2017年3月18日
しぇるぱ単独
山域:広島県世羅町

世羅三山、高山こうやま早山ヶ城はやまがじょう新山にいやま

 

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前々から登ってみたい山があるんですよ。
それはね、世羅町の尖った山、わたしは勝手に世羅三山と呼んでいるんですがね。高山こうやま早山ヶ城はやまがじょう新山にいやま、三角形に突き出した尖峰です。
周囲が平らな山々ばっかりなのに、この三山は群を抜いてユニークです。
世羅町の西に、上田明神山、津田明神山、黒川明神山、の明神山トリオがありますが、それと双璧の三山です。 (参考)2005年3月7日 「明神山、三重連
この世羅三山には、登った記録がほとんど見当たらないのですよ。「里山をたずねて」というブログがあります。そこで、高山(562m)早山ヶ城(606m)新山(635m)をみつけました。現に登った人がいるのだ。
高速道路の尾道道で世羅インターで降りて、甲山方面に向かい、最初のセブンイレブンの脇の道を北に進む。県道51号線。新山を横に見ながら進んで、県道は山越えとなるが、そっちには行かない。
谷のたんぼ沿いに進んで行く。赤屋会館という集会所をみつけたら正しく進んでいるのだ。
北に高山、南に新山が見えている。岡田了憲大僧正称徳碑という巨大な石碑が見えている。駐車場所は、そのへんの道が膨らんだ場所を探して停める。
高山が見えている。まず高山を目指す。小学校をこの地に設立した、なんたらかんたら、うんぬんかんぬん、という石碑がある。まずこっちの道から探ってみよう。
文裁寺という案内立札がある。登れば文裁寺、寺の前には桜が咲いている。ソメイヨシノじゃないね、ヒカンサクラ、カンザクラ、カワヅザクラなどの早咲きの桜なんだろうね。
たんぼに出ているひとに聞いて、山に入る取り付き点を聞く。文裁寺の境内から抜けて寺累代の墓地の角を曲がる。道は奥に続いているのだが、イノシシの柵が厳重過ぎてどうにもならない。
この道はだめだ。ひきかえして、たんぼの人に尋ねると、この次の東の谷に道があるとのことだった。さぁのぅ、イノシシの柵で通れんかもしれんで。集落の衆みんな総出で柵を張ったけぇのぉ。
谷の奥に登って行く道がある。あかん、ここもイノシシの柵が厳重過ぎてどうにもならない。普通なら、柵の開閉ができるようにするもんだが、開ける余地など与えるもんか、徹底的に針金で縛り上げてある。
ここがダメなら次の手がある。県道が高速尾道道に近づくあたりで、山に入れそうなところを見つけておいたのだ。
県道51号線を、赤屋八幡を過ぎて、子育て観音駐車場とある。ここに車を停めて、参道の石段を登って行く。
報恩寺という寺だ。禅寺なのだそうな。無住の寺で、今は信者のかたが掃除の奉仕を行っている。
山の稜線に取り付いて登って行く。植林の境界を進めば邪魔はなく簡単に頂上まで登れる。
頂上で三角点を探したが見つからなかった。完全に高山の頂上だと思い込んでいます。下から高山を見たとき、低い山だなと舐めたところがあったものね。
帰って、地図にGPSのログを落としたら、あれぇ、登ったのは高山じゃなかった、そこへ登るまでの無名のコブだったのだ。
その時はそんなことはまだ知りはしない。頂上を究めた気分でどんどん降りて行く。報恩寺の境内を見下ろして、参道の石段を降りて行く。
次は早山ヶ城、世羅広域農道、別名世羅高原ふれあいの道を進んで行く。早山集落への道はここから入って行く
早山の集落から向かいに早山ヶ城が聳えている。早山の集落に車を停めてここから先は歩くことにする。
車で走ったのではどこから山に取り付いたらええのか判らないからね。歩いているうち、ここかだろうと見当が付けられるかもしれない。
早山集落から200メート程度歩いたところに草生くさむした作業道がある。ここから取り付いて行くのでないだろうか。
歩き易い道で、植林の中を歩いて行く。
山腹の道は稜線まで抜け出した。ここは峠状の雰囲気、左折して登って行く。
登りが急になって、朱色のリボンを見かけるようになった。点々とリボンがあって、この道をそのまま行けばええ、と教えてくれる。
かなり急な傾斜で、急な傾斜がおさまると、土木工事跡があちこちに見える。早山ヶ城とあるように、廓の整地工事跡なのだろうな。ここにもある。あそこにもある。早山ヶ城の名前が残るほどだものね。
城跡マニアがいて、探訪記をネットに上げているもんだが、早山ヶ城という記録はないみたい。ここの城主は誰なんでしょう、尼子派か、毛利派か、どこの系統に所属していたんでしょう。
郭工事の崖端を登ると、早山ヶ城頂上、三角点がある。三角点標石にチップが埋め込まれているもんだが、ここではまだその作業には至っていない。
さて下りようか。
おっとっと、GPS画面を見ると、反対方向に下りて行っている。これはまずい。横歩きしてGPS画面を見ながら登ってきたコースの方に寄って行く。
朱色のリボンがあった。この道をおりればええのだ。山頂が丸い山は注意しなきゃならないね。降りる方向が判断できなくなる。危ない、危ない。
やぁ、下りて来た。早山集落のほうに戻っていこう。あそこが早山集落、集落の真ん中に車を停めているのだ。
再び車に乗って、早山ヶ城の麓を迂回して、新山のほうに車を進めて行こう。
新山へのドライブウェイを登って、シャンテパルク新山の野外ステージの手前で車を停めよう。
シャンテパルク新山とはネットで探したが意味不明、かなり昔からある施設のようです。キャンプ場が主体のようで、キャンプ場が流行ったのは、40年前、50年前のことだものなぁ。
ここで車から降りて歩こう。
舗装路を歩けば頂上の通信塔まで続いていて、笹原が刈り込まれて道が出来ている。そっちへ歩けと誘っているんだな。
三角点があって、ここの三角点標石にはチップが埋め込まれている。こういうのをインテリジェント基準点と言うのだが、一般人はどう利用すればええのかねぇ、どうなんでしょうね。
そのまま笹原を刈った道を歩いて、野外ステージの前、車を停めたところまで帰って来た
今日は登山とは言い難いねぇ。大部分がドライブになってしまった。まぁええさ、許す、こんな日があっても差し支えない。
赤屋集落、ここから出発 文裁寺 イノシシ垣で閉鎖 報恩寺参道
高山と思い込んだ山頂 報恩寺 早山集落から早山ヶ城を ここから入る
尾根に出る 早山ヶ城三角点 シャンテパルク新山 新山三角点

 

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