中国地蔵尊巡拝

第23番 歓喜山月照寺かんぎざんげっしょうじ 浄土宗

島根県松江市 平成20年6月6日巡拝

 

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月照寺、駐車場の地蔵 月照寺、料金所 月照寺、初代藩主の墓所 月照寺、書院玄関
石見の地域が終わって、次からは出雲です。最初が松江市、さて歩を進めるかい。
高速道路の山陰道なんですが、有料区間と無料区間があって、有料のインターチェンジは当然マップに書いてある。
無料区間に入ると、出入り口がドライブマップに書いてなくて見当が付けにくいぞ。
松江玉造インターが有料道路の終点、無料の区間に入って、次の松江西の出口から抜ければよろしい。
出れば、宍道湖の湖岸道路で、そのまま北へ向かい、宍道湖から流れ出る川を渡ればよろしい。
松江市役所と島根県庁に挟まれる道を西に向かう。
下に地図があるから参照してもらえればええのだが、城の堀を渡って右折、すぐに左折、すると、突き当たりの山の麓に月照寺はあります。
解りにくいかね。それならね、電柱の看板広告を見てちょうだい。月照寺路芝みちしば風流堂と広告が出ている。
たぶん和菓子の広告だと思うんだが、その電柱の看板広告を追いかけてちょうだい。
東林寺月照寺駐車場と看板があって、ふたつの寺が共同で駐車場を置いているという珍しい例に遭遇しました。
駐車場の片隅には、中国地蔵の幟があって、地蔵が幾体も並んでいる。これでは、月照寺の立場のほうが強いじゃないかい。
隣が寺だろうと思ったら、そうではなかった。数軒先まで歩かなければならないのだ。
まず、東林寺があって、その隣が月照寺、寺の隣は山になっている。
ええと、この寺は入山料が必要なのだそうな。大人500円、はい、大人ひとりお願いします。
どうやら、月照寺は松江藩松平公の菩提寺なのだそうな。格式が高すぎて檀家が他にないんじゃなかろうか。経営するには、観光寺院でやっていく、入山料を求めるしか方法がないのだろうね。
直進すると唐門、寺の本堂書院への門は通用門で小さく、墓所の門のほうが権威があって、世間一般の寺の構成とはずいぶんと違っているよ。
順路に従って歩くと、初代の墓所、隣が七代目の不昧公の墓所、この方は茶の世界ではえらく高名だということだが、失礼いたします、茶の世界に暗いので、どの程度偉いのか値打ちがわかりません。
さらにこの奥に何代にもわたって墓所が続くということだが、もう、それはええ。よそさまの墓地をこれ以上拝見する気が起こらない。
墓地めぐりを止めて、庭石伝いにあじさいを掻き分けて歩くと、小さなお堂の前に出た。これは現在の本堂なんだそうな
明治維新の時、本来の本堂は取り壊してしまったのだそうな。
本堂に続く棟は書院、茶席、不昧公の伝統で茶を正面に押し立てているのだね。
寺院経営の芯を幼稚園に求める寺もある、ここでは茶席を芯に据えたのだ。
門前の看板に、徳川家康ー結城秀康ー松平直正ー(この先何代も続くので、長いから以下省略)
こういうことです、結城秀康は徳川家康からは冷遇され、羽柴秀吉に養子に出され、秀吉に実子が誕生すると、結城家を継ぐことになった。
三男直正は松平姓を名乗り、徳川連枝として藩を立てた。松江藩の誕生にはこんな事情があります。

このあと、東出雲町の京羅木山に登ってきました。毛利の尼子への前線基地、京羅木山
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