2007年3月26日
しぇるぱ単独
山域:山口県周南市

四熊ヶ岳、干ばつ、雨乞いの山

 

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麓の谷から四熊ヶ岳をETCの割引では学習したぞ。
大都会には深夜早朝割引があるのだが、ローカルには適用されない。いっぽう、ローカルには通勤割引があって、大都会には適用されないのだ。
いったん、大竹で降りる。ここまでで通勤割引を効かせるのですよ。ふたたび、高速に乗って徳山東まで進む。これには割引は適用されない。
徳山から新南陽の旧市域に進む、周辺を合併して、周南市と名乗っております。
そこに、中国薬師の札所の法瀧院というのがあるんですよ。参拝したあと、山に登ろう。近所の山は?四熊ヶ岳、ここにしようか。
新南陽から東に引き返して、国道2号線を国道489号線へと左折する。
風景は山村風景に変わって、谷沿いの道を進むのですよ。
登山口広谷の石垣道は高速道路山陽道の下を潜る。すぐに橋があって右折してもう一度高速道路を潜る。坂道を駆け上って高速道路の上の橋を渡る。
ダイジョウブ、最初に曲がるとき、四熊ヶ岳登山口の案内板があるから安心して駆け上ればええさ。
谷の前面にどぉんと三角の山がそびえている、ははぁ、あれが四熊ヶ岳なんだな。
谷を埋めるたんぼを見ると、全部石垣を積み上げてあるよ。谷の下から上まで延々と石垣が連なるのを見ると圧倒されるね。
その労力たるや、膨大なものがあるよ。石を集め、積み上げ、毎年毎年草を抜き、崩れたらまた積み上げる、参りました。
水場があるよ、ここに駐車スペースがあるが、水汲み用のものじゃなかろうか。
すみませぇん、山に登りますが、ここに車を止めてもかまいませんか。
参道の両脇にはタブノキ向こうで掃除しているひとに声かけといた。頷いたから、了解ちゅうことだね。
そりゃ、見れば止めてもええスペースというのは判るよ。ずかずかと無遠慮に止めるか、感謝の仕草を示すか、それだけで受ける感じは違うものね。
金明水と書いてある、水場を構えてちゃんとしてあるちゅうことは、さぞや名高い名水なんだろうね。
で、飲んでみたかって?うぅん、あんまり名水に興味が無いのですよ。飲まなかった。
石垣の間を抜けて行くのだが、ここの石垣はすごいな。おじいさん、おじいさん。
こんな石垣は見たことがありませんね。石垣に足場が組んであるんですねぇ。
んん、そうじゃろう、下のたんぼも見てくれたかいね。そりゃぁ、石垣が自慢よのぉ、渡りの足場を石垣に組む、こがな姿は他ではあるみゃぁ。
二番目の鳥居石垣の角々に案内板がある、四熊ヶ岳登山口、道を間違うことはないさ。1キロと書いてあるぜ。そんなに短いのかい。
山道に入っても幅広く草刈をしてある。道幅が広い、大勢で登っのだ、繰り返し登ったのだ、道を見れば、使い込まれている程度は判るもんだよね。
細道があって、樹にテープが巻いてある。ひょっとしてあっちか、と考えるが、幅広の道を進むのがゼッタイ正解だろうさ。
地面が濡れている、地肌は粘土なので、うっかり踏み違えると滑る。そこんとこ、注意ね。
山腹の道は稜線の道へと変化する。お、石の鳥居が見えてきた。本宮大権現と鳥居の扁額が架かっている。
鳥居には、右に「奉寄進
華表とりい柱一宇 防長国主武運長久」左に「文化九壬申1812年四月吉日防州都濃郡小畑郷氏子中」の銘がある。
徳川家斉の時代、田沼意次の次の時代の頃なんですね。
不動明王稜線を進むのだが、道の両側には、ツバキがあったり、タブノキがあったり。
タブノキについては、何度でも書いて、注目してもらうことにするよ。タブノキ愛好協会の広報委員長に就任したようなもんです。
ここのタブノキは大きい。神社の参道にあるので伐採されることなく寿命を全うしているからなんだろうね。
斜面を透かして見ると、タブノキが純林を形成している。タブノキは、葉が繁って樹冠を覆うので、他の木を排除してしまう傾向があるよね。
ゆるぎ岩というのがある。指一本で動かせるということなんだが、押しても蹴っても動くもんかい。
大昔から。風雨に曝され、ひとの手で揺すられてきたので、接点が磨り減って安定してしまったんだろうね。伝説ゆるぎ岩と改名しなきゃ。
この前後に、てんぐ岩、しし岩と、岩があるが、見立てに無理があるよ。どの位置から見て、てんぐに見えるのかね、ししに見えるのかね。
頂上の神社稜線の切り開きのところに出た。山の北側の集落が見える。ゴルフ場の隣りだから、里四熊という集落だろう。
しばらくは、ツバキの林、タブノキの林、緑のトンネルで何も見えない。
ふたたび鳥居が見えてきた。鳥居の年代を見てみると、天明八申十一月とある、1788年で、田沼意次が江戸幕府老中に就任した年だよ。
ここの鳥居のほうが古いのだね。
石段は二列ある。一列は鳥居から正面へ、もうひとつは鳥居の脇から登っている。正面から行こうか。
上で合流した。ははぁ、不動明王を祭る石段だったのだ。不動明王があって、そばの岩に願文が刻んである。
依大旱魃 不動明王建設記念之碑 発願建立 とある。年代は刻んでないね。この山は雨乞いの山なのだろうな。
四熊ヶ岳三角点北の里四熊の方向からの参拝道と合流した。ここにも鳥居がある。扁額に四熊本宮嶽神社。
神社の石垣が見えてきた。稜線は、おおむね東方向から登ってきたのだ。神社は南面して鎮座している。石垣に沿って曲がらなきゃね。
石垣の正面に神社がある。狛犬が両脇を固めて、ちゃんと規格に則っているじゃないか。
裏に回ると、祭神を石篭にして祀ってある
神社の広場には、子供会や小学校の遠足記念のマークがある。ここはこどものテリトリーなんだね。
ずいぶん短時間短距離で登ってしまったよ。金明水のところまで車道が来ているのを知らなかった、これで時間距離を短縮してしまったんだね。
最高地点に三角点がある、ここが四熊ヶ岳。他より何より違うのが、海軍省の石柱があることだね。
北の道は鉄塔へ徳山の工業地帯は、昔は海軍の軍事施設だったのだろうな。
三角点から北に切り開かれた広い道がある。ここを進めばどこに出るのだろう。
送電線の鉄塔があった。中電巡視路かい。麓の里は奥四熊という名前、地図と照合するとそういうこっちゃな。
さて、降りようか。
出発点の広谷の集落まで帰ってきたぞ。集落の向こうの山は嶽山なのだろうな。
帰りは高速道路を使わずに、下の道を使って帰ろうか。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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