2007年6月16日
しぇるぱ単独
山域:山口県萩市

吉田松陰の山、田床山

 

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松蔭神社ただいま中国薬師を巡拝中です。
萩の城下で、お城に近い位置に円政寺というのがあります。そこを巡拝したあと、山に向かうことにします。
萩の街は、阿武川がふたつに分流した三角州に中心があります。東の川を渡って、JR東萩の駅の方向へ向かいます。目指すところは松蔭神社。
駐車場があるんだが、駐車料金はいくらなんだろう。ここに止めますが、料金はなんぼ?え、タダ。無料なんですか、それはすみませんねぇ。
松蔭神社から田床山への道はどう行けばええのだろう。ボランティアガイドがいる、聞いてみよう。
松蔭神社から抜ける道はないんですよ。引き返して駐車場に戻ってください。トイレの後ろから路地に入ってください。
松蔭神社の脇道から田床山どうもありがとう。駐車場と土産屋の間にトイレがある。この後ろ側を進めばええのだな。
道に出て、吉田松陰誕生地と案内がある。家の屋根の向こうに田床山は見えている。低い山だね。テレビ放送塔があるのが見えるね。
道の両側は下水雨水の暗渠になっていて、グレーチングの蓋が点々と続いてアクセントになっている道だね。
ここで脇道に逸れて進んで行く、市の福祉施設に隣接して墓地が広がっている。
墓地の交差点に案内がある。吉田松陰や高杉晋作の墓所がここにあるのだそうな。
銅像があって、吉田松陰がペリー艦隊を視察している姿なんだそうな。
吉田松陰の銅像この下に、生まれた屋敷跡を保存してある、建物はなく、基礎が残るだけで、間取り図のようにセメント打ちをしてある。
城に近いのは、真っ先に御重役・お歴々、上士が次に続いて、役目俸禄が下がるほど城から遠くなる。
吉田松陰の場合、東の山裾のどんづまりだもの、墓地の下の屋敷だから、最低も最低、これ以下はない位置だろう。
伊藤博文は足軽身分の出身だということだが、松蔭神社の傍だもの、吉田松陰よりはるかにお城に近い位置だよ。
そんな出自なのに、松下村塾で若者の心を揺さぶったということは、身分を越えて、若者たちの側にも同じ感覚の素地があったということなのだろうね。
高杉晋作は、円政寺の近くで育ったのだそうな。円政寺はお城の近く、彼は上士の子です。
その上士の子が、水路に沿う道を案内してくれるおじさんお城近くから川を越えて、山裾の松下村塾に通ったのも、師匠に魅力があったからなのだろうな。惚れこんだから、自分の墓所を師匠の後ろに置いたのだろうな。
墓場と銅像の間に道がある。石畳の道で、田床山登山道と道標があるが、これが曲者だった。昔々の道標だった。
民家が数軒あって、この先は、ほとんどひとが歩いていない雰囲気の道になる。
道は断ち切れてしまった。自動車道が貫通して、抉り取られて、斜面を下へ降りなきゃならない。草を押し分け掻き分けて降りなきゃ。
トイメンの道を探すんだが、これだろうと思える道は草に覆われていて、えぇ、ほんまかい、この道を歩くのかい。
通りすがりの車を次から次へと止めて、歩く道はこれですか、道は他にありますか、と聞いてみる。
水路沿いの道から舗装路へやってみるもんだね、親切なひとがいて、道はこっちにあるけぇ、ついてきなさい。自動車道をはるか先に行ってしまったよ。
車を追いかけて、待ってくれてる先には、陶芸の村公園展望広場
案内したげよう。わしも久しぶりに頂上まで行ってみたいよのぉ。汗を掻くのに付き合おうじゃないの。この先、道があるのが見えるでしょうが。
水路のように見えますね。山裾に水路を渡して遠くののたんぼに誘導する水路。
そうじゃ、昔はわしもたんぼを作っとった。水路掃除になんべんも通うたもんじゃ。水路と道とが並行しとるじゃろ。
あんたの探しとった山道じゃがの、今は歩くひとがおるのかのぉ。草木に埋もれとるかもしれんよ。たいていのひとは舗装路を歩くよ。
別の舗装路との合流点水路は舗装路とクロスした。ここに一軒家があるんよ。民家の石垣の下に道が続いとりましょうが。
ははぁ、水路はまだまだ続くんですね。
谷川と合流した。水路はこの谷川から水を引いているものらしい。橋を渡って舗装路に出る。
ここからはこの舗装路を歩いて行きゃぁええ。
おじいさん、結構な歳なんだが、足早だよ。テキはペットボトル一本、こっちはザックにカメラ、あれやこれやで、ハンデがあるよなぁ。せっせと付いて行かなきゃならない。
このへん、タブノキが多いですね。ぅんん、樹はよぅ判らんのぅ、杉と桧の見分けもようせんけぇねぇ。
田床山テレビ塔の頂上これはスベッタな、一般のひとはタブノキを知らないのが普通だった。タブノキを眺めても、単純な緑の葉、単なる樹でしかないのだろうさ。
他の道と合流したろうが。あっちからの道はもっと傾斜のゆるい道よぅね。こっちは傾斜はきついが、歩くのなら短いこっちのほうが向いとるけぇね。
すぐに駐車場、レストハウスの建物がある。トリムコースだとか、そりで滑る滑り台の設備がある。半閉鎖状態に見えるのだが、ここのレストハウスは何をウリモノに営業しているいるのだろうか。
ここから頂上まではごく近い。松の木から線が垂れ下がっている。避雷針かしら。一本一本、ゴムホースにネジキャップが付いている。
ははぁ、マツクイ虫の駆除のためだ。コンプレッサーから薬液をホースのノズルに繋いで、樹のてっぺんから噴霧散布するんだ。
田床山から萩市街の全景頂上に着きました。テレビ塔があって、萩の市街が眼下に見える。
どうもありがとうございました。お陰で簡単に登れることができました。
それじゃ、ゆっくりと昼食にしんさい。わしはこれで降りて行くけぇ。帰りの道は判るじゃろ。
萩の街は縦横の条里がはっきりしているな。城下町特有の意地悪な、食い違い交差点は少ないように見えるね。
さて、来た道をそのまま戻ろうか。
陶芸の村公園展望広場からの道なんだが、来たときの怪しげな道を戻るのは止めにしようぜ。
田床山三角点登るとき、横目で眺めて通ったんだが、吉田松陰誕生地と案内看板があって、広幅の階段道が降りている。降りれば、銅像の隣りに出て行くのだ。登るときには、物陰なので、ひと目に付き難い道だね。ちゃんとした案内看板が欲しいよねぇ。
銅像の下に、吉田松陰誕生の地があるのだ。ついでだから、吉田松陰の墓所も見てこよう。
吉田松陰は、田床山を仰ぎながら育って、田床山の裾に眠っているのだね。
松蔭神社に戻っているのだが、地元のひとが脇道にすぅいすぅいと姿を消して行くのですよ。地元民なればこその抜け道があるに違いない。
あった、あった、川沿いの道で、木陰の道で、遊歩道がつながっている。どこかで松蔭神社に入れるだろうと期待したが、塀が厳重で入ることは叶わなかった。
神社の鳥居から入って松蔭神社の全部を見てみよう。
これが松下村塾、ここで講義をしたのだね。
パレスチナのハマスかファタハ、イスラムのシーア派かスンニ派のように、武闘派のアジテーションを繰り出したのだろうか。
それとも静かに、孔孟の道を諄々と説いたのだろうか。
神社の本殿は改装中で建築シートに包まれている。人気の神社なんだねぇ。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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