2007年11月13日
しぇるぱぁに、しぇるぱ
山域:広島県安芸高田市

ゆったり低山散歩、大狩山2

 

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砂防公園の標示どこかゆったりと歩ける山はないかしら。
そうよなぁ、安芸高田市の大狩山ならぴったりだと思うよ。時間も短時間で回れるし、翌日に疲れが残ることはないはずだよ。
国道54号線の甲立交差点から高田インターの前を通り過ぎた。次の高北広域農道を進んで行くよ。
来女木の集落で、国道433号線まで走りぬけてはうまくないのだよ。その手前に県道179号線が交差している。その道を左折するのだよ。
200メートルも走ると、大狩山砂防公園の標識があるだろ。砂防公園まで行くのだよ。
砂防公園に着いたよ。ここの駐車場に置いておこう。
振り返ると砂防ダムがそびえ立っているな。この下に集落があるから、守るには頑丈に作らねばならないのだろうね。
砂防ダム砂防ダムの下の流れがくねくねと蛇行しているだろ。水の滑り台なんだよ。夏には子供が大喜びで遊んでいる。その下に岩でせき止めてプールを作ってある
ダムの右岸を歩いて行く。
あのね、ちょっとむだ話なんだがね、右岸、左岸とは上流から見て決めるのだよ。
今、下流からさかのぼっているよね、この状態、体の向きから左岸といいたいところだが、取り決めによって、体の向きを上流からの姿に入れ替えて考えるのだよ。
東西南北は絶対値だよね、デジタルな表示だよね。右だの左だの、位置のありようで変わるものがある、アナログ表示だね。
アナログ表示をデジタル表示で示すには、取り決めによって基準を設定しなきゃならんのだよ。
ダム尻の上流で谷の流れを渡る。ここから左岸に移って林道を歩いて行くのだよ。
最初の水呑み場道の上に道があるだろ。ここが下山口、ここのコースはお奨めがあって、時計方向に歩いて行くように案内表示が出来ているのだよ。
コンクリートの橋を渡れば、伐採地への作業道と山道が分岐している。見ての通り、右の道が歩き易いもの、そっちが山道なんだね。
竹の樋で水を引っ張ってきている、水呑み場だ。軟水の水だと書いてあるよ。どれどれ、なるほど、口に刺すものがないね。
大鍛冶屋跡と標示がある、道を離れて寄って行ってみようか。
吹子跡、大鍛冶屋跡、と遺跡の標示が出ている。ここがタタラ製鉄の現場だったものだそうな。
タタラ製鉄の原材料のうち、炭に立地したものなのだな。原材料は砂鉄と炭、大量に使うのは炭のほうだから、作業場は炭に立地したほうが楽なんだろう。
前に来た時は、来た道を引き返したが、そのまま先へ進んで、山道の先で合流するように、道を付け直してある。
山腹から稜線へまた谷を渡る、その谷の水を竹で引いて呑めるようにしてある。
杉の木に白くペンキ印を付けてあるが、道はこっちと言うことなのかしら。
違うよ。道はこのまま。白いペンキ印は林班の境界とか、数勘定の基準とか、そんなものじゃないかね。道の進むまま歩けばええよ。
ここで谷の頭だな。山腹を横断して稜線へ向かうよ。トラロープが補助に付けてある。
稜線に出て、ここが曲折点、稜線上をたどって行けばええ。山頂、スグヨ!などという応援看板もあるぞ。
たらたらと稜線をたどって、山頂が見える。
やぐらと大きな垂れ幕が掛かっているぞ。ようこそ、ようこそ、大狩山山頂へ、垂れ幕にはこう書いてある。
大狩山頂上前に来た時はこんなものはなかったな。前に来たのは一昨年の10月、2年も経つと大きく変わるもんだねぇ。
山主の好意で伐採を許してくれているので、南面が開けている。
高田インターから西へ3キロ程度の里の風景なんだね。キラッと光って、高速道路をトラックが走っているのが見えるだろ。
山頂に大看板があって、眼下に松尾城とある。ふぅん、あの小山が城跡なのか。
