2008年3月7日
しぇるぱ単独
山域:山口県防府市

防府の岩峰、右田ヶ岳

 

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小学校前の駐車場中国地蔵の巡拝で、さっきまで山口市の禅昌寺にいたんですよ。
同じ市域の山に向かうのが毎度のことなんですがね、ちょっと南に向かうと、防府市になるのだが、そこに前々から気になる山があるんですよ。
右田ヶ岳です。山陽道を通る度、ものすごい岩峰だなぁ、と横目で見ていました。見ているだけじゃダメじゃん、登ってみなきゃ。
国道262号線、中国道の山口インターと山陽道の防府インターを結ぶ線です。
防府インターは、防府東インターと防府西インターがセットになっていて、東インターは東の方向、西インターは西の方向、それぞれ分担が違うので勘違いしないようにね。
山口市と防府市の境界の鯖山トンネル、ここを潜って、防府の市域に入る。新幹線のガード下を抜ける。
天徳寺の背後に石船山次の信号、角に弐萬圓堂という店がある。ここで左折するのだが、曲がるとき、何の店だろうと振り向いてみた、めがねの店だった。
もう一回、新幹線の下を通って、小学校が見える。ガイドブックでは、この周辺に駐車場があるということだ。
ははぁ、これだ。右田小学校専用駐車場 右田ヶ岳登山者臨時駐車場、たくさんの車が止まっているよ。
東側から小学校を回り込もうとしたが、道がない。地図には道があるように表現してあるが、小学校のグラウンドと融け合ってしまっている。これは使えない、廃道なんですよ。
西側から小学校のネットに沿って歩くのが正解なのだ。
ネット沿いに歩くうち、天徳寺の境内へ、萬年山天徳寺、曹洞宗なのだそうな。
岩へ観音の彫刻天徳寺の背後には、岩山の尖峰がそびえていて、借景としてこの上ない味わいを漂わせているよ。
墓地に沿う道を進んで、歴代住職の卵塔婆が並んでいる前を通る。28世住職の墓もあったよ。古い寺なのだ。
道は雨水に掘り込まれて、セメントブロックや砂嚢で補強してあるが、負けてます、水の力のほうが強い。深くえぐれた溝の中を歩かなきゃならない
森の中に墓地が点在している。廃れた墓地もある、現役の墓地もある。
木々のあいだを適当に区画してあるのがすごいよね。違うかな、縄張りは計画的だったのだが、木や笹が成長して侵食してきたのかもしれないぞ。
石垣があって、その上に廃れたお堂がある。観音堂なのだそうな
前衛の山、岩船山斜めに横たわっている巨石の上を歩いて、石灯籠のある展望の場所に出てきたよ。
振り向くと、岩には石仏の彫り込みがある。ここから幾つも点在している。寺の看板には、33体の観音像が刻んであると書いてあった。
登るとき、降りるとき、観察していたのだが、大正8年の刻印が一番古い、大正10年11年、この年の刻印が一番多い。
大正の時代を古いと言おうかね、まだ新しいと言おうかね。
江戸時代から明治大正、精神風景は繋がっている、当時のひとびとの感覚は把握できるんですよ。
昭和の戦前のころの彫刻には抵抗がある。スローガン的な彫り込みが増えるのです。八紘一宇だとか忠孝だとか。
稜線から岩船山を尾道の千光寺公園では、いまなお歌碑句碑の彫り込みを続けている。これは抵抗感があります。意識の強制だよ。
彫刻した巨石を運んで来るのは構いませんよ。これなら、据え付けるのも取り去るのも可能だからね。
動かない自然石に彫り込むのはどうかと思うよ。後世に対して取り返しのつかないことをした、とわたしは考えるがね。
最初の彫り込みが大正8年、登るにつれて、年次はだんだん増えて行く。ところどころ、横道があるが、それは、それぞれの石仏への道のようだよ。
この顔は好きだなぁ。観音の顔と言うよりひとのええおばちゃんの顔付きだもの。素朴で愛らしいよねぇ。
ペンキの矢印があったが、スプレーで塗り消してある。
右田ヶ岳主峰西峰の鞍部数年前、ペンキであちこちに落書きする不届き者がいたが、最近は見ることが少なくなったな。あの不良老年はどうしているのだろうね。
ただただ、真っ直ぐ真っ直ぐ登るんだよ。岩が凹み、土がえぐれて、足を乗せるように出来ているから道を間違えることはないさ。
頂上手前に般若心経の彫刻がある。これは明治47年?42年?メモし損ねたが、明治のものだから明らかに古い。
彫刻の趣旨も違っている。麓の天徳寺から仰ぐのに、般若心経の功徳も得られる、このような効果をねらったのだろうね。
ここが石船山、前衛の山なんだね。麓の天徳寺からはこの山しか見えないから、寺では天徳山と呼んでいるそうな。
頂上から先を見ると、尾根が落ち込んで弧を描いている、その向こうに、岩峰が立ち上がって、背後に双耳峰が見える。そこが右田ヶ岳なのだ。
右田ヶ岳頂上斜面を降りて行くと、平滑な岩場ザレ場が横にある。きっとこれも迂回の道としてあるのだろうな。
さて、それは放っといて最低鞍部へ、ここからは登り一方なんだよ。
始めて北側の斜面が見えるようになってきた。稜線から振り返って石船山を眺める。ほほぅ、立派な尖峰だねぇ。
この先は、岩が重なっているのだが、そこは危険だから迂回して通る。岩の付け根を抜けてもとの稜線に復帰する。
右田ヶ岳山頂20分頑張!! こんな案内がある、そうか、あと20分なのか。
道は岩梯子、踏み均して邪魔な岩を切り取って、立派な岩の階段に仕立ててある。
右田ヶ岳、北ノ峰への道右田ヶ岳は双耳峰で、どっちの峯を目指すのだろうと思っていたが、左の峯の下に道があるのだ
右の峰と左の峰の鞍部に出てくるのだ。右が中ノ峰、右田ヶ岳主峰、左が西ノ峰、右田ヶ岳城跡、こんな案内がある。
当然、主峰に進むべきだよな。
岩をエイエイと攀じて、ここが頂上、右田ヶ岳です。
見下ろせば、岩船山から右田小学校が眼下に見える。西ノ峰はだいぶ低いね。
ここが三角点、岩場から離れて、土の地面に設置してある。
予定では、北ノ峰からぐるっと一周するつもりだったが、狐の嫁入りパラパラ雨がけっこう本気の雨に変わってきた。来た道を引き返したほうがええだろう。
西ノ峰、城跡の土木痕跡主峰と西ノ峰の分岐に戻る、北ノ峰に進むのを放棄したのだから、せめては西ノ峰に登って取り戻そうか。
主峰への道は岩の道だったが、西ノ峰の道は単純ですいすいと登って行ける道だよ。
頂上は土木工事の跡が見えて、土を掻き揚げて防備の壁を工作したのがうかがえるね。
なるほどねぇ、なんにも加工物はないけれど、頂上は平らだから、城の館があったのだろうなぁ。そんなに大人数は収容できないね。砦か出丸として使ったのだろうね。
汗かいて、雨に濡れて、くしゃみが連発して鼻水が出てくる。これはさっさと麓へ降りたほうがええだろう。
さぁ、降りました。山口インターから中国道経由で帰るとしようね。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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