2009年6月24日
しぇるぱ単独
山域:岡山県高梁市

登らなかった、高梁成羽の高丸山

 

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成羽町美術館ただいま、瀬戸内観音の巡礼をやっていましてね、高梁市成羽町の龍泉寺を参拝したところです。
そのあとは、近所の山に登るのが恒例になっております。ここでは、高丸山に登ることにしよう。
成羽美術館があって、そこに広い駐車場がある。ここに車を置いて、ぐるっと一巡することにしよう。
成羽美術館の前には石垣が並んでいる。これは城の大手門なんだそうな
万石を越える藩として存在した時期もあったが、大部分の時代は旗本の支配地で五千石、旗本だから城ではなく陣屋だったのだね。
その陣屋が、美術館、旧町役場、小学校にかけて広くあったというこということなんですよ。
天領の代官所はいくつか見て知っているが、そんなに広いもんじゃなかったよ。こじんまりした建物だった。
五千石の旗本の陣屋にしては不相応に巨大すぎやしないかい。
国道から離れる分岐明治になって、石高の評価替えをして、12700石の石高で万石の大名になった、そんな歴史があるのだそうな。
徳川幕府がつぶれているし、明治新政府はまだ機能していないし、ここで威勢を示しても虚勢でしかないよね。
美術館から上流に向かって、すぐに国道から離れて道がある。住宅地の中へと向かって行くのだね。
史跡星原丁武家屋敷と石柱があって、石垣が連なり、土塀が続いている。
そうか、家臣を抱えていたのか、と納得するが、おかしい、五千石の身分でそんなに大量の家臣が必要なわけがない。
12700石の身分に直したとき、身分相応の家臣を雇ったのだろうか。
明治政府に藩籍奉還する時代に、時代に逆行するような綺羅を飾るものだろうか。
あの谷を進むのだ現に、武家屋敷の石垣・土塀が続いております。時代のあだ花のアナクロニズムがこんな姿で残っているのだろうね。
成羽川の対岸を眺めると、住友金属焼結合金の大きな工場が広がっている。こんなところに工場立地したのかい。
地図を見ると、住友町と名前があるが、これは俗称らしい、正しい住所地番には住友町は出てこないのだよ。
池田市ダイハツ町、福山市鋼管町のように、住所地番を与えるまでの厚遇に踏み切れなかったのかしらね。
福山市鋼管町の場合は、社名の日本鋼管がJFEと変わったので、実態と名前がアンマッチ、ということになったのだね。
たんぼで数人がたむろしている、この先の道の様子を聞いてみようか。
高丸山に行くんですがね、道はこの先どんなもんでしょう。
別荘で電線はここまで春先には何人か連ろうて歩いとるよのぉ。道はありゃぁせんよ、草が繁って歩かれるもんじゃぁない。
きっぱりと止めたほうがええとアドバイスを貰ったよ。
山に入ったこともなく、見込みでしゃべるひとが多いもんだよ。知らんことは知らんとなかなか言えないのが人情だものね。
適当に受け流して山に入ってみよう。
谷を深く入って来て、舗装路は谷を渡って、向こうの峰の山裾をたどっている。
地図の把握ができていなかったので、この道はどこへ向かうのか判然としなかった。帰ってから気が付いた、国道の上流の部分に続いているのだ。
舗装路から分かれると草を踏みながら進んで行く。電柱電線があるので心強い。文明社会の紐で繋がれている。
土塁を登る別荘があって、電線はここまで。ここから先はあまり踏み込むひともいないのだ。
草は繁ってはいるが、林道を進んでいる。その林道もここまで、これからは踏み跡を拾いながら進まなきゃならない。
ところどころ、赤いテープが現れるが、登山者の残したものか、山主の目印か、どっちなのやら見当がつけにくい。
一様な地形ではなく、皺がいくつも並ぶ谷地形で、ひとは自由に歩いているし、踏み跡はあっちにもある、こっちにもある。
コースを選ぶ基準は、ひとは誰でも歩き易い方向を選ぶだろう、この基準で方向を見定めると、自然に踏み跡が浮かび上がってくる。
目の前に壁が現れて、壁の上には空が透けて見える。
壁をよじ登ってみると、人工的な土塁だ。
峰と峰を結ぶコルなんだが、土を盛って埋めて埋めて、峰と峰とを落差なく水平に歩けるように土木工事を施したのだ。
古道の溝この先には、道が雨水に流されて溝になって深い塹壕の底を歩くようになっている。
こんな古道なら間違いないと安心して歩くのだが、遺憾なことに、倒木が激しい。
潜ったり、乗り越えたり、障害物競走を続けなきゃならない。いつのまにか、帽子を失ってしまった。
尾根の上に出てきた。
この尾根続きを進めば高丸山に向かうのだろうな。尾根通しの道は、と、倒木が激しくて、ヤブが繁っていて、こんな道を進んでも面白くもない。
止めた、止めたぁ。散々苦労して道を開いて、さらに次々となんぼでも邪魔が現れるのでは果てしがない。
尾根のポイントまで引き返して、尾根を越えて、谷へ降りて行く。
反対側の谷道谷底には道がある。高丸山と矢印が見える。この山域に入って始めて見る標識だよ。
さっきはキッパリ諦めたのに、またその気になってきた。標識に従って進んでみようか。
谷沿いの道はカヤの原を分けて進む。カヤの背の高さがわたしよりはるかに高い。どこまでカヤ原は続くのだろう。
嫌になった、引き返そう。
なにがなんでも高丸山、というわけでもないのだ。そこそこの努力、その努力の限界を越えている。帰りの時間を考えると、ここらへんで切り上げるのが賢いというものだろう。
谷底の道を引き返して、さっきのポイント、ここからは谷沿いの道を進んで行く。
歩き易い道が突然草に覆われた道に一変する。ここが林道の終点なんだよ。重機で掘り返すと必ずカヤ原が繁茂するものなんだよ。
地震観測施設この林道はなんのため、砂防ダムが幾つも設置してある、その工事のための取り付け道路なんだよ。
ずぅっと単純な一本道で、ええかげん飽きたころ、地震観測施設が見えてくる。
トンネルが掘ってあって、観測機器はトンネルの中にあるのだろうが、川向こうにプレハブがあって、ひとが詰めているのが見える。
も少し下流に、火薬庫がある。ダイナマイトを貯蔵しているものらしい。
間違いで爆発したら、地震観測のデータと混同するんじゃないかしら。
穴の底が見下ろせるのだが、それでええのかしら。爆風が人体を直撃しないように防護壁を設けるのが普通じゃないのかね。
これから先、ひたすらポコポコ歩こうね。
地震観測設備の前から舗装路になっている。単調な景色に舗装路を重ねるとさらに単調になるのだよね。
鳥居を潜れば国道落差があるので、谷が滝になっている。布さらしの滝というのだそうな。
どうやら里まで出てきました。
今朝ほどの龍泉寺の前に出て、鳥居のある路地を抜けて国道に出る。
あとは美術館の駐車場までそんなに離れてはいないからね。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




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