2008年2月1日
しぇるぱ単独
山域:広島県東広島市

小野の篁おののたかむら篁山たかむらやま

 

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篁山、南の登山口東広島市の山へ行くことが増えました。
見るたび、近くを通るたび、
篁山たかむらやまにまた登ってみたくなります。
飛行機から降りて、夜、家へ帰る道で、山の麓に突き当たって迷ったことがあります。あとで地図を見て、迷ったのは
篁山たかむらやまの麓だったのか、と納得したことがあります。
篁山たかむらやまの道は入野駅から河内駅、この代表的なものだけじゃなく、南からのコースもあるのだ、これは行って見なきゃ、それ以来、ずっと思い続けていました。
今日がその日だ。行って来よう。
白竜湖から南下して、河内駅近辺を西へ、入野駅も通り過ぎる。
たいていのガイドブックは、入野駅から河内駅へ、このコースを勧めています。わたしも、以前、このコースを歩いたもんだ。
入野駅から国道を南下して行くと、竹林寺登山道という看板が眼に入る。
地面、膝の高さに立ててあるので、うっかりすると見逃すかもしれない。見逃しても、信号があって、県道本郷方面、この標識には従ってちょうだい。
進んで行くうち、グリューネン入野の入り口看板がある。グリューネンとはドイツ語だよ。英語のグリーンと同じ意味と言ったらわかるでしょ。
道しるべと冠木門ネットで調べてみたら、広島県住宅供給公社の事業だった。へぇぇ、お役所でもやるもんだね、てっきり民間のデベロッパーの仕事だと思い込んでいた。
どんどん県道を進むうち、看板を発見、竹林寺登山道入り口。
案内看板には、登山道 ここから1.9キロ 車道 ここから3.5キロ と書いてある。
地図と照合しながら考えるに、歩けば1.9キロ、車なら3.5キロ、こういうことなんだろうね。
最初から歩くつもりなのだが、どこに駐車するかは決めていなかった、ここに止めよう。
舗装路の坂道を登って行くと、変形四差路、あるいは三叉路と言ってもよろしい。道の一本が細っこい道なんですよ
その道に石造りの
冠木門かぶきもんが立っている。
柱と横木だけの門を
冠木門かぶきもんというのですよ。これに屋根が付くと楼門、櫓門と豪華になってくる。
普通、門というと、学校の門のように柱が二本だけで、横木のある門は、まぁ、ないよね。
冠木門かぶきもんは素朴だけどじゅうぶんに権威的だよ。
従是ちく里んしみち 仁王門まて十一丁
これより竹林寺道 仁王門まで十一丁 古い石柱に刻んである文字を、苦労して、近寄ったり離れたりで読み取った、こう読むのだよ。
竹林寺、仁王門舗装路は林の中へ、舗装してあっても落ち葉を踏みながら歩くので膝にやさしいね。
大きな道は横へ逸れて行くが、正面に細い道が続いている。その細い道を進むのだよ。
看板があって、真言宗準別格本山で篁山普陀落院花王山竹林寺と称する、とある。長い名前だね、じゅげむじゅげむうにゃうにゃうにゃ。
再び、門が現れたよ。仁王門の形式なんだが、中身はからっぽ。この先に本物の仁王門があるのに、なぜダブって建てたのだろう。
自動車駐車場とあるが、枝葉でボディが擦れるよ、それを承知ならここまで持って来ればええ。
ここで初めて、三丁と、丁石を見た。そうか、ここでの丁石の数え方はカウントアップして行くのか。
谷の流れに石を渡して橋を架けてある
この先で道はふたつに別れているのですよ。幅の広い道は右の方向、尾根へ進む道。こっちなのだろうか。
待て待て、地形図と比べてみよう。道の点線は谷を進むようになっているぞ。谷に沿って左へ進むべし。
今週の雪は東広島を直撃したと言うことだ。南岸低気圧というやつで、瀬戸内でドカ降りしたのに、わたしのとこには影響がなかった。
重い湿った雪だったんだろう、樹冠へ積もった雪の重みで、木が倒れ、木の枝が折れて、道を塞いで通りにくいのなんの。
