2005年10月16日
しぇるぱ単独
山域:広島県安芸高田市

ゆったり低山散歩、大狩山

 

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県道から分岐する標識最近、開発された山のコースがあるんだそうな。地元のひとが古い仕事道を登山道に仕立て直したということだ。
いっぺんは読んだのだが、そのまま忘れてしまっていた、ネットサーフィンしているうちに、もう一回見つけたよ。大狩山という名前なんですがね。
新しいコースということなら、出かけなくちゃならないね。どんなコースなんだろうね。
国道54号線を上甲立、高宮別れの交差点を北へ進む。県道をまっすぐに、高速中国道をくぐって、まだまだ北へと向かうんですよ。
高宮の湯、というのがあるが、その前を通り過ぎて、なおなおまっすぐに進むんですよ。
いつのまにか国道433号線を走っている、高宮町から美土里町に入ってしまっている。
高田郡一帯の自治体が合併したんですよ、安芸高田市となったんだが、旧町の領域を越えてしまった。これでは走り過ぎてしまったね。
引き返して、バス停茂谷口、そこに大狩山砂防公園の標識がある、この道を入ればええのだな。
砂防ダムの堰堤誘導する標識はないが、おおむねまっすぐ進めば間違いはないさ。谷の中心の道を進めば問題はないさ。
谷が別れている、左の谷に大きなダムの堰堤が見える、ははぁ、大狩山砂防公園と標識にあったよなぁ、あれは砂防ダムなんだろうな、左に進むべし。
でかい砂防ダムだね、谷一面を塞いで覆いかぶさっているじゃないか。ダムの底から道は反転して休憩舎のほうへ向かっているね。
駐車場は広いよ、どこでも好きなところに停めてちょうだい。
帰りに駐車場に戻った時、車でいっぱいに埋まっているので驚いたよ。
残っているひとがいたので聞いてみると、キノコ観察会をやっているのだってさ。
先発して離れていてよかったよ、混雑に巻き込まれると鬱陶しいことになるとこだったよ。
さぁ、出発するぞ。堰堤の左側へ道は向かっている。砂防ダムには水が溜まっている、まだまだ砂防能力に余裕があるということなんだね。
登山口階段を降りて水辺に近づいていく、大きな置石を踏んで谷を渡って行く、右側の林道へと道を替えて進んで行くんだね。
道を進んで行くと、下山口というのが出てきたよ。
ここから入るのはオススメじゃないのだ、登山口、下山口を指定してあるよ、一方通行にさせたいみたいだね。
林道はコンクリートの橋の手前でおしまいになる、ここが登山口、重機が入って斜面を伐採しているよ。
橋を渡って流れに沿って道が続いていく、古い仕事道なんだろうな。昔は荷車も通っただろうほどの幅広の道だよ。
へぇ、横道に誘導しているよ、大鍛冶屋跡だとさ。
中に入ってみると、タタラ製鉄の跡なんだね。宮崎駿監督の「もののけ姫」、エボシ御前の工房と同じシカケがあったというわけだ。
大鍛冶屋跡とも吹屋跡とも表示してあるが、砂鉄を精錬する坩堝るつぼがあったんだろうね。
快適な昔道今は杉林で跡形もないが、地面の起伏の加減を見たり、地面を掘れば鉱滓が出たりで、それと判るんだろうね。
もとの道へ戻ろう。
タタラ製鉄はむちゃくちゃ環境を変えたんですよ。
砂鉄を掘る、鍬で掘るのじゃ能率が上がらないので、流水掛け樋で掘り崩して、土と砂鉄とを沈殿分離させる。
砂鉄を坩堝るつぼで熔かすには大量の木炭が必要なんですよ。
砂鉄を取るのに山をどんどん掘っていくは、木炭を焼くのに山の木を何度も伐採を重ねていくはで、山野のカタチが変わってしまうし、はげ山があちこちに出来てしまう。
江戸時代まで繰り返して収奪してきたのに、よくまぁここまで自然が回復したもんだと思うよ。
これと似た例、瀬戸内海沿岸では、塩田で塩を煮詰めるのに焚き木がいる、伐採に伐採を重ねて、とうとう回復不能な岩山になった失敗例だね。
大狩山頂上山の木には名札が架けてある、ひとつひとつ、これは何の木と確認学習しながら歩くのもええもんだね。
斜面を登るんだが、そんなに苦しいわけじゃないよ、この程度、たかが知れているさ。
地元の案内標識が続いているが、素朴でええね。いかにも手作りで、労力をかけてくれたのが身に染みるね。
標識には、マダマダ、もうちょっと、その標識を過ぎると、稜線に出たよ。
