2015年10月12日
しぇるぱ単独
山域:広島県三次市

近郷近在、三次市志和地駅、明光山

 

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猿が馬場鬼が城山を登ると、気になるのは、その近隣にどんな山があるか。明光山みょうこうざんというのが目に留まった。この山、ネットで検索しても登った記録がない。
あまりにも里に近い山なので誰も登らないのか、登った人は大勢いても、ネットにアップする環境がないので黙っているのか、そこはどうなんでしょうね。
芸備線志和地駅に向かう。どこに駐車しようかね。駅の隣に川地コミュニティセンターがある。そこに駐車させてね。
志和地の駅前を通って、駅のプラットフォームを眺める。列車の行き違いが出来るように、プラットフォームは島になっている。ということは、乗客は大きく大回りしなきゃならないのだね。
踏切を渡って、ちょっと歩いて、志賀神社の前まで進む。次の日曜日が祭礼なんだろうね。氏子が総出で掃除している。邪魔をしては悪いので、神社脇の道を進んで行く。
本殿の脇までは舗装路が続いているのですよ。資材搬入とか補修とか、その手の重量物運搬用の道なんでしょうね。
ここからは山道、山腹に金網フェンスが取り囲んでいて、出入口の金網扉がある。開けて閉めて山の中に入って行く。
古い杣道が残っている。幅広い道で、木馬道にも使ったのかしら、キャタピラ運搬車の時代になって使ったのかしら。
その幅広の道も終わりで、壁がそそりたっている。壁の向こうには大きな穴がある。広角レンズでないと写真に撮れない。下から見上げた穴の外周を見て、穴の大きさを想像してちょうだい。
なんでこんな大穴を掘ったのかしらね。タタラ製鉄の砂鉄を採掘したのかしら。金か銀の露頭を掘ったのかしら。
ここからは急登になる。昔ながらの杣道はあるんですよ。見えている。測量用の道が一直線に切り開いてある。そのほうが歩き易いよね。
古い墓が現れてきた。帰りに見ると、そこかしこに古い墓地がある。昔は集落全部の墓がここにあったのだろうね。お参りに遠いので、下に墓地を移転したのじゃなかろうか。重い墓石を残したのだろうね。
斜面を切り開いたところに出てきた。地籍図根三角点とある。国土地理院の三角点じゃないよ、法務局地籍図の三角点だよ。
ここから展望が広がる。麓の川地は梢に邪魔されて見えにくいね。可愛川越しの安芸高田市甲田町が見渡せる。湧永製薬の工場が木々の隙間に見えている
ここから測量用の道を進む。古い杣道は枝葉が邪魔なので通りたくない。ここらあたりが前山の頂上部分、測量の赤いリボンに従って下って行く。
その赤いリボン、放射状に何列もあるんですよ。登りは集中だから間違うことはないが、下りにはどのリボンの列を選ぶか慎重に点検しなきゃならないね。
前山と明光山とを結ぶ渡り尾根を歩いています。地図では一塊りの山に見えるが、実際に登ってみると、別々の山だと認識できる。
いよいよ明光山の斜面を登り始める。古い杣道が溝状になっているのが見えている。道に雨水が流れて、流れた水が溝を作って、さらに水を集めて深い溝になる。深い溝になる前の溝です。
測量のために木々を伐採している。伐った幹から若芽が出て枝葉になっている。これは一年生えだな、二年生え三年生えならもっと成長している。測量したのは今年のことだろうな。
さかのぼっても、去年の秋以降、今年の春から夏にかけて測量したものだろうな。木株の具合、リボンの褪せ具合から判断して、こういうことだと思うよ。
測量する以前なら、枝葉梢に邪魔されてもっと苦労したことだと思うよ。切り開かれた道を進むのだから、楽なもんだ、最適な時期に登った、ということなのだろうね。
ここらあたりが山頂なのだろうが、三角点はどこにあるんだろう。
こんな場合にGPSが頼りになります。三角点をGPSにウェイポイントしてある。ウェイポイントに近づくように道を選んで、こっちだ、切り開かれているスペースに出てきた。
ここが明光山三角点、三角点にセンサーチップが埋め込まれているもんだが、ここの三角点にはチップはまだ埋め込まれていなかった。
さて、帰ろうか。
リボンに惑わされてはいけないよ。どっちのリボンの列か判断できない場合がある。
こういう場合はGPSです。来たコースを画面で確認しながら進んで行けばええ。あれ、横にずれた、と思えば修正するのは簡単なことです。
幸いに、この山域は植生が極相に達しているから歩き易い。下生えがほとんどないから邪魔するものがないのだ。
前山に戻り、方向を見定めて、地籍の図根点まで戻ってきた
ここからはどんと急傾斜を下って、大穴を眺めて想像を巡らし、杉林の中を通って、金網の扉を通って、志賀神社まで戻ってきた。
祭神は、
品陀和気命ほんだわけのみこと、誉田別命と呼ぶのが通常で、八幡さまのこと、そうか、八幡神社なのか。
看板の由緒を読むと、元々は、大嶽山(古八幡)に鎮座していて、麓に建てたり、山上に建てたりを繰り返していたようです。
背後の山は、今は
明光山みょうこうざん、この山が大嶽山と同じ山で、神社が鎮座していたとしたら、納得できることです。明光山みょうこうざんの名前が物語っているなぁ。
踏切から志和地駅を眺めると、ほんまにプラットフォームが島になっているなぁ。列車ダイヤを調べると、1日2回、行き違いに使ってある。ちゃんと用途を果たしているのだ。
川地コミュニティセンター前まで帰ってきました。振り返って山を見たが、見えているのは前山で、明光山は前の山が邪魔をして見えてはいないのだなぁ。

 

川地コミュニティセンター 志和地駅 金網フェンスがある 杣道
この背後に大きな穴 測量の図根点 前山の頂上 渡り尾根
古い杣道 明光山頂上 志賀神社 踏切から志和地駅を

 

詳細地図、地図上のどこで撮った写真なのか解ります

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