2007年8月9日
しぇるぱ単独
山域:鳥取県伯耆町

大山の麓、鬼住山きずみやま

 

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鬼守橋の鬼中国薬師を巡拝しております。さきほどは同じ町内の長昌寺に行っておりました。
寺の駐車場から鬼住山が見える、眼で高さを比較してみるに、ここと山頂と、どっちが高いとも言い切れないね。
地図で見てみると、長昌寺が292メートル、鬼住山の頂上が329.9メートル、明らかに向こうが高いのだが、そのような気がせんのですよ。
米子道の溝口インターチェンジを中心に、大山に登る方向に長昌寺はある。
鬼住山は、インターチェンジから谷底へ、川べりから登り始める、こんな段取りです。
インターチェンジへ戻る道々、鬼住山を眺めるに、川向こうの山と比べると明らかに高い。ところが、大山のスロープが巨大すぎるので、景色に埋没してしまう。これもしょうがないことだね。
谷底に下りて日野川の岸辺、対岸のとっとり花回廊へ行こう。
橋を渡って、山の上に鬼の博物館がある。建物の上に巨大な鬼が座っている。寄らずにパスして、とっとり花回廊に向かおう。
中学校のプールに沿って別に花を見に行くんじゃないのです。登る前に昼食をここで食べようとしているだけです。
鳥取県の長距離バスで、車体広告にとっとり花回廊と出ています。花の鳥取というイメージだろうと思っていました。違っていた。そんな施設があるとは知らなかった。
駐車場からは木立ちが邪魔をして、鬼住山は見えない。会場の中に入らなきゃ見ることはできないのだな。
戻る道で、大山と鬼住山が重なって見えている。登る道と降りる道が別々になっている、けっこう複雑な道路造りになっているのだねぇ。
再び渡る橋の名前が鬼守橋、橋の名盤に鬼のブロンズ像が鎮座している、単独の鬼、群像の鬼、鬼住山の名前から由来しているんだろうね。
その鬼守橋から真正面が鬼住山なんだよね。
川べりの国道から市街への道に入る、旧溝口町の役場のそばを通り、踏み切りを越えて、道はふたつに分れる。
右は中学校へ向かうようだな。左の道が体育館への道だろう。武道場があってその後ろが体育館、道が膨らんでいるからここに駐車しよう。
鬼住山 鬼の伝承公園地図を見ると、中学校の近所の集落名が貴住となっている。
そうだろうね、鬼住山だから鬼住と名乗るはずだろうが、それではあまりと言えばあまりの名前、貴住と言い換えるのは、世間でよくあることだよ。
ええと、登山口はどこなんだろう。
見渡すと、中学校の山際にそれらしき看板が見えている。あそこから登るんだろうな。
ショートカットして畑の道を抜け、舗装路となる。中学校のプール沿いに進めば登山口駐車場、ははぁ、ここまで車で進入できたのだ。
鬼住山鬼の伝承公園の道標に従って山道に入る。
山道には古い仏像が座っている。そうなのか、鬼の道、仏の道なのかい。
木の階段が続く、かぶさる樹の枝の繁みは分厚くて、薄暗い森の中だよ。蚊やぶゆが多いね。
尾根の道標指の甲を刺された。腕を刺される程度ならそこそこ我慢もできる、指を刺されると、辛抱できないくらいかゆいね。あぁ、かゆい。
山頂展望台まで800メートルと道標がある。
短距離だから短時間で登り降り出来ると考えたが甘かった。ただ事じゃないほど暑いのですよ。10歩歩いては休み、5分進んでは水を飲む、はかどらないよ。
道標と一緒に石塔がある。石灯籠の中に仏像を入れた、そんなデザインなんだね。こんな形を、石仏
がんとも厨子ずしとも言う。
よぅく見つめると、セメント像なんですよ。古そうに見えるが、そんなに古いもんじゃない。セメントが伝来した近代のものだ。
この先、仏像が幾つも現われるが、セメントが風化して、仏像の首がもげたり表面の剥落が激しかったり、雨雪が浸み込み、凍結してひび割れが出来るんだね。
やっと次の道標のところまで来たぞ。
山頂展望台まで410メートルとある。さっきの道標から半分来たのだが、やっと半分かい、よれよればてばてだよ。
峠のアンテナ中腹展望台まで40メートルとある。今は寄り道せずに、帰りに取っておこう。
鬼住山伝説と看板がある。へぇぇ、面白いから採録しておこう。
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今からおよそ2300年前、この鬼住山には鬼の大将
大牛蟹おおうしかにが住み、手下とともに田畑を荒らして村人を困らせていました。