谷筋から稜線に出たが、緑のトンネルで展望は全然無いよ。全く無い。
たらたらと歩いて、大狩山、山頂に着いた。
南の方向が切り開かれて展望が効く。麓の里が見える、南のギザギザの稜線が見える、あんなギザギザな山はどこなんだろう。
帰ってから、カシミールで確認したところでは、土師ダムの北の山々らしい、無名の山だもの、判らなくてもしょうがないさ。
大狩山から南の展望ちょっとだけ、東寄りを眺めると、うん、あれは鷹ノ巣山、カンノキ山に間違いないぞ。やっと、あれはどこどこ、と山座同定できる馴染みが身に付いてきたよ。
下山口への道をたどるとしようか。時計回りに円を描いているんだよ。
尼子道と看板が書いてある、ここから1キロを尼子道というのだそうな。
尾根と尾根をつなぐところはどこでもへこんでいて当たり前だよね、そこに土を掻き揚げて渡り廊下にしてある、土塁だね、この歩き易い道を尼子道と言うのだろうな。
戦国時代、戦略のため、道を作った、信玄道、太閤道、今に名前の残る道はあります。
ここで尼子道ねぇ、いかにも毛利の居城に近いよ、近すぎる。尼子・毛利が合戦を繰り返したのはご存知でしょ、結局毛利が勝ったんですよ。
尼子が作ったかどうかは問わないことにしようよ、その伝承が今に残ることが重要なんだよね。
山仕事の便利で、土を盛り上げ掻き揚げ、土塁にした道だと思うよ、それを尼子の道だと言い伝えるのはロマンだねぇ。
尼子道歩き易いように、等高線に沿って、尾根から山腹、山腹から尾根へと続いている、また、掻き揚げの渡り廊下の道が出てきたよ。
ええとも、杣人そまびとの心意気を買おうじゃないか、尼子道でも異存は無いさ。
なになに、なんだと、和泉式部が歌を詠んだとされる道、こんな看板が書いてあるぞ。
はるばると聞きに北野のほととぎすただ一声を国の土産に
たしかにねぇ、柿本人麻呂を祭る神社を参拝しようと石見路を通った、という伝承が高宮町美土里町にあるんだそうな。
この道をほんまに通ったのかいな。ところが、この西に時鳥峠があるんですよ。ふぅむ、ほんまに通ったのかもしれない。それにしても、平凡な歌だねぇ。
こういうことかな、時鳥峠がある、峠の名前を入れて和歌が生まれた、誰かが作ったことしようか、和泉式部が作ったことにしようじゃないか。
それよりも、伝承の人物が、なぜ和泉式部なんだろうね。なんとかの大納言でも、なになに親王でもない、和泉式部でなきゃならない理由が知りたいよ。
展望地から犬伏山展望地に出てきたよ。
北の正面の山は何なんだろう、送電線の奥の山ということは、犬伏山なんだろうな。ここからはぐっと大きく見えるね。
すこぅし東に眼を移すと、里が見える、その後ろの山々は、全然特徴がないので見当もつかないよ。
東に90度体を回して見ると、尖がりの山が見える、津田明神山か黒川明神山か、どっちかの明神山なんだろうね。
財産区林展望台と名付けてあるけどね、植林地だもの、展望が効くのはあと二年か三年だと思うよ。
植林の苗は意外に成長が早いのだよ、ほかでも、展望が効いたはずと再訪してみると、すっかり隠れてしまったことが何度もあるもの。
ここからはどんどんと下りて行く道だね。
誰か来た、こんにちわぁ。
こんにちわ、急な坂がこの先にありますよ。
下山口このひとたちはハイカーじゃないね、ビクを持っている、キノコが目的なんだな。
坂が急ったってこんなもんだよ。ごく普通だよ。キノコ取りは道から離れて探すから、急な斜面を行かなきゃならんもの、もっと経験を積みたまえ。
そうじゃないのだ、わたしをシロウトと判断したんだ、じぃさんじぃさん、危ないよ、山は気をつけなきゃね、こういうことじゃなかろうか。
ふふん、小さな親切、大きなお世話。
林道が見えてきた、下山口はもうすぐだ。古い炭窯跡の横から道に出る、500年以前の炭窯なんだとさ。
古いのは判るが、500年という判定基準を教えてもらいたいものだね。
砂防ダムの手前で谷を渡って駐車場まで戻った。こんなに短時間で回れるとは思わなかったな。
昼食は駐車場でとることにしようか。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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