1999年12月4日
しぇるぱ単独
山域:生駒

高安山へ恩智から

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ベンチの向こうに高安山への標識があります シノ竹の密集、ほら、道はちゃんとしてるよ
ここは紀州街道、国道だけれど狭い道だね。その昔、下に下にの大名行列も通った道だ。
恩智神社の鳥居、ここから入るよ、路地をどんどん登って恩知神社の駐車場に停めさせてもらうかね。

8月に囲炉裏のなかま大勢で南の高尾山から恩智神社へ歩いたことがあったな。
その時、降り道で高安山を示す標識を横目で見て通った、そうか、ここから高安山へ行けるのか、と脳のメモリに刻んでおいたもんだよ。
今日はその宿題を果たすんだがね。

神社からすぐで、冒険遊び場プレーパークという施設がある、ここはボランティアの管理のもと、子供の遊び場と書いてある、ははぁ、ウサギなども飼っているね。ウサギとたわむれたりで遊ぶんだろね。
山道から霊園に出たところ 高安山ケーブル駅、ここから信貴山へバスがある
すぐにアズマヤに到着、ここに高安山を示す標識がある、これこれ、さぁ、尾根に取り付くぞ。
草ぼうぼうの道だろうと覚悟していたが、よく刈り込んだ道じゃないか。
展望台まであるよ、谷の向こうに送電線が延びている、信貴山の変電所からの送電線だね。稜線を透かすとあのへんを通ったなと見当がつけられるね。
八尾の街は高かすみの中、六甲まではとても見えないね。
道はシノ竹に包まれている、背丈をこすシノ竹が伸びたり縮んだり、展望はない、だから展望台があったのかい。
下からの道と合流、梅岩寺への案内が書いてある、知らないなぁ、地元のひとしか解らないだろね、いままで、紙くずゴミなどひとつもなく、あんまり利用されてはいないコースのようだね、このようなマイナーなコースを発見するとうれしいもんだよ。
開運橋、橋の下に道がある レーダー裏に最高地点、山名標識
霊園にでた、いやぁ、見渡すかぎり墓場だね。
この界隈の霊園はちょっと様子が違うぞ、本籍済州道、出身慶昌南道、どれも在日の墓地だ。日韓併合、強制連行の末、ここで安住の地を得たのだろうね。
昭和平成のミカドの暦にまつらわずに西暦で年号を書いてあるのは、やはり抵抗のシルシなんだろうね。
霊園が尽きると、高安山ケーブル駅、ここから先は馴染みの道だね。
ケーブル駅の展望台から先を見通して、もう道はない、とその昔には判断したもんだ、あったんだね、霊園沿いに道があるとは、知らなかったね。
駅から先をたどろうか、しばらくで開運橋、小さな橋があるが、この下から素晴らしい古道があるよ。
レーダードーム到着、三角点はと、はてね、どこだったかな、最高地点とおぼしきところを探りまわったがよくわからないね。
レーダー裏の最高地点に高安山と山名標識が打ちつけてあった、これで満足としよう。
霊園展望台から高安山を 恩智越えの峠


さてと、帰るかい。
もとの道を霊園沿いに戻って行くね。逆コースでたどる人向けに案内しとくと、在日の墓地が一番ふくらんだところ、こにはなんの標識もないが、ここに出て来たわけだからね。
さらに霊園の脇の道をたどります。展望はすべて霊園ばかりだが、大きな一本足の展望台が出て来たよ。
そこからは、なるほど、街も高安山もよく見えるね。霊園のほうを眺めると、なんにんかのお参りのひともいるね、祖霊のこころは絶えてはいないじゃないか。
木の階段を降りると、そこは恩智越えの峠なんだね。恩智から信貴山への道だね。 別れた尾根道にも信貴山を示す石柱もあったよ。その昔はけっこう往来のあった道なんだろね。
峠を越えると桜の並木、よく見ると、先代の桜の老樹が朽ちて並んでいる、今の並木は二代目なのか、今度は桜の季節に来ることにしよう。
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