この地を訪れ、このことを聞かれた第7代孝霊天皇は鬼退治をしようと決められました。
孝霊天皇は、まず、鬼住山の南の
笹包山ささつとやまに陣をかまえ鬼の館を見下ろしました。
そして、村人が献上した笹巻の団子を三つ並べて鬼をおびき出すと、
大牛蟹おおうしかにの弟の乙牛蟹おとうしかにが出てきました。
大矢口命おおやぐちのみことが矢を射ると、見事に命中し乙牛蟹おとうしかには退治されました。
峠から孝霊山をけれども、
大牛蟹おおうしかには手下を連ねて、荒々しく抵抗し、なかなか降参する様子はありませんでした。
ある夜のこと、天皇の枕元に
天津神あまつかみが現われて、「笹の葉刈にて山の如くせよ、風吹きて鬼くだらむ」と告げられました。
天皇はお告げに従って、笹の葉を刈って山のように積み上げて待っていると、三日目の朝に強い南風が吹きつけてきました。
あれよ、あれよと言う間に、笹の葉はひとりでに鬼の住処へと向かい、鬼の体にまとわりつき、鬼は成す術がありません。
春風で乾いてうず高く寄った笹が燃え出すと、鬼はひとたまりもなく逃げて散り、天皇は一兵も失わずに勝利することができました。
麓に逃げた
大牛蟹おおうしかには蟹のように這いつくばって「我れ、降参す、これよりは手下となりて、北の守り賜らん」と願ったので、天皇は「よし、汝が力もて北を守れ」とお許しになりました。
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頂上から大山を近くに孝霊山がある。孝霊天皇にちなんで山の名を孝霊山としたのか、山が孝霊山だから孝霊天皇を登場させたのか。
南面の山腹を西へ西へとたどっていく。折り返して反転、さらに折り返して反転、こうして高度を稼ぐ道造りになっているのだね。
この折り返し地点で、道標が山頂展望台まであと200メートル、さっきの道標からまだ半分しか来ていないのだ。
日ごろの足取りなら、とんとんとんと直ぐに登ってしまう距離だが、今日は体が重い、足が重い。
次の曲がりで、仏像が群集になっている、遊歩道と昔道とは少し違っているみたい。それで、昔道の仏像を運び出して、まとめて置いてあるのだろう。
抜け穴のように光が差し込んでいる。峠だよ。頭の上には通信アンテナがそびえている。
別の方向から自動車道があるのだ。そりゃそうだろ、放送塔の工事に取り付け道路が必要だし、メンテナンスにも道路がなきゃどうにもならない。
大山が見えているのは当然なんだが、駐車場に降りて行くと、孝霊山が全身を見せている。
鬼住山頂上3日前に登ろうとして、雷に阻まれて引き返した山です。左にアンテナが見えるところ、そこには登ったが、ほんとの頂上には登れていないのです。
アンテナ敷地を囲ってフェンスがある。そのフェンスに沿って、もうちょっと登るのだ。もうちょっとなんだが、これがなかなか、ぶつぶつぶつぶつ。
さぁ、鬼住山の頂上広場、三角点があって、アズマヤがある。
アズマヤの向こうに大山が見える。広場の反対側からは、川向こうにとっとり花回廊が見下ろせる。
さっき、とっとり花回廊に寄ったのだが、中に入っていないので、ここから見て、どんなものかがやっと理解できた。
さぁて、降りようか。
途中で900ミリリットルのボトルの麦茶は飲み干した。1.5リットルのボトルの水も残り4分の1程度かな。まだ先があるから、水のペース配分を考えなくちゃね。
中腹展望台まで40メートル、ここまで降りてきたのだが、まぁ、どんな展望なのか寄ってみるかね。
とっとり花回廊えぇ、これがそうかい。木立ちに包まれて何にも見えないじゃないか。アズマヤがあるだけだ。
頂上で、平成5年度宝くじ助成施設と木柱があったが、ここのアズマヤも木の階段も頂上のアズマヤも、全部宝くじの補助金だったのだろう。
平成5年から10数年経っているよ。こんなに年月が経過すると、樹が成長して、展望台の視野を奪ってしまう、こんなのは世間によくあることだよね。
無駄だった、暑かった、降りよ、降りよう。
さぁ、もとの駐車場所まで戻ったぞ。
朝、来るときは、高速道路の料金を節約して下の道を来たが、帰りは時間を節約して高速道路で帰ろう。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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