三次市三和町、境界全部

2020年_7月_2日

北西の馬通峠から始めて隣接の自治体の境界を全部踏む

 

詳細地図、地図上のどこで撮った写真なのか解ります
でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます
縮尺は、右下の+-でお好みの尺度で見てください
使い方は、左上の[基本地図]の ▼ 白地図、航空写真、簡易地形図が選べます
Google Map では、使い方の変更が突然あります、逆らえません、従ってください

 

画像をクリックするとそのままそこだけ拡大表示されます
Microsoft Edge のユーザーは、画像・テキストにちょっと触れてください、その効果で、ポップアップページは消えます
Internet Explorer Google Chrome Mozilla Firefox のユーザーは何もしなくてもポップアップページは消えて行きます

 

どこかの自治体の境界を全部自転車で踏破してみたい、と思うことがあります。
一度は、東広島市河内町の境界を全部踏もうと志したことがあります。行ってみると、国道432号線が椋梨ダムの下流で崩落して、河内町の通行がばっさり断ち切られていた。
コースの中央が通行止め、これは諦めなきゃしょうがない。
それ以来、どこかにめぼしい自治体はないかと探していました。あった。三次市三和町なら条件が整っている。そこに行こう。
どこを出発地点にしようか。馬通峠が向いているんじゃなかろうか。安芸高田市甲田町と境界を接しているんですよ。そこに駐車した。
駐車場所に困った。交差点のどこにも駐車する余地はない。木造船を置いてある空き地が適当かな。草地に乗り込んで駐車する。
迷惑かな、と思うなら、南に向かうか、東に向かおう。交差点からそれぞれ200メートルくらい進めば、それぞれ道幅が広がっている個所がある。そこなら心咎めることなく駐車できます。
さて、この馬通峠、変形四差路なんだよ。あぜひら牧場への道がある。県道52号線があって、方や甲田町に向かう、方や三和町旧役場に向かう。三和町内の下板木に向かう県道440号線がある。
でかい記念碑がある。出征兵士を偲ぶ記念碑だった。出征兵士と見送りの衆はここに集まったのだそうな。見送りはここでお別れ、兵士は甲立駅まで歩いていく。
昔々の馬通峠の由来などくどくど述べるより、ここでお別れするのが身を切るほど辛い。記念碑の主体はそっちになるよなぁ。
交差点から南東の方向へ自転車を向ける。まもなく県道の分岐、県道52号線と県道438号線が分岐する。交差点を右折する。
この谷は成広谷なひろだにと呼ばれているのだそうな。上成広・下成広の集落がある。
広い道と狭い道の分岐に差し掛かる。狭い道を進んでいくのだ。こっちが県道なのだ。広い道は隣の大力谷へ進んでいくのだ。
狭い道なのに、大型トラックが行き交っている。この先に巨大な養鶏場があるのだ。そこへ鶏の飼料を運び、鶏卵を出荷しているのだ。
鶏の飼料を積んだトラックが来た。こんな道では自転車は下りて道を譲らなきゃならない。草の中に引っ込んで邪魔にならないように避けなきゃならない。
大土山の案内看板がある。甲田町側からも登山口あり。三次市側の登山口はここなのだ。
ここが水越峠、峠には溜め池がある。道の先が下り坂になったのでここが峠の最高地点、そこで引き返したのだが、もうちょっと進むべきだったのだ。
緩い下り坂の先に養鶏場の入口がある、向原農園。そこに安芸高田市向原町と三次市の境界の看板があるはずだ。そうだ、そのことを忘れていた。参照:2009年2月16日「大土山の山麓を一周
三和町の境界全部を押さえたつもりだがが、惜しいところで抜かりがあった。
引き返して、成広谷なひろだにを戻って、馬通峠から来た交差点に到着、三和町旧役場の方向へ進む。
羽出庭交差点を直進する。この交差点から右折すれば、大力谷から山越えして向こうの斜面に東広島市豊栄町との境界がある。今日はそっちへは行かない。
旧役場の下の分岐を右折する。旧役場には行かないのだよ。あれが三和文化センター、建物は見慣れている。今まではてっきり倉庫とばっかり思い込んでいた。あれが三和文化センターとは知らなかった。