視界の東に見慣れた山が見える。あれは鷹ノ巣山、カンノキ山に違いない。他の山は?なんだろね、見当が付かないぞ。
さぁ、降りて行こうか。このまま時計の針の動きのまま進めばええ。
いっぺん降りてまた登るのね。振り返ると、大狩山の山頂と同じ高さに見えるんだがな。
気持ちのええ稜線の道ね。刈った笹の色が新しいので、最近道刈りをしたみたいね。地元の愛情が伝わってくるよねぇ。
大狩山から麓を尼子道と道標がある。稜線の低地に土を盛って土塁にしてあるのね。道が水平になって歩き易いよね。
伝承尼子道ということなんだろうな。道に土を盛ったのはきこりの仕事さ。後世、いかにも尼子の仕業に違いない、と話を仕立てられて伝わったのだろうさ。
このあたりは、低地は盛り上げるは、稜線を避けて山腹を通るは、水平に水平にと、省エネの道を志して線引きしてるようだね。
巨大なアカマツの傍を通ると、和泉式部が歌を詠んだとされるところ、そんな標示がある。
はるばると聞きに北野の
子規ほととぎすただ一声を国の土産に
確かにね、和泉式部は石見や大宰府に夫と一緒に赴任した、と伝承があるんですよ。
父親は受領の身分です。下級官僚です。夫も同様です。それなのに、彼女は宮中に出仕して、紫式部と同僚だったことも事実です。
尼子道夫がいるにもかかわらず、為尊親王や敦道親王のほかにも源俊賢、源雅通、源頼信、藤原頼宗、道命阿闍梨など、幾人も取りざたされて、浮かれ女だったとも書かれています。
そんな和泉式部がこの地を通ったという伝承があるほうが面白いね。宮中を遊泳する浮かれ女が地方へ夫と共に赴任するものかしら。
百人一首に収録されている和泉式部の歌は
あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな
暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
こんな虚無的な歌も残しています。かなり複雑な感覚のひとのようです。ほととぎすの歌はあまりに素直で、こんな歌を詠むタイプでしょうかねぇ。
調べても、このほととぎすの歌は石見とこの地でしか検索に出てきません。参考までに、和泉式部の歌のデータベースはここ
展望地から犬伏山をここからしばらくで、展望地に出るよ。ここから三瓶山が見えると看板に書いてあるが、見えた、見えた、薄っすらと霞んで見えている。
谷向こうの巨大な山は犬伏山だな。犬伏山の東の谷の切れ目に三瓶山が見えるのだ。
東を見れば集落が見える。高宮の集落、砂防公園に曲がったあたり、来女木の集落だろうと睨んだが、どうなんだろう。
穏やかな常緑樹の森の中を抜けて行くんだよ。ソヨゴの樹だと思う。
ここからはどんどんどんどん降りて行く道なんだよ。トラロープがあちこちに設置してある。
下りの道はここまで、登りのとき、ここに降りてくるのだよ、と言った地点に到着した。
下山口のところに、大鍛冶屋炭窯跡 500年以前のものとある。千年以上伐採を重ねて、いまなお健在な森とは生産力が凄いよなぁ。
下山口瀬戸内海の沿岸の山は、塩田で塩を煮詰める焚き木を求めて、収奪を重ねすぎて禿山岩山になってしまったもの。そことは大違いだ。
登りには右岸を歩いたよね。今度は左岸を歩いて戻って行こう。
さぁ、駐車場まで戻ったぞ。登りと下りでは、コースの長さが倍以上違ったね。
帰りの道は高北農道は使わない。真っ直ぐ進んで行こう。すると、甲立の交差点に到着するからね。

参考 2005年10月16日 ゆったり低山散歩、大狩山

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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