中国四十九薬師霊場巡拝

第7番 医王山仏教寺

岡山県久米南町 平成18年6月2日巡拝

 

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国道から仏教寺への分岐 仏教寺山門 仏教寺本堂 仏教寺庫裏
美咲町からさらに南下する、久米南くめなん町に入っていく。固定名詞だからね、くめみなみまちではないのだよ、くめなんちょうと読むんだよ。
誕生寺と看板が指差すのを横目に進んで行く。中国観音の特別霊場で、法然上人の誕生の地に寺を創建したものなんですよ。
国道はJR津山線と交差しながら進んで行くが、跨線橋で線路と川をまたいで乗り越えて行く、ここから注意していてね。
山際に仏教寺への道があるはずだが、と見張りながら進んで行くのに、あ、あった、しかし、車の列に包まれて曲がるに曲がれない。
道を通り過ぎてから案内の看板が見えるんだもの、看板を置く場所が悪いよ。
そのままトラックとトラックに挟まれて流れていく、道の駅があった、ここで曲がって元の道へ戻ろう。
今度は注意して進もうね。ここだ、ここで山際に左に道を取っていこう。
うわぁ、谷底をブランコのように左右に振りながら急な坂を上っていく。ギアをセカンドに切り替えないととても上れない。
中腹に登ると、人家があるよ。谷底にはたんぼは無かったが、ここにはたんぼが広がっている。弥生時代の民は中腹から耕地を拓いたのですよ。それが連綿と繋がっているのだね。
尾根の突き出しに寺の風景が見えてきた。しかし、ここに駐車してはいけないらしい、この先に駐車場があるよと誘導している。
第三駐車場と看板がある箇所に止めようか。
目を上げると山門が見える、尾根の下へと古い参詣道が残っている。
山門には仁王がいたはずの空間があるよ。看板ではどこかへ移したと書いてあったが、移したところがどこなのか見つからなかった。
本堂の前に出た。
寺伝では、往時は隆盛を極めて、49院、明治の頃には9院の子院があったという。窮乏して子院を統合して、今の本堂も子院の堂を移設したものだという。
子院がたくさんあったというのは本当のことかもしれない。庫裏がやたら遠いのですよ。庫裏と本堂を往復するのが手間がかかる、この距離は本院子院の距離だね。
窮乏するのも不思議でもなんでもない、そもそもこんな山の上で寺院の経営が出来るほうが不思議に思えるよ。
境内からの眺めが素晴らしい。山腹でもほとんど山の上に近いので、南を眺めると、山々が連なっているのが見える。

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