2007年6月4日
しぇるぱ単独
山域:山口県宇部市

山口県宇部の霜降岳

 

画像をクリックするとそのままそこだけ拡大表示されます
Microsoft Edge のユーザーは、画像・テキストにちょっと触れてください、その効果で、ポップアップページは消えます
Internet Explorer Google Chrome Mozilla Firefox のユーザーは何もしなくてもポップアップページは消えて行きます

 

霜降岳の全貌ただいま中国薬師を巡拝中です。
山陽小野田市の覚天寺を参拝して、小野田の山でどこかええ山がないだろうか、めぼしい山が見当たらないのですねぇ。
周囲を地図で探って、隣りの宇部に霜降岳というのがあるじゃないか。ここにしよう。
覚天寺の背後には丘陵があって、そこには道がないのだね。北か南か迂回する道を行かなきゃならない。南からの道にしようね。
宇部の駅前を通って、山陽本線は北東へ向かう、その山陽本線に沿って進むのですよ。
高架橋の下を潜る、これは山陽自動車道の宇部小野田の支線なんですよ。下関JCTから山口南インターへのバイパスが通っている。
街道からの入口何度か、街道を行ったり戻ったりするのだが、鉄道の向こう・川向こうへ渡る道がみつからない。
山陽自動車道を越えたあたりで、念入りに道を観察しながら進もう。
あった、小さな看板、霜降城跡登山口、斜めに倒れそうになりながら案内している。こんな小さな道標では自動車からはみつからないさ。
宇部市水道局広瀬浄水場、この看板を目当てに道を曲がればよろしい。
道は川の堤防に突き当たって、これから渡る橋が末信橋、末信橋を目標に来ればええのだよ。
ところで、この川の名前が厚東川、JRの駅の名前がことう駅、それで、ことうがわと読むのだと判った。長いこと、読み方が判らなかったのが解決して得心した。
集落からの登山口末信橋を渡ったところに道の膨らみがある。ここなら車を置いておいても邪魔にはならないだろう。置かせてちょうだいねぇ。
橋から山を見渡す位置に看板がある。大雑把だが、イラストマップだ。ほうほう、読んで見ると
前略、大内弘世に攻められ落城するまで、厚東氏の本拠城でした。城は霜降山の三連峰上に築かれており、南から前城・本城・後城と呼ばれています。後略
看板の年代時代を解説すると、厚東氏は、平家勃興時代にここに築城し、南北朝時代・室町時代初期に落城して滅亡した、こんな経過なんだそうです。
道は集落のほうへ向かえばええのだな。集落に入って、へぇ、集落は密集して路地状態じゃないか。
農家のありように、耕地の中に点在するのと、山裾などに密集するのと、二分しているが、何が決め手でそうなるのだろうね。
霜降城、本城路地の最後のあたりで、看板がある。軒下と植え込みの間を抜けて行くのだ。畑へ通う道なんだね。
山裾に神社が見える、末信橋の看板のイラストには諏訪社と書いてあった、そこの脇を通って行くのだな。
神社の横から山道が始まる。
じきに竹やぶの中を進むようになる。中ノ城への近道と案内がある、ここは近道を行かずに幅の広い道を進もうかね。
竹やぶが長いのだ。どこまで歩いても竹やぶで、竹の葉が積もって滑って歩きにくいのなんの。
竹の葉はなかなか腐らない。腐らないなら化石化するのはよくあることだろうね。
霜降城、後城ところが、化石で竹の葉の化石は見たことがない、何故なんだろう。あまりにありふれていて、珍しくもない、からだろうか。
竹やぶも過ぎて、森の中に入ってきた。タブノキの森だよ。麓の一帯はタブノキの巨木が繁茂している。
空中の樹冠は全部タブノキ、日光を遮るので他の木が育つことができない。もちろんタブノキの幼木も育たない。
風で倒れたりで空中に穴が開くと、下ではいっせいにタブノキの芽生えが始まる。世代更新なんだね。
伝唱姫ノ化粧水と看板がある。水が湧いていたのだろうが、今は湧き水はなく、乾いている。ここにそんなのがあってもええな、という見立てなんだろうね。
