2007年1月10日
しぇるぱ単独
山域:広島県尾道市

この字は読めるか、摩訶衍山まかえんざん

 

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光林寺から谷に入る地図を眺めていて、これは読めないぞ、という名前の山を発見しました。摩訶衍山、ふりがなを振ってあるから、どうにか読める、まかえんざん。
尾道の山や寺に通って、その度に地図を眺めて位置を確認していると、発見してから半年後、登ってみたい気運が盛り上がってきました。
ネットで調べてみると、あんまり材料がない。いや、それよりも、そもそも登山の対象にもなっていない山のようだと判ってきたぞ。
ええじゃないの、
摩訶衍山まかえんざんとはどんな山か、登れば納得できるもの、行くべし、行くべし、とにかく行かねば判るもんかい。
尾道の市域に入って、尾道インターへの交差点を過ぎて、次の信号が尾道工業団地、その次の信号、ここを左折するんだよ、県道158号線を進むのです。
上空では高速道路の工事が真っ最中、背の高い橋脚が伸びて、尾道松江線の道路を建設中なんですよ。
進んでいるうち、地元の看板地図が見える。車を止めてロケーションを確認しよう。木ノ庄東地区の看板地図なんだねぇ。
最後の民家看板によると、麓の集落の名前が、門前だったり家貞だったり、とにかくそのあたりに向かえばええのだな。
道は大きく曲がって、眼っこを付けといた寺が山裾に見えてきた、ここらで寺へ車を寄せてみよう。
寺の周囲に駐車できそうな余地はないね。引き返して、山裾の大通りで、墓地の前に道の膨らみがある、ここに駐車することにしよう。
ゴミ置き場の近くなんだ。紙類、布類、駄ビン、生ビン類、スプレー缶、アルミ缶、スチール缶、金属類、いやぁ、資源ゴミの分類が細かいね。
え、なになに、駄ビンとは割れたビン・ガラスのことなのかい。ちゃんとしたビンは生ビン類というのか、
なまビンかね、いきビンかね、どう呼ぶんだろうね。
寺の前に差し掛かった。寺の名前が亀谷山光林寺、このあたりの集落に亀谷という名前はない、それなら、この谷の名前が亀谷というのだろうな。
ここが家貞集落なんだが、山腹崩壊危険地区のようだよ、集落の斜面をセメントで塗り固めて鉄杭を打ち込んで地面を縛り付けてある。
尾道市最終処分場最後の民家を過ぎれば、舗装路の細道になった。昔々は使っていたが、今はあまり使われていない道のようだね。
なんでわかるかって? 道の両側には竹やぶが猛烈にはびこっていて、道にかぶさっている、気にもかけていないのがありありと判るもの。
道は、反転して曲がって行くほうか、真っ直ぐに谷底を進むほうか。真っ直ぐの道には三角帽子のコーンで立入禁止と塞いである。
立入禁止の奥を透かすと、コンクリートの壁が見える。車道が横切って、砂防ダムか砂溜りで防壁を作っているみたい。
舗装路をそのまま進むしかないだろう。うむ、正解だった。車道の擁壁が立ちふさがっている。道の壁沿いに歩いて行くと- - -
尾道市最終処分場、ゴミの埋立地に出てきたのだ。
処分場の事務所・工場の後ろには民家がある。一昔までは、谷の道が彼らの生活道路だったのだ。今は、ゴミ運搬の車道が別にあるので、使わなくなったのだ。
ゴミの埋立地全景民家の前を通って、尾根を迂回して、ゴミ処分場を見下ろして歩くようになる。
ここで送電線とクロスするようになる。この近くに変電所があって、
摩訶衍山まかえんざんの頂上からはその変電所を見下ろすようになるのだよ。
谷の全部を青いシートで覆ってあるよ。ゴムシートなんだろうな。
不燃物及び焼却灰が取り扱いの対象だそうな。埋めた上にシートをかけてあるのだろうか、谷底にシートを敷いて、これから埋める準備をしているのだろうか。
道の崖際に地蔵さんのお堂がある、延命地蔵、岩谷地蔵とある。
ありゃ、麓の寺の名前からこの谷は亀谷だろうと推定したが、岩谷説も出てきたよ。どっちかわからん、好きな名前を選んでちょうだい。
谷の頭に峠が見える。大きな看板があるがあれは何なんだろう。
帰りに、峠の大看板に寄って見ると、やはり、中国自然歩道の案内図だった。案内図を見たが、魅力的なコースとは思えないね。
摩訶衍寺峠の手前で広幅の舗装路と交差する。ここは四差路、道は真っ直ぐに山道へ進むのが正しいのだよ。
ここで始めて、中国自然歩道の道標が出て来る。さっきまで歩いたいた道がずっと、なんぼ舗装路といえども、自然歩道なんですよ。
