近畿不動巡拝
第34番 一乗山大伝法院 根来寺(いちじょうざんだいでんぽういんねごろじ)
02年12月8日巡拝
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今日も雨、雨の日には寺参りだね。これから行く根来寺には裏に大きな山がない、寺だけにしよう。
寺と離れて山門が遠くにあるね。往時は強い勢力を張っていた証拠だな。
この寺の開祖は、興教大師かくばん上人なんですよ。(難しい漢字なのでひらがなでごめん)
弘法大師没後300年、教義が乱れていたので、かくばん上人は高野山に大伝法院を建てて教義を立て直した。
高野山にも荘園があるのだが、別に、大伝法院も荘園を獲得した。
そこで、教義上だけではなく、荘園の経営権の争いもあって、高野山を離れた、そりゃそうだろね、こんなことはよくある話し。
その後、根来寺は大名級の領地を持つほど勢力を増した、維持するために僧兵を擁し、鉄砲も生産し、鉄砲のスペシャリストを養成した。
当然、天下統一の抗争で、衝突するよね。結局、豊臣秀吉に滅亡させられた。
ここからが話しが変なんですよ。
江戸幕府徳川家康は根来寺を再建して、塔頭の智積院を根来寺として京都に移設した。それが20番。
新義真言宗として、傘下に成田不動や川崎大師、京都の高尾山などを置いたというからすさまじい。
京都の智積院は堂々として隆盛を極めていますよ。
ここの根来寺はぬけがらのようで、寂しいかぎりだね。
さて、その寂しい根来寺、雨の日のせいか、参拝者はまばらやなぁ。
合戦で焼け残ったのが、根本大塔、大伝法院、教義のシンボルが焼け残ったとは、織田信長の比叡山焼き討ちと比べて、だいぶ違うな。
和歌山県の自動車には、根来寺のステッカーが多く見る、境内のはずれにきりもみ不動堂があって、そこで交通安全の祈祷を授かっているんですよ。
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