2010年10月11日
しぇるぱぁに、しぇるぱ
山域:広島市安佐北区

参道の山、可部の福王寺山2

 

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下町屋橋を渡る可部の親戚との世間話しで、可部の福王寺とは、すごい寺だ、大きな寺だ、と意見が一致しました。
へぇぇ、そんなにすごい寺なの?見てみたい。
ということで、福王寺山に登ることになりました。約束してから2週間、この程度なら待てる範囲だよねぇ。
この山の麓で駐車場所はなかなか無いのだよ。見つけたのだよ、廃道となって取締りの対象にならない道があるのだよ。
可部バイパスがあって、南原峡へ行く道が交差しているところ、交差点名が南原、南原川が流れていて下町屋橋がかかっている、その橋の可部寄りのところに道がある。
この道は、可部バイパスで潰されていて、塞がれていて通り抜けできないのだよ。道路じゃないから、道路交通法の規制にかからない。
ここに車を置いて、バイパスを横断して、南原峡のほうへ歩いて行く。
石州街道の一里塚の遺跡があって、すぐに、左福王寺道と石碑が出てくる。ここで街道から離れて山麓の道を進んで行くのだよ。
道端に対の石灯篭がある。なんの標示も看板もないが、合図としては充分だよね。当然、福王寺への参道入り口だと思わなきゃね。
入って行けば、しばらくは草の道だが、ちゃんとした昔ながらの参詣道だ。踏み固められた道が続いている。
石灯篭が目印コンクリートの橋を渡って、舗装路に出る。舗装路を右に進めば、通常の参詣道なんだよ。ここは左に行こう。このまま舗装路を歩こう。
産廃業者の事務所が並んで、産廃用具の倉庫が続いていて、広い土砂置場があって、ダンプが何台も捨てにやってくる。
ここはしばらく我慢なんだよ。土砂捨て場を過ぎれば、ほら、行き止まりで、行き止まりの左に小道があるだろ。
行き止まりの壁の向こうには、道があって、おそらくたぶん、可部六丁目からの道だと思うよ。
降りて来るひとに、この道はどこへ出ますか、と聞いたら、亀山へ出るとのことだった。
亀山五丁目と可部六丁目は隣り合わせだ。それぞれからの道があるのだ、地図から判断するとそういうことだろうな。
道は細くてもコンクリート舗装で、ただし、砂利コンクリートではなく、土コンクリートのようで、踏むと反発が柔らかい。
丁石が出てきて、十六丁、十五丁、十四丁と、カウントダウンしながら続いている。
道の上に鉄骨の構造物が見えてくる。展望台なのだ。
登ってみると、阿武山と白木山に挟まれて、可部の町並みが見えている
行き止まり可部の街は、根の谷川に沿って谷間に出来た街で、狭い谷で、太田川で断ち切られて、ぎゅーっと縮まった街としか見えないだろ。
この先は、舗装路を行くんじゃないよ、岬のように突き出した尾根を進む。尾根への石段を登るんだよ。
尾根道は福王寺への参詣道で、広島県自然歩道に指定されている。
広島県自然歩道とは必ずしも全線が整備されているわけじゃないのだよ。ここの標識は新しくなっているが、朽ちてぼろぼろで文字も読めない標識がなんぼでもあるよ。
バイパスが出来たり、町道市道が付け変わったりで、もとの自然歩道は草に埋もれて、見捨てられている例はなんぼでもあるよ。
ほぼ尾根の上をたどって、サーフィンのように上下しながら歩いて行って、ここで舗装路へ下りて行く。
ここが駐車場で、この先にも車道は伸びているが、消防自動車や工事用車両など限られた車しか入っちゃいけない。
真言宗金亀山福王寺の看板がある。金仙の亀の石碑、それはねぇ、開山創建の縁起でね、めでたい瑞祥の伝説を語っているのだよ。
道の途中で、木々が開けて、歩いてきた尾根、足もとの谷が見えている。可部の谷はもう開発できないので、周辺の山の上を切り開いて団地を造成したのが見える。
ここが分岐なのだよ。下への道は南原への道、帰りはそっちの道を帰ろうね。
展望台寺よりだいぶ手前なのだが、一丁の丁石がある。えらく気が早い。門前までまだまだだいぶあるのにね。
ここが最後の尾根のしわ、巨石がむき出しになって尾根が遮っている。巨石の隙間から尾根を迂回して進む。
ほら、仁王門が見えている。ちゃんと寺造営の古典的な規矩に則ってある。
仁王門の背後、石段の上に巨大な本堂がそびえている。
鎌倉時代、あるいは平安時代後期の創建になるということだ、代々の大名領主の庇護を受け、今に至るのだそうな。
何回か火災に遭って、本堂は焼失し、再建を重ね、現在の本堂は1982年に再建されたもの、昔の規模のまま再建したとしたら、巨大寺院だよねぇ。
1982年なら最近のことだよ、道路で物資は輸送できるが、鎌倉期から江戸期、道は牛馬が通うのが精いっぱいだったと思うよ。
材木は現地調達、瓦は運べないから屋根は檜皮ぶきにしなきゃならないだろう、檜皮なら現地調達できる。
本堂は異様に巨大で、隣の阿弥陀堂もけた外れに巨大だよ。
代々の領主大名の庇護を受けた歴史はわかる。明治以降、檀家をどこに求めたのだろう。大名の庇護を失って衰退した寺はなんぼでもあるものね。
福王寺の駐車場最近のことなら車で登るのは普通のことだが、明治大正期には歩くしかない、そんな状態で、檀家を得た・繋いだとは不思議に思うよ。
