近畿不動巡拝

第28番 成田山 大阪別院 明王院(なりたさんおおさかべついんみょうおういん)

01年9月15日巡拝

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広い駐車場と祈祷所車で行くと解りにくい道だな。道路標識に従えばなんとかなるだろ。えらく裏道だな、やれやれ着いたぞ。
駐車場が大きいね。ここのウリモノは自動車の祈祷だもの、広い駐車場を持たないとさばけないね。
わたしは車の祈祷などには関心がない、ついぞ祈祷だのお守りだのにすがったことがない。ところが、世間の需要を取り入れる、心の隙間を埋めていく、この寺、なかなかのお上手とお見受けしました。
祈祷所の後ろに本堂祈祷所が前面にバンと突き出して何台もの車が祈祷を待っているなぁ。交通安全、交通安全。
本堂はその後ろ、本尊は不動明王、車の祈祷を受けるひとはここまで来ることはないだろうな。
脇にまわると、奥の院はその先、とある。奥の院に行くのに階段を下りて行くよ、大概の奥の院は上へ登るもんだが、不思議な気がするね。
地下の奥の院門外には出ないのだね、横へ曲がると、斜面に洞窟がある、そうか、寺の地下が奥の院なのか。洞内は暗いね、干支ごとの守り菩薩があってかすかにろうそくが灯っている。
外に出ると、滝行場がある、今は涸れているが、水道の水を開栓して滝にするのだろうね。
もともとは千葉県の成田山新勝寺の分院なんですね。昭和9年に招来して建立したということだ。大阪別院なんだが、新勝寺を名乗っていないのは、根来寺の明王院を移築したからなんですね。
滝行場なんで根来寺なのか。同じ真言宗でも、高野山とは別系統、宗儀を争って根来寺に新儀真言宗が出来ました。その後、豊臣秀吉と対立して滅亡した歴史があります。徳川家康は宗教支配のため、高野山を牽制しようと、智積院(第20番)を創建して根来寺を継承させたいきさつがあります。同様の政策に、東本願寺西本願寺を並立させた例もあります。
その智積院に、幕府の強権で、成田山、川崎大師、高尾山などを組み込んだ、こういう歴史があります。歴史的な大寺が新出来の寺に屈服した珍しい例ですね。この系統を智山派と呼びます。
その歴史の末に、昭和に誕生した寺なんですね。

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