道は、永年ひとが通ったので掘れて溝状になっている。幅広の道だから歩きやすいよ。
霜降城、ここも後城中城への水平道が分岐している。そっちは放っといてこのまま登って行こうね。
谷の道から稜線へ出て来た。光が射して明るくなってきた。
ここは十字路、前城、後城、本城と三方に道が別れている。ここは本城を最初に登るべきだな、直登の道を進もう。
ぐいぐいと登って、頂上直前、土木工事の跡が見えて、これは空堀だな。掘り下げて、掘った土を積み上げて土塁を構築してある。
頂上に登ると、そこは霜降岳、霜降城本城、頂上は平坦に工事してあって、建物があっただろうと推測できる。
三角点はあるが、ここはタブノキの森の中で展望は全然効かない。
振り返って、本城、後城十字路まで降りてきたが、どうしよう、時間が余り過ぎる。昼食にはまだまだ早過ぎる。折角ここまで来たのだから、後城・前城、全部見てから帰ろうか。
後城目指して歩くのだが、本城の付け根を水平に進む。反対側の本城看板を見過ごしてそのまま進む。
ここが後城、地図を見るとコブがふたつ並んでいる、それぞれのコブに後城があったものだそうな。
ふたつ目のコブにも後城がある、後城が並立していて、名前の区別はしていないのだね。
土木工事の跡が見える。空堀を掘った跡、平地に均して地面を変えた跡、石垣は無いが土木工事で開削防備化したのがよく判る。
もとの十字路に帰って、前城へ向かう。こっちの道が一番広いな。現在の人気コースはこっちのほうらしい。
霜降城、前城坂道を登る途中、梢の切れ目があった。本城と後城の丸い山が見える。見晴らしが得られたとは運がよかったな。
前城には巨石が鎮座している。岩の上に登ると宇部の市街地が見える、海が見える。
広場からは登ってきた方向が見える。小野田との境界の丘陵地帯が見えるのだ。市街地ではなく田舎風景を見ていることになる。
ふぅむ、厚東氏はこれほどの城を維持していたのだ。土豪というより中小大名級の勢力だったと考えるべきだろう。
村役場の公務員、市役所の公務員、県の公務員、それぞれ城の武士雑兵と人数が等しい、こう考えております。
本城、後城、前城、収容人数を考えると、市役所の公務員数と匹敵するのではなかろうか。厚東氏は宇部小野田一帯を制圧していたと考えられます。
霜降城、中城公務員の人数は昔の武士足軽小物の人数と等しい。これはしぇるぱ説です、文献はありませんよ。余剰人員を養う余裕を考えると、昔も今も大差がないでしょう。
さて、降りようか。
とんとんとんと降りて、中城への分岐、ここにも寄ってみようかね。こっちの道は、来訪者も少ないようで羊歯に覆われている道だよ。
ほぼ水平の道で、ここが中城、砦というか塞というか、小規模の施設のように思えるね。ただの見張り所だったかもしれない。
降りて行く進行方向が怪しくなってきた。登り口へ帰れるとは限らない。降りれば、そこからなんとかなるだろ。このまま進んで行こう。
末信橋の方向が見えてきた。ほぼ出発地点へ戻っていると考えられる。
頭上に送電線が見える。地図にも送電線の記載がある。はっきりとした送電線かと思っていたが、か細いしょぼい送電線だった。目当てにはならないね。
あ、やっぱり、登るとき、中ノ城近道と案内のあるところで合流したよ。あとはこのまま歩いていけばええ。
全山、タブノキの森の中を歩いて、老木から若木まで眺めながら歩いたのだ。タブノキ鑑賞で大満足の一日でした。

OS,プラウザの種類、ヴァージョンによっては、JavaScriptErrorと宣告され、表示されない場合があります。
その時は下の文字、数字をクリックしてみてください。
1 2 3 4 5 6 7 8 9





詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


前ページへ

あちこちの山へかえる

トップページへかえる

 囲炉裏へリンク