2004年6月15日
しぇるぱ単独
山域:広島沿岸部

小野の篁おののたかむら篁山たかむらやま

 

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入野駅前今日は暑いもの、家の用事をしているよ、ひとりで行ってらっしゃいよ。じゃ、そうするかな。
そういうことならこの山にしよう、安芸の国山陽本線沿線の篁山、行く予定はしてはいたが、実際に行くか止めるか迷っていた山なんですよ。
河内の駅から入ろうか、入野の駅から入ろうか、河内の駅では周囲に駐車できる場所が見つからなかった、そのまま勢いで入野の駅までやってきた。
おや、駅前のロータリーは公共の駐車施設のようじゃないか、止めてしばらく様子を見たが、咎めるひともなさそうだ、よし、ここに駐車しよう。
これから、道はどう行けばええんだろ、駅前からグリューネン入野という新興住宅地へと誘導される、こっちでええんだろうな。
グリュ−ネン入野とはグリーン入野をドイツ語に読み替えた名前なんだろうな。静かな環境だよ、名前のとおりの風景だよ。
グリューネン入野との分岐住宅地までの取り付け道路はけっこう長いね。同じ風景の坂道を照り付けられながらぽくぽく歩かなきゃならないね。あぁ、やっと坂道を登り切った。
十字の交差点、右へ行くと住宅地なんだね、左に販売店があるんだが、何を売っているんだろ、第三セクターの施設なんだろうな、武士の商法のようで、建物は立派だが、儲かっているのやら損しているのやら。
物販店の後ろに道があるよ、失平会館という地区集会所の前を通って行くんだね。
平らを失うとは穏やかじゃない地名じゃないか、かねへんに失で鉄だよなぁ、てっぺい会館と読むんだったら納得なんだがね。
道は進むうち、天平の道と石標が出てきたよ。小野篁ゆかりの地散策コースなんだとさ。
天平というと、奈良朝の御世だよ、こんな田舎でも古い事跡が残っているもんだね。
小野篁というと、聞いたことのある人物だよ、時代は平安のころのはずだよ、奈良朝、平安朝、もつれあいながら関連しているみたいだね。
姫路滝の斜面の道八千代千日の願参詣道の石碑だとか、女性像の石像が現れ始めたぞ、ぼちぼち、伝説が語られ始めるというわけだね。
ええと、なになに、山の麓に八千代という女が住んでいたのかい、千日の参詣で満願ののち、男の子を出産したのかい。「吾はこれ篁なり」と名乗ったって? 生意気な赤ちゃんだね、名乗りなどせず、おぎゃぁと言えよ。
12歳で都に出て、勉学に励んだので18歳のころ、関白小野大臣良相の娘と結婚して、小野家を継いで小野篁と名乗ったって? ふぅん、逆玉の輿だね。
丁石が現れるけど、読めない、摩滅して読めないんじゃないよ、字が難しすぎて読めないんです、ギブアップ。
山道はゆるゆると登って、なかなかの風情じゃないの、里にごく近いのだが、とてもそうとは思えないね。
道は広くてトラックでも通れますと断言するつもりだったが、無理だった、崩落して細くなったところもあるね、昔は荷車かトラックで通れたんだよ。
竹林寺境内の橋谷を渡る、姫路滝、小さい滝だね、今まで見てきた滝で最小の落差の滝だろうね。岩の間から伏流水が流れ出しているが、たとえ岩の上から流れていてもやっぱり小さな滝には違いないよ。
この近くの松ケ嶽城の姫さま伝説なんだが、あんまり小さな滝だから姫の滝と連想が進んだんだろうね。
小さいと言っても滝があれば、道は当然険しくなるさ。岩を踏み、岩を迂回し、傾斜は急になって汗がふきだしてくる。
どうやら道は平らになってきたな、へぇ、松ケ嶽城址への分岐がある。どこの地方豪族の城を見ても大差はないしなぁ、郷土史に興味があれば行って見るんだが、それほど熱心なわけでもなし、パスすることにしようぜ。
ここからはゆるゆるとした水平道だね。木陰のトンネルを風に吹かれてのんびりと歩くとするかね。
予告なく突然に山門が見えてきた、篁山竹林寺、これが寺の名前なんだね。
山門の仁王は愛嬌があるなぁ、最近の作なんだろうが、あえて稚拙に見えるように仕立てて、怖さを抑えていると見たぞ。
竹林寺本堂本堂の前には池があって、覆い屋付きの橋を渡って参拝するようになっている、橋の名前が八千代橋というんだとさ。池には、蓮、菖蒲などが植えてあって、季節毎に花を眺めるようになっているね、今日はあいにくと季節ではなかった。
看板の寺伝を読むと、奈良時代に行基が創建したもので、寺の名前が桜山花王寺、麓の入り口に天平の道とあったのはそこから名前を拾ったものなんだな。