雪で隠れて危うく見過ごすところだったが、再び石の板の橋を渡るのだよ。
松ヶ嶽城跡ここからは谷を離れて山腹を進む。再び谷の流れに近づいて、また反転して、尾根の道へと切り上がって行く。
丁石が八丁、九丁、途中、四丁の石でポキリと欠けた石を見たが、ここまで来たのだ。9/11丁目なのだよ。あともうちょっと。
ふと、頭を上げると、岩に梵字が刻んである。何と読むのかね? 無理言っちゃいけない、そんなもの読めるかい。
お、整然とした石段になってきた。寺の門前間近ということだね。
ところで石段の本来の目的を知っていますか。 歩き易いため。 ブブー。
雨水の勢いを殺すためです。斜面を一気に水流が流れると、加速度がついて破壊力が増加します。
段差を付けて水勢のちからを放出させるのです。砂防ダムと同じ。階段は連続した砂防ダムなのです。
階段に足底を水平に置けるのはオマケの効果、やれ、階段の段差が高いだの、階段が長過ぎるだの、オマケなんだから苦情は控えるようにね。
階段の傍には竹があって、篠竹が雪の重みで道を塞いでいる。なんぼ竹林寺でもこれは迷惑だね。
篠竹を掻き分けると、そこは仁王門の門前だった。
前に竹林寺に来たことがあるが、途中の松ヶ嶽城跡は寄らずにパスしている。どんなものか見て来ようよ。西の方向へ歩き始める。
梵字岩というのが道端にあるが、磨耗して、読み取りようがない。南からの道の梵字の岩のほうがくっきりと読み取れる。
竹林寺、本堂お、読めるんだね。読んでちょうだい。 カンニン、読めません。
道は二分して、尾根への道を行く。尾根のタワを土で埋めて土塁を構築してある。防備はともかく、資材や食糧を搬入する道が必要だものね。
山腹を進む道は倒木で塞がれているみたい。尾根を登る道を進もう。
頂上が本丸だったのだそうだが、判然としない。どこがどうだと知ることもなく行き過ぎてしまった。
井戸がある。石組みが残ってちゃんとした井戸で、こんなにはっきりと現存しているのは珍しいのだよ。
たいがい、井戸跡と看板があって、地面がぶかぶかだから近づかないように、と危険表示してある、その程度が通常だよ。
ここの看板では、本丸、二の丸、三の丸と、城郭を丸と表現してある。ほんとにそうなの、丸なの、段じゃないの。
近くの頭崎城跡でも、吉田の郡山城跡でも、城郭は段で示しているんですよ。太鼓の段とか煙硝の段とか、そんな名前。
段と呼んだのか、丸と呼んだのか、時代で呼び名は変遷するのか、地域が違えば呼び名も違うのか、その区別を探しております。
井戸から先は道が消えてしまった。引き返そう。
仁王門の前まで戻ってきた。
境内に入ると、池があって、池の中央に屋根を持つ橋が渡してある。名前が八千代橋。
篁山、最高地点候補寺の歴史の由緒があるのですよ。寺の創建者は行基、行基の法相宗から空海が真言宗に改宗させ、ここに故郷のある
小野の篁おののたかむらが中興の祖、こんな伝説があります。
小野の篁おののたかむらの母親が八千代、これを由縁に八千代橋と名付けた、のだそうな。
正面が本堂、左が護摩堂、右が十王堂、閻魔の王が十体、九体は
小野の篁おののたかむらが刻んで、残りの一体は小野の篁おののたかむらが即身成仏して成り替わったものだそうです。
鐘楼のほうへ向かおうか。鐘楼の後ろに釈迦の銅像、その横に石の杭があって、誰もがここが山頂と決めて記念写真を撮って帰る。わたしもそうでした。
こんちわ山標や、登ったぞ名札がいっぱいあって、いかにもそれらしい目印になっているよ。
もともと
篁山たかむらやまには三角点がないのですよ。
最高地点はどこかとカシミールの図上でマウスを動かして、最高地点はここだと確定した候補があります。そこへ行こうと思うのだよ。
細い道が奥へ続いていて、竹林寺はサラダボウルの底にあるような感じで、今はサラダボウルの縁を歩いている、そう考えてね。
西側のボウルの縁から北側のボウルの縁へ移って行った。
