が立っていて、佐毘賣山神社→、堀江・代古屋←、と案内標識がある。堀江・代古屋とは民家の名前だろうと解釈して、ここは佐毘売山神社の方向へ歩を進める。
次は、四差路になっていて、ここは当然、幅の広い道を進めばええのだろうな。比礼振山山頂1.3km と案内標識もあるし、間違いない。
道標の向こうに比礼振山電柱の系統名が権現支となっている。はてな、最初に見た名前は乙子宮支だったはずだがな。どこかで入れ違ったのかしら。
帰り道で、その疑問は解消しました。権現支とは電力線の名前、乙子宮支とは農協の有線放送の名前、ふたつを混同したわたしの間違いだった。
道の幅が広がってなんぼでも駐車できる体勢になったぞ。ここは神社のお祭りどきの駐車場所のようだよ。
神社の由緒看板があって、
佐毘賣山さひめやま神社という名前なのだそうな。
看板の毘の文字が田に比ではなく、日に比と表現してある。昆の字なら昆虫の昆、毘でないとさひめとは読めないぞ、これは書き誤りだと思うよ。
金山姫、埴山姫、木花咲耶姫の山神がそもそもの始まりとある。その後、いろんな神も併合して祭ったとある。
柱に道標がある分岐佐毘賣のとは、小百合、早乙女などと同様、ちいさな、かわいい、の接頭語で、さひめと声に出せば、意味は明らかでしょう。
しかも、
佐毘賣山さひめやま神社は乙子の集落にあるのですよ。さひめおとこに守られている、これは偶然にしても、よくできたお話しだね。
石段の下に神楽殿があって、本殿は石段の上、手水鉢の水は泉の水かと思ったら、地下100メートルの下からポンプで汲み上げているのだそうな。
わざわざ井戸をボーリングしたのかい、ありがたいような、そこまでせずともええような。
下からがやがやと話し声が聞こえてくる。振り向くと、大勢のハイキングの団体だよ。こりゃいかん、追い付かれる前に先を急ごう。
頂上の通信塔の先端が見えている。頂上はすぐそこなのだが、車が登れる勾配に道を作ってあるのでぐるぐると左右に折れ曲がって、頂上まではなかなかだよ。
佐毘賣山神社頂上に着けば通信塔の周囲は広場になっている。
この比礼振山の看板の伝説を読んでいるうち、後続の集団に追いつかれてしまった。30人は越えているだろうな。
地元のひとですか。広島です。広島の市内から来ました。あぁ、わたしも広島県、三次ですがね。
話しかけるのに、どこから来ました、とストレートに聞くと返事がない場合がある、身元調査のようで嫌がられることもあるんですよ。
地元のかたですか、この聞き方がええのだよ。いいえ、違います、これに続いて、どこから来たかを続いてしゃべってしまう。
いいえ、違います。このまま口をつぐんだら諦めてね。話しかけられるのを迷惑に思うひともけっこういるからね。
三角点が広場から離れたこんもりとした高みにあって、高みは岬状に突き出している。その先端に祠がある。蔵王権現とある。
広場の隅に、別の伝説の碑があるが、これは想像の産物のようで信用ならないなぁ。成功者の自己顕示の自慢ばなしだと切り捨ててしまってもええと思うよ。
頂上の蔵王権現ノストラダムスの予言のように、破滅を予言していて、これを避けるにはこういう風にああいう風に、と人生訓話を彫り込んである。
ほんとはこの広場からの展望はよく効くということなのだが、今日はだめだ、ぼんやりと薄霞んでいて、海でさえ、陸と海との境い目が判然としないよ。
展望のええところは団体さんに占拠されてしまった。衆寡敵せず、これも仕方が無いところだね。
降りよう、降りよう。
佐毘賣山さひめやま神社まで戻ったが、本殿から石段が道まで続いていて、道の下にさらに石段が続いているのだ。
ずっと舗装路ばっかりだったので、舗装路以外の道も歩いてみたいよね。石段を降りればどこに出て行くのだろう。
降りれば鳥居がある。鳥居には扁額があって、読みづらいのだが、たぶん佐昆賣山神社、昆の書き間違いの根拠はこの扁額にあるのではなかろうか。
比礼振山の頂上広場鳥居の下には道が横切っていて、さらに下への道はない、左右への道があるだけだ。
左へ道を取ると、登りに見たポイントに出た。柱があって、佐毘賣山神社→、堀江・代古屋←、と案内標識があるところ、そうかい、ここに出るのかい。
あとはゆるゆると道をたどればええのだが、季節だねぇ、蛇がアスファルトでひなたぼっこをしているよ。
それも、一匹を見て、さらにその先でもう一匹寝そべっていた。
季節はよくなるのだが、蛇だけは仲良くなれないね。蛇のいない秋から冬がわたしの一番好きな季節なんですよ。
比礼は領巾とも書いて、古代の女性のスカーフのようなものなんだがね、その比礼を振ると、蛇や毒虫を振り払う魔力があるっちゅうことなんだがね。
蛇が出たんだもの、比礼振山の効果はなかったね。権現山のほうが言い馴染んでいる、こんなことで魔力は消えてしまったのかしらね。
佐毘賣山神社の鳥居さて、駐車した場所まで戻ったぞ。
まだ時間もあることだし、高速道路を使わずに下の道を使って県境を越えようか。国道191号線で戻っていこう。
益田川の上流に久々茂という集落があって、そこから比礼振山へ別の登山路があるのだそうな。
舗装路がお嫌いなら、こっちから歩けば山道を堪能できるらしい。ほんとはこのコースを歩きたかったのだがね。
ぐいと鎌首を持ち上げる尾根道が国道から見える。なるほど、歩き応えがありそうだ。
ここにはダムが出来ていて、ダムは完成したのか、まだその途中なのか、ダム越しの尾根道を見ると、ほんま、歩き応えがありそうだ。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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