小野の篁出生から出世のお話しは繰り返さなくなくともええでしょ、ここからお話しを聞いてちょうだい。
小野の篁は51歳で死んで、100年後、再びこの世に生まれ、僧となった。冥途に関係があって、生身の仏になった。因果関係は全然理解できないが、そういう伝説なんだから仕方がない、ま、そういうことなんだとさ。
それで、篁山竹林寺と名前を変えたということなんだそうだ。
今日の参拝者は大きな団体が来ているんだね、集合、の声が聞こえる、リーダーだかガイドだかが説明しているが、わたしは部外者、立ち去ろう。
鐘楼から広島空港を池の前に鐘楼へ案内する標識がある、そっちの高みに行こう。
鐘楼のベンチからは広島空港が見えるはず、繁みを透かしてあちこち眺めて、おぅ、あれかい、航空標識灯が鉄橋になっているのが特徴だもの、見えた、見えた。
広島空港ハイキングコースの一部もどうにか見えるかな。
三角点は釈迦の銅像と石標の裏にあるそうな、あったよ、だが、感激のない対面だったな。展望から隔離されてるからだろうな。
山門に戻ろうか。山門からは舗装路を行くことになる。
特別旧跡小野篁生誕之地、と大きな石碑が建っているぞ。うっそぉ、小野の篁は麓で生まれたんじゃないの、ここじゃないはずだぜ、これはちいさな突込み、判っているさ、この辺り一帯で生まれたのさ。
看板がある、へぇ、小野の篁は只者じゃないぜ。出生譚出世譚とは別のお話し。
小野篁生誕之地の石標篁は、嵯峨天皇に仕え、参議に登用され、文学博士に任じられたという。これは昼間のこと、夜は冥途に行って冥官として罪の軽重を裁いたという。
つまり、閻魔大王の手助けをしていたということです。
平安時代には、陰陽師など不思議な説話が残っているが、これと似た流れの小野の篁伝説については知らなかったなぁ。
ネットで小野の篁をキーワードに検索してみてちょうだい、へぇぇ、と驚くお話しが探せます。
これもあれも、すべてはこの寺の縁起絵巻、縁起掛絵、縁起本に由来するものなんですと。
ネットで知ったミニ情報、嵯峨天皇からは挑発を受けたようですねぇ。その丁々発止のやりとりとはこんなふう
「無悪善」この意味は? 
さがなくばよからん、嵯峨天皇がいなければね、という意味
「子」の字を十二個、さぁ何と読む? 「ネコノコノコネコシシノコノコジシ」(猫の子の子猫、獅子の子の子獅子)
河内側、篁橋から下山路をさて、この石碑の前からは舗装路を行かないことだね、下へ進む地道を行くんだよ。竹林寺登山線(駐車場)と標識が案内している、10KMとあるが、それは悪戯、1.0KMの彫り込みを削って添削したものだから気にしないことだね。
広い林道で安心して歩ける道だね。大きくカーブする箇所で広島空港が見えている、ここが見納めの地点だから背伸びして眺めといてね。
関西空港や伊丹の空港ではひっきりなしに離着陸が続くが、ここは間遠だね。ローカルだなぁと身に沁みるぞ。
地道は舗装路と十字路の交差点に到着するよ、対面の古びた舗装路を選択しよう。もともとはこれが本コースだったのさ、空港が開発されて、アクセス道路がここにも及んだので新しい舗装路が開かれたのさ。
谷沿いに下りていく道なんだが、目を転じると新しい道がはるか上を通っているんだよね。新しい道の鉄橋の下を潜って行くよ。
その古い舗装路とも離れる箇所に来たよ。朽ちかけた道標だが、近道に地道を指している。そっちへ行こうよ。
JR河内駅細道を覚悟したが、なんのなんの、広い道でなんの心配もないよ。
道はぱっと里に出て、田んぼの際を進んで行く、やはり谷沿いに道は進んでいるんだね。谷の名前が火の谷川、名前からして荒れ谷で手を焼いたんだろうね。
道はそのまま地蔵堂に出て、塔鼻地蔵尊、尾根の端だから塔の鼻なんだろうね。
地蔵の前の橋が篁橋、これはこの橋を渡れと言っているようなもんじゃないか。
橋を渡って振り返れば、料理屋明日香が地蔵の上にあって、その方向に向かえば篁山には行けるということです。
今歩いている道は県道、河内駅へ行くには鉄道のガードを潜って国道に出なきゃ駅の入り口は無いのだよ。
入野駅から河内駅に進んだが、反対ならどうだろうか、河内からは舗装路の登りで飽きるだろうね、山道を登る入野からのほうがやはりベターだろうね。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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