2013年4月23日
しぇるぱぁに、しぇるぱ
山域:島根県出雲市

尼子武将の城跡、高瀬山2

 

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高瀬山はあれ山に行こうよとよめさんに誘われて、松江道が完成したから島根県の山がええよなぁ。
そこそこ歯ごたえがあって、時間もそんなにかからない山、そんな都合のええ山があるだろうか。
あそこにしよう、出雲市斐川町の高瀬山、ここに行こうか。
高速道路を三次東インターから松江道を行き、山陰道・斐川インターで降りる。
東へ引き返して、この谷か、この次の谷か、と谷を過ぎる度に覗いて、あぁ、ここだ、ここだ、この看板に覚えがある。
高瀬城址の看板が案内しているんですよ。
ここから見る高瀬山はフタコブラクダのようで、いかにも歯ごたえのありそうな山だと思えるでしょ。
保育園児も山登り高速道路を潜って、ため池がある、そのため池の堰堤の下に駐車場所がある。
前の車からぞろぞろと保育園児が下りてくる。このちっちゃい子、山に登るのかいな。わぁわぁ、にぎやかに騒ぎ立てているぞ。
この子等の後ろを歩くとかなわんな。さっさと先に歩いて行こう。ここから登って行くんだよ
まずは階段なんですよ。登山道の草刈りをする作業者がいる。市役所の観光課かどこかが手配したのだろうね。保育所が頼んだ?それはないだろう。
とっととっとと結構な階段なんですよ。ため池の傍から一挙に登って尾根にまで登ってしまう。
登り切ったあたりに
タブの木の巨木がある。タブノキは海岸近くからこの辺までよく見かける木です。潮風と相性がええのかね。
尾根の一本道尾根道は尾根上の一本道で、三の丸(鉄砲立)と案内看板が出ている。
三の丸の城郭を構える余地はないが、小屋に鉄砲撃ちが数人籠れば、それだけで難攻不落になることだろうね。
七曲りと案内があって、ここから先が七曲り、という意味だったんだね。最初は曲がることもないが、だんだん何度も折り返して登ったよ。
ひとつ、ふたつ、みっつ、と指を折って数を数えてはいけません。七曲りとはたくさんの曲りと解釈してやらねばいけない。メニ・メニ・カーブズなんだよ。
笹に覆われた道から、ひょいと広場へ飛び出す。ここは
駄置場だおきば、ここまで荷駄で運んでここに倉庫があったのだそうな。
ここからは傾斜が急になる。
駄置場横を見ると、土木工事で平らに削って、兵站跡があったとうかがえるところがある。
急すぎて、建築用の足場・梯子が取り付けてある。城跡に近代装備で似合わない感じだが、ほんとはこのほうがありがたい。
横濠の跡も残っている。時代を経てこんな姿になっているが、往時は濠に仮橋を架けたりして有事に備えていたのだろうね。
ちょっとした広場に登ってきた。出雲大社の方向が開けていて、出雲ドームから山裾に目を移すと出雲大社があるのだ。
何段かの段差を経て、ここが頂上広場、高瀬城
つめの丸なんですよ。
つめの丸とは、織田・豊臣軍勢では本丸のことで、毛利、尼子勢では本丸とは言わず、つめの丸と称したのだ。
工事足場がある詰の丸という異字もあり、要するに、城の最奥地、最高地ということなんですね。
なんで甲の意味が詰と同じなのか、全然解らない。ウィキペディアにも出ていない。
出でよ、地元の小説家。
つめの丸とはこういうことだよ、とストーリーの中でもうを開いてくれんかね。
頂上からは宍道湖が見えている。島根半島の山脈が見えている
下を見ると、ため池が見えていて、あそこから登ってきたんだよね。
保育園の子どもたちが登ってきた
出雲大社の方向は聞いてみると、5歳児、4歳児、3歳児、2歳児までも、よぅここまで登って来たな。取り巻かれて、
なつかれてしまった。
さあ、降りよう。あの園児たち、登りは楽々登れても、下りは難儀するだろうね。幼児は頭が重いのだよ。すぐに転ぶ。下りで転んだら痛いじゃすまないものね。
とっとことっとこ降りて来て、
駄置場だおきばまで降りてきた。
広場の反対側に二の丸があるのだよ。小高瀬とも言うのだそうな。
前に来た時はヤブはびっしり繁っていてとても入れる余地はなかった。今見ると、刈って道を開けてあるじゃないか。入ってみよう
倒木がゴロゴロしている。笹を刈ってはあるが、手荒くトラガリに刈ってあるので右に左に歩き易いところを選んで歩かなきゃならない。
高瀬山頂上ここが最高位置だよね。ペプシコーラの缶がぶらさげてあるのはポイントだという目印なんだろうね。ここが二の丸としようじゃないか。
ここで弁当を食べることにする。ヤブに埋もれて、風を防いでくれるのがメリット、展望がないのがデメリット。
食べ終わって、もとの道に引き返す。
七曲りを経て、尾根の上の道を引き返して、振り返ると、二の丸が視野の大部分を占めている。高瀬山甲の丸は前山に塞がれていて、見えているような見えていないような、判然としない。
大階段を降りて、駐車場所まで戻ったぞ。
二の丸池の傍まで行って、高瀬山を見上げてみた。頂上からは池が真下に見えたのに、ここから見る高瀬山は高い山のような気がしない。平凡な山にしか見えない。
帰りに、荒神谷遺跡を見てきた。銅剣と銅鐸、銅矛が出土したところなんですよ。
出土地にレプリカが置いてある。左に銅剣358本、右に銅鐸6個・銅矛16本
出土した本物は出雲大社近くの県立古代出雲歴史博物館の保管されているのだそうな。ここの荒神谷博物館ではないのだそうな。
ここに埋めた意味は何なんでしょうね。大和政権対出雲王朝、降伏か講和か、白昼堂々の祭祀か夜に紛れての祭祀か、想像が膨らむねぇ。
荒神谷遺跡出土地にはセメントで上塗りしてある。これでええんだろうね。不心得者がスコップを持って暴きに来る、そういうのも防がにゃならないのだろうしね。
帰りは三次東インターまで帰ったが、えらく早い時間に帰れた。
広島県内の芸北の山や、呉の山と比べると、出雲の山々の方がはるかに近くなった。
参考 2007年07月26日 尼子武将の城跡、高瀬山

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