2007年7月26日
しぇるぱ単独
山域:島根県斐川町

尼子武将の城跡、高瀬山

 

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高速道路の奥に高瀬山先ほどまで、延命寺という寺におりました。いま、中国薬師を巡拝していて、第37番の寺に参っていたところです。
寺の前を流れる川が
斐伊川ひいかわ、町の名前が斐川町ひかわちょう、なんだか統一感がないような気がするでしょ。
いえいえ、これでええんです。ひかわ、とは言わないし、ひいかわちょう、とも言わないのです。
たとえば、三重県の津、つぅ、と発音します。津市の場合は、つし、と言います、つぅし、ではない。
言葉にはリズムがあって、口調・語調が悪ければ、拗音・促音で補います。学校では正しく書く表記法を学びますが、読む時は、表記の通りに読みはしない、これは、学校で学ばずとも、誰もが自然に行っていることです。
池の下が取り付き点延命寺から高瀬山の北側に行くには、山越えの県道183号線があります。
ドライブマップでは細い道になっている、ひょっとして、の危惧がそのまま当ってしまったよ。恐ろしく道幅が狭い。
幸い、対向車がなかった。もしも対向車がやってきたらえらいことになるところだった。
山道を抜けて、平野に出ると、荒神谷遺跡、荒神谷史跡公園、大量に剣が出て、国宝に指定されました。
ちょっと今日は寄ってる時間がないのだよ。いずれ、見学するからね、今日のところはパス。
高瀬城跡、三の丸跡進むうちに十字路で、看板がある。高瀬城跡の看板がある。クリーンセンターの道標もあって、ドライブマップには、この先、ゴミの処理場が示してある。
向かう方向には、山陰道の高速道路が空中高く走っている。目印としてはそのほうがはっきりしてるよね。
池に到着しました。堤の下、道がカーブするところに登山口の表示がある。駐車スペースも充分あるぞ。
登山口には案内看板があるんだが、汚れているので読む気もしない。どうせ、城の来歴、なんちゃらかんちゃらなんだろう。
池のすぐ傍を通るのだが、池の水面は、草が繁って邪魔してろくに見えやしない。階段をそのまんまどんどん登り続ける。
尾根から高崎山をおう、タブノキの巨木だよ。宍道湖・日本海から近いんだもの、タブノキの優先領域にいるんだよねぇ。
登り坂も終わって、水平歩行するようになってきた。道幅が広くなったね。はぁ、ここが三の丸(鉄砲立ち)なのかい。
稜線が狭くて、ここで抵抗すると少人数でも効果的だろうな。尾根が狭いから大きい建物は建てられないぞ。
三の丸と名前は仰々しいが、砦・塞のカテゴリーに属するんじゃなかろうか。大部隊を配置できるとは思えない。
ここから二の丸・本丸へ細い尾根が続いている、この細くて長い尾根が最大の防御線だね。攻撃側は、なんぼ大軍勢でも、一人づつしか進めないものね。
ここから七曲りこの尾根から、ずんぐりとした山と尖った山が見える。里の絵看板で学習したから、どっちが二の丸で、どっちが本丸か判っている。
細い尾根が山腹に溶け込んだあたりで、道標がある、七曲り、どこかで聞いた名前だなぁ、「太陽にほえろ」に出てくる警察署みたいだねぇ。
何度か曲がるけど、そんなに頻繁に曲がったような気がしなかったな。
坂道から平地に出て来た。ここが駄置場だおきば、ここまで馬で運んで、武器・食糧を貯蔵したのだそうな。
ずんぐりとした山には二の丸があって、尖った山には本丸、ここでの呼び名は
つめの丸、そっちへ向かって、道は二分する。
駄置場の広場二の丸へは笹が繁って行く気がしないね。甲の丸のほうへ向かおう。道もええことだしね。
さすが見かけが尖った山、道は急になる。
土木工事の跡が見えるね。削ったり盛り上げたり、空壕で敵の侵攻を邪魔したり、林の中の見えないところでは竪壕も掘ってあることだろうさ。
石垣が全然見えないぞ。戦国時代前期は技術的には土工作業のみで、石工作業は未発達だったんだろうね。
おぅ、建築足場の階段だよ。木で梯子を組むのではなくて、一挙に現代の技術を持って来るかね。
建築足場を転用広場になっている。甲の丸の下の屋敷跡なんだね。ここは結構広いよな。相当の将兵が収容できるぞ。
広場の先には、基壇のように盛り上がって甲の丸の上の屋敷地が見えてくる。
頂上まで登ると、そこは岩場、削ったのか、ほぼ平らになっている。
南は木々が繁って展望は効かないが、北の方向には遮るものがない。
今日はあいにく、午前中が雨降りで、水蒸気がこもって宍道湖も島根半島山脈も見えない。麓の高速道路、取り付きの池ならよく見える。
高瀬山頂上西に霞んで見えるのが仏経山、その南麓に延命寺があるのだよね。
つめの丸という呼び名には、頭崎山の城跡で始めて出会った。へぇぇ、本丸とは言わないのだとトリビアを得たもんだよ。
つめの丸とは、毛利方でも尼子方でもそう呼ぶのだと納得した。
毛利の勢力圏では、何々の段、という言い方をするのですよ。頭崎城跡では、太鼓の段、煙硝の段など、と呼んで、何々櫓、何々曲輪などの全国的に耳なれた名称ではない。
今のところは、二の丸、三の丸と、尼子方では呼んでいた、と聞き流しておくが、それが確かなのか、他の城跡も点検したいもんだよね。
頂上から取り付き点を甲の丸が毛利方・尼子方共通なのに、段と呼ぶのは片方だけ、こういうことはあるのかしらね。
城郭の呼び名が大大名によっては相違する、百歩譲って、毛利方と尼子方、あえて違う表現を選んだかもしれない、ここまでは譲歩しよう。
でもねぇ、間に挟まった豪族は何度も寝返るのが通常だったのだそうな、味方するたびに城郭の呼び名を変えた、そんなことはないだろう。やっぱり、地域共通の呼び名があるはずだよ。さっき譲歩したのを取り消したいね。
古城を訪問しているうち、自ずと収束していくことと思うよ。今後の宿題だね。
ここも三角点のない山だった。やっぱり、三角点がないと寂しいもんだね。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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