この道のどこが自然と言えるのかねぇ。ゴミの処分場を眺めながら文明文化の終末を考えて、自然のことに思いを馳せよというのかね。
ええと、ここでの看板によると、
摩訶衍寺まかえんじの由来が書いてある。こういうことだそうな
看板から離れて、しぇるぱの勝手な解釈を口走るので、ま、聞いてちょうだいね。
摩訶衍という僧侶がいたんですって。8世紀の中国の仏教僧で、招聘されて禅をチベットに伝えた、ということ、ただし、論破されて負けて敦煌へ戻ったのだそうな。
境内から見える尾道の海なんぼ高僧でも、論争に負けた坊さんの名前を寺の名前に頂くことはないだろう。この説は却下。
摩訶とは何か、摩訶不思議、摩訶般若波羅蜜多心経、即ち、あらまぁ不思議大不思議、おぉ素晴らしき智恵のお経よ、こんな使い方ですよね。
衍とは、はびこる、しく、という意味なのだそうな。
すると、摩訶衍寺まかえんじとは、なんとまぁ蔓延ったもんだ、これではまずいね、却下。あまねくあまねく広げたてまつるぞ、わっしょいわっしょい、そんな感じの寺の命名ではなかろうか。
看板から
摩訶衍寺まかえんじまで遠いのかと思ったが、ほんの直ぐだった。
摩訶衍寺まかえんじは石垣高く、仁王門から長い石段を踏んで、境内に入って行きます。
摩訶衍山三角点ありゃ、仁王門だったね、曹洞宗だから仁王門はふさわしくないはずだが、法相宗、真言宗だった前史があるので、その名残りかもしれないね。
本堂、いや、
法堂はっとうを見ると、完全に禅宗の堂様式です。
境内から振り返ると、尾道・三原の海が見える。千光寺山が立ち上がって、その後ろに向島の山因島の山、東に眼を移すと松永湾が見える、福山の海です。
おっとっと、わたしは寺参りが目的で来たのではない、山に登ろうとやってきたのだ。
ひょっとして、寺の後ろは止め山で、入るを許さず、なんてことだったら、何をしに来たことやら。
境内の左右を観察すると、右手に、便所と風呂場の間に、道が奥に続いているのが見える、しめた、この道を行けばなんとかなるかもしれない。
市天然記念物ヤマモモがある、一本の樹が股分れしたものなのか、二三本の樹が融合したものなのか、ちらっと見ただけで判別はしていない。
北への展望が広がる岩場道が二手に分れているが、たぶん恐らく、どっちを行っても山頂へ続くのではなかろうか、とりあえず、左へ、庫裏の裏へと進む道を選んだ。
右に墓地、左に地主神の祠、ずいぶん厳粛な場所に出てしまったよ。その真ん中に細い道が延びている、左右から草木が突き出しているが、しゃがんで通るしかないさ。
すぐに稜線のはっきりとした道に出た。この先で道は二分している。当然、頂上へと進む細いほうの道を選ぶよね。
道の真ん中にヌタバがある、イノシシが水浴びして、粘土を体になすりつける場所だ。人間世界ではなく、イノシシが跳梁跋扈する世界にいるんだね。
道には松の苗木が生えて、掻き分けながら進まなきゃならない。足跡はひづめの跡ばかりで、靴跡はとんと見当たらないぞ。
三角点だ、
摩訶衍山まかえんざんの頂上に到着しました。
その三角点からまだわずかに高いところがあるぞ。祠があって、その先に大きな岩がある。そこまで行こう。
北の山、岳山前山おぅ、ここからは北への展望が広がる。
福山に流れる芦田川だが、府中の上流で、西からの御調川、北からの三川ダムから流れる本流とに分れる。その御調川の谷が横たわっているのが確認できる。
その奥に、周辺の丘陵とは明らかに異なる山塊が盛り上がっている。あれは岳山・前山の山塊だな。おぅ、リッパ、リッパ。
先週、岳山に登ったのだが、
摩訶衍山まかえんざんから岳山の勇姿が見えるとは思わなかったな。
右へ、東のほうへ眼を移していくと、亀ヶ岳、蛇円山、位置からして、あのへんにあって然るべきと、山の姿が決まってくる。
変電所からずっと後ろの山は世羅郡との境界の山だろう。穏やかな丘陵の状態で、なになにの山、これこれの山と見分けるには決め手がない。
三原の奥山の龍王山、大峰山が見えるはずなのだが、木立ちが邪魔をして、ま、あの辺りだろうて、無理に見定めることもないさ。
道の大部分が舗装路だもの、登山意欲の湧かない山だが、この展望は気に入った、備後の南部の山ほとんどが見えるからね。
さぁ、帰ろうぜ。もとの道を帰って行こう。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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