篁山たかむらやまの最高地点はボウルの東側にある、そのように、図上演習しては来たのだが、この先、北側の最高地点の先はぐっと落ち込んでいるのだよ。この先に高みがあるのかしら。
竹林寺から広島空港1998年1月1日に宇野本一家が登ったぞ名札を枝に吊るしている。ついつい誘われて、ここが山頂だと思い込んだ。
沼田川が眼下に流れて、河内の町並みが見えて、谷向こうには日本ヶ峰がそびえている。こんな風景で和んでしまって、ふらふらと気持ちが緩んでしまったんだね。
帰ってからカシミールにGPSの軌跡を落として、あれ、間違えた、もっと歩いて東側に行くはずだった、と気が付いた。
まぁ、ええか、いずれもう一回くればええ、そういうことにしようよ。次の宿題に置いておこう。
引き返して鐘楼のベンチで食事、
篁山たかむらやまで展望が効くところはここしかないのですよ。
飛行場の滑走路に続く赤い誘導桟橋が正面で、飛行機の離陸着陸が目の前で見える。
離陸は面白い。ドドドーとエンジン音が鳴りとどろいて、地団駄踏んでその場で足踏みしている巨人がいるとイメージしましょか、一気に駆け出して、ポイと音が消えてしまう。
45度の角度で飛び出して、たちまち姿が消えてしまう。
山に切れ目が入って海が見える。目の前に見える海は竹原の海だな。水蒸気の噴煙は竹原火力発電所だな。次の切れ目に忠海の海が見える。
飛行場の先に見える切れ目の海は三原だね。すると、間に見える山は黒滝山、あのあたりかな。島の山のほうが背が高いじゃないか。
さて、出発。仁王門からは舗装路を歩きます。
ボウルの東側への登り道があるかと探しながら歩くが、そんな道はなさそうだね。
小野篁の石碑
小野の篁おののたかむらの石碑がある。
おちこちの峯を島かと見するまで霧の海なす篁の里 小野篁 石碑の側面に和歌があるが
和田の原八十島かけて漕ぎ出ぬと人にはつげよあまのつりぶね (参議篁) これが、彼の本来の代表作、小倉百人一首11番
ここの歌碑にしか篁の里の和歌は出て来ない。小野篁が詠んだと伝承されているのは、ここの地だけに限られているみたいだね。
横に
小野の篁おののたかむらの業績を記した看板がある。
全文を採録しておくから気が向いたら読んでみてね。竹林寺に閻魔の庁の十王堂が祀られている由縁がわかるから。
この石碑の前で道は下へと降りて行く。舗装路を行けば車道で遠回りだし、広い遊歩道の地道を歩いたほうがええ。
へぇぇと思うのは、足跡がないのですよ。年末年始の雪のときの足跡の痕跡は雪に覆われても浮き出して見える。
今週の始めに雪が降ったのだが、その雪を踏んだ気配はないよ。しばらくは歩きの訪問者はなかったわけだ。
舗装路と合流して、四差路、北の谷へ降りて行く道が河内駅へ向かう道、今日は、反転して南の谷を降りて行く。
道が屈折するあたりで
篁山たかむらやまが見えるが、あれは肩のあたりを眺めているものだ。篁山たかむらやまの山頂ではない。
麓に下りれば、道はどう歩いてもええ。麓に沿って歩いてもええし、道を真っ直ぐ進んでもええ。今日のところは麓に沿って歩くのを選んだ。
遊歩道から舗装路出会いたんぼを等高線に沿ってぐるっと迂回して、斜面を越えれば、あれれ、見た風景だ。朝に、石造りの
冠木門かぶきもんの道を行った、その手前に帰ってきたのだ。
そのまま谷に沿って道を下り、朝に車を置いた場所まで帰ってきたぞ。
篁山たかむらやまに登るならこっちのコースのほうがええかもしれない。すぐに見所・好ポイントが出てくるのがええ。
前に歩いた、入野駅から河内駅のコースは、始めと終わりが舗装路が長くて、それが欠点だものねぇ。

参考 小野の篁、篁山 (2004年6月15日)

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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