緩い登り坂、ここらあたりが板木地区と上山地区の境界だろうな。
1955年、三和町は、細かいところを省いて大雑把に説明すると、敷名地区・板木村・上山村が合併して三和町になったのだ。その旧村の境界がこのあたりなのだよ。
国道375号線に合流する。このあたりは旧上山村の村役場があったあたりなのだ。旧村役場の建物はどこなのか定かではない。
国道375号線を登っていく。ほぼ登り切ったあたりが境界で、東広島市豊栄町飯田の集落なのだ。
ほんとはここを峠と言いたいのだが、広い耕地が一続きに連なっていると、峠とは言いにくいよねぇ。峠ではなく、何と呼んだらええのかしらね。
引き返そう。国道を戻って、上山の集落まで戻る。ここから県道161号線が始まっている。終点は、東広島市豊栄町を経て三原市大和町の椋梨川まで繋がっている。
上山地区の最高地点を経て、吉原川に沿った道に合流する。前にここを自転車で通った時、県道の合流標識が見当たらなかった。パンダのレプリカが目印になるのだ。
吉原川に沿って遡上する。ここが吉原川沿いの境界。なんか境界としては納まりがが悪い地形だな。
最初は地頭の勢力争いの結果だと思ったんですよ。そうではなかった、戦後の分村・分離の結果なんだね。
交通事情や通婚事情によって、村として組むのがこっちのほうが都合がええ、そういう事情が優先したんですよ。結果、不思議な境界が誕生したんですよ。
さて、引き返そうか。吉原川を下って美波羅川に沿って登っていく。ここが世羅町黒川の境界地点。世羅町側は県道に歩道が整備されているが、三次市側には歩道がない。明らかに差がある。
現代の地頭、即ち、県会議員、市長、町長のちからの差なんだろうね。どこに政治の重心を置いていくか、首長の価値観の違いもあるだろうしね。
引き返して、美波羅川の東側の道を行く。国道・県道の交通繁多な道を避けたのですよ。里道を行くほうがゆったりとしていられるよねぇ。
世羅町下津田の境界なのだ。ここも作為的な境界なのだ。江戸のころ、明治のころの世羅郡ははるかに大きかったんだそうです。周囲から侵食されて、かなり縮んだのだよ。
引き返して、国道375号線に戻る。
国道をちょっと進んだところに、三次市有原町の境界看板がある。
当然ここでも引き返す。ちょっと引き返して、国道から道を逸れていく。美波羅川を渡る。橋の名前が大笹橋、大笹集落を抜けていくのだよ。
このあたりの大字名は三和町有原、あれ、さっきの境界の向こうも有原町。
そうなんですよ、もともとは一緒の集落でした。川西町の有原、三和町の有原、分離したんですね。川西町は三次市と合併しました。三和町も三次市と合併しました。
同じ鞘に戻ったんじゃないの?いいえ、小学校の校区も農協の支部も別々のままです。
三和町有原の坂道、ちょっとここの坂道はキツイ、自転車コースの後半なので、疲れが蓄積して、とうとう自転車を降りて押して歩くことになった。
ここが有原の最高地点、この先は下り道になる。
照円寺の孔雀松がこれ。西国三十三か所巡礼で、第20番善峰寺がある。そこに遊龍の松があるが、じゅうぶん対抗できるよ。
下板木に出て、美和桜の酒造会社の前を通って、下志和地町との境界まで来た。もちろん、ここも引き返します。
下板木交差点から馬通峠を目指す。
ひぃひぃ、登り坂が辛いよぉ。辛いところは下りて押すよ。コースの末端だから疲労困憊して漕ぎ続けるわけにはいかないのだよ。
やっと馬通峠まで帰ってきた。いやぁ、くたびれたぞ。
タイトルに、境界全部と打ち出したが、国道・県道の境界は全部押さえた。大力谷からの広域幹線林道大力谷清武線というのは踏んでいないが、あれは林道だもの、除外してもOKということにしてね。
ヒトデの輪郭を描いたような、クモの巣を描いたような、奇妙な図形になったが、「三次市三和町、境界全部」自転車でパーフェクトにめぐったぞぉ。
馬通峠 水越峠 板木と上山の境界 国道375号線の境界

上山最高地点 吉原川の境界 世羅町黒川の境界 世羅町下津田の境界
市内有原町の境界 三和町有原最高地点 照円寺・孔雀松 市内下志和地町の境界
自転車インデックスに帰る
2020年リストへ帰る
トップページに帰る