本堂から渡り廊下が延びていて、大師堂へ結ばれている。渡り廊下の下を歩いて金亀池のほうへ歩いて行く。
この寺は弘法大師が開山したと伝説があり、この池の金の亀が瑞祥を示した、ということで、金亀山福王寺と金の亀を山号に取り入れた縁起があるのだよ。
小山めぐりと標識があって、四国八十八ヶ所のレプリカを拝んで進むのだよ。
下から来た道と合流してさらに進む。歩いて、最後の急登を登れば三鬼堂、三鬼大権現のお堂に達する。
三鬼大権現とは宮島固有の信仰で、宮島弥山の頂上肩に三鬼堂という立派なお堂がある。その三鬼大権現を勧請したものだね。
宮島から北ではここが末端じゃなかろうか。この先では三鬼大権現信仰の姿は見たことがないよね。
前回、福王寺山に登ったとき、ここが最高地点で福王寺山はここだろうと納得して引き返したんだよ。
帰って、GPSのデータをカシミールに落とすと、ありゃ、福王寺山はまだこの先にあるのだ、途中で引き返したのだ。
なんとも納得できない、三鬼堂から先は下りの傾斜になっている。この不思議は解決しなきゃね。この先に行ってみよう。
福王寺本堂道はじわじわと下がって行くのだよ。電柱があって電線が続いている。南側から電線が登っているが、西側からも電気を引き込んでいるのだろうか。
きゅっと道は登りになるが、三鬼堂の高度からはかなり低い位置でしかないね。
登ったところに三角点、なるほどね、三角点があるから福王寺山はここ、という見解になるわけだ。
三鬼堂の位置が福王寺山の頂上、最高地点だからこれも正しい見解、どっちでもええのだよ。
三角点の標石に沿って、小石が集められている。数にして、20個、30個、画家になる、犬の訓練士になる、看護師になる、などなど、願いを書き込んである。
三角点から下の所に建物があって、電波塔が立っている。
電線も道もここで行き止まり、この建物・電波塔を建設するために尾根を切り開いて道をつけたのだ。
前回の宿題には回答が出て、極めて納得、納得、あとは引き返すだけだね。
三鬼堂を過ぎて、金亀池からの分岐を過ぎて、もうひとつの道を進む。この道も小山めぐりの道の一部なんだよ。
杉林が焼け焦げていて、落雷で山火事になったのだろうな、本堂が何度も落雷で焼失しているもんね。
三鬼堂焼け焦げの尾根は、右の道、左の道、ここはどっちに行ってもええのだよ。
前回は左に行ったら、阿弥陀堂の脇に出た。
今度は右に向かおうか。坂道を降りたところが歴代の住職の墓地、写真には撮らなかったが、ひとりひとりの墓のデザインが違って、その時代の流行・空気が別々なんだね。
墓の写真は紹介しにくい、見たかったら自分で見に行ってね。
道は境内の外周の石垣の上に出る。生活物資を運ぶモノレールの終点になっている。
外周の石垣の上をこのまま歩くと外に押し出されてしまう。適当に石垣から離れて阿弥陀堂の前に進もう
阿弥陀堂の堂内には子供と保護者が休んでいる。
登るとき、追いかけられながら登ってきたんですよ。小学校高学年の子供と保護者のじいちゃんばあちゃん、とうちゃんかあちゃんよりじいちゃんばあちゃんの数のほうが多いと見たぞ。
たぶん、堂内で弁当にしたのだろうと思う。
福王寺山三角点お坊さんとの交渉は、とうちゃんかあちゃんよりじいちゃんばあちゃんのほうが手慣れていることだろうね。
さて、降りて行こうか。
さっきの南原分岐まで戻って、下の道へ進む
この道は、セメント引きなどのメンテナンスはなく、落ち葉あるがままの道なんだよ。
道幅は広くて立派な道だよ。それだけ多くの参詣者が通ったのだ。
丁石がここにもあるが、柱石と違う、板碑の状態になっている。下り方向にカウントダウン、登り方向ではカウントアップなんだよ。
さっきの登りの道とは流儀が違う。それはそれで面白いもんだね。
道を横切って溝切りをしてある、何もしないと雨水が道の表面を流れて縦の溝が出来てしまう。
横に断ち切って斜面に放流すると道は壊れない。
どう見ても重機で溝を浚えて毎年メンテナンスしているのだと思える。
南原への参道寺への喜捨寄進で賄っているのだろうが、寺の経営は大変だなぁ。
本堂の前にも、阿弥陀堂の前にも、賽銭箱が無かったよなぁ。ぶらっと来た参拝者はどのように賽銭を上げればええのだろうか。
出口のだいぶ手前に一丁の丁石がある。登りの丁石といい、下りの丁石といい、せっかちというか、フライイングだよねぇ。
参詣道も出口が見えてきた。舗装路と合流するところに石がんがあって、そこから参詣道は始まるのだと教えている。
谷へ下りる道をたどって、コンクリートの橋を渡る。ここで渡らなきゃ、この先、面倒なことになる。
石灯篭の前まで戻って、そこからは舗装路を歩いて帰る。
南原川を越えたところの廃道に駐車していて、駐禁キップを切られることもなく、無事に車に乗り込んで、あとは家に帰るだけだね。
参考 参道の山、可部の福王寺山 2010年5月6日

 

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。
でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます


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