2004年10月18日
しぇるぱ単独
山域:広島県東北

ふるさとの遠足、高谷山、比熊山

 

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ガードレールに挟まれる自然歩道三次みよし三山というのがあるんですよ。
川が合流する巴橋からながめると、東に比叡尾山、西に高谷山、北に比熊山、これでみっつ、南には際立った山がないのさ。
比叡尾山へは三次、岩屋寺の裏山、ぐるり一周で囲んで歩いているから登ったことにしよう、ヤブが濃くて頂上へは近寄れないとの情報を聞いたことだしね。
すると、残るはあとふたつ、行ってみようじゃないか。
高谷山へ登ると決めてから、登山路をいろいろ探したが、土の山道を登ろうとしても、なかなか見つからないんですよ。しゃぁない、舗装路でもよしとするか。
前々から見当付けておいた場所、国道54号線が可愛川と交わるところに三次大橋がある。国道の橋を渡らず県道に入るんですよ。
そこは亀谷という集落で、県道がカーブするところで歩道がふくらんだ箇所がある、そこに駐車することにしようかね。
高谷山は電波銀座橋のたもと近くまで戻ると、道は反転して山の上へたどることになる。何度も曲がり曲がって高度を稼いでいくことになるのさ。
谷の奥が見渡せるところに出ると、山頂のアンテナが見えてくる。残りの高度もそんなにたいしたものじゃないね。
尾根をまたいだぞ。今までは可愛川斜面を登っていたが、これからは西側の斜面をながめながら歩くことになる。集落があらわれたぞ。
ここ粟屋地区では、集落は川沿いにあるか、山の上にあるか、そのどっちかなんですよ。中間の山腹に人家はない。
近畿の奥地を歩くと、こんなことは珍しくはないよ。川沿いの国道から視線を上げるとはるか斜面の上に人家がある。
昔々、道は山の稜線にあったんですよ。山の反対側からの嫁入り婿取りは普通のことだった。川筋が国道になったのは近代になってのことだものね。
縄文の遺跡は平野には少ない、山の上に多い、縄文以来の住まいがずっと続いているのかな。
高谷山から三次市街尾根の皺々を何度も越えて、この先に見える風景は見覚えがあるぞ。車でロケーションを何度も探ったが、新しい広域林道の風景なんだよ。
昔ながらの道と関わりなく、高谷山の稜線を縦に貫いて新しい道が出来ているんですよ。それもここ数年のことだね。
その縦断道路との交差点に標識がある、広島県自然歩道なんですよ。
自然歩道と重なっているにせよ並行しているにせよ、そこにりっぱな車道が出来れば、自然歩道はもう自然歩道じゃないよね。
自然歩道の坂道は舗装してある、両側にガードレールが付いている、ガードレールの下には、幹線林道が尾根をぶち抜いて崖になっている。
道は植林に続いているが、道には軽トラの跡がある。納得したよ、あれは自然歩道というよりも、仕事道への工事補償だったんだ。自然歩道の標識があっても、不自然歩道の例だよね。
祝橋から比熊山を植林の中だよ、やっと土の道を歩けるぞ。うれしいね。
DoCoMoの鉄塔が現れたよ。これからは鉄塔ばっかりなんだよね。NHKの敷地なんだが、受信アンテナのように見えるね。発信しているようには見えないぞ。
広島県防災無線の鉄塔、テレビ新広島の鉄塔、ここで高谷山最高地点の標識があるね。
最高地点はセルラーの電波塔の物陰だった。今でもセルラーちゅう会社は存在していたかなぁ、身売りしたのかなぁ。
中国放送とNHKの電波塔が並立している。この先の鉄塔は何だろう、テレビの電波塔のように見えるが名前がないのが怪しいね。
次が広島ホームテレビ、テレビの放送局が続々と顔をだすぞ。
鳳源寺が登山口展望台の広場に出たよ。ここには広島テレビの鉄塔があった。これで放送局が全部出揃った、さっきの名無しは何だろうね、名乗らないということは警察無線かもしれないね。
展望台からは三次の市街地が全部見えるよ。これから登る比熊山もよく見える。
これから下りる道はどうしたもんだろう。展望台の下に林道が見えるが、逆方向に行ってるように思えて乗り気になれないのだよ。
えい、車道をたどることにしよう。車道なら、ロケーション調査で確認すみの道だものね。
りっぱな幹線林道だね、いやいや、名前は幹線林道かどうか知らないよ。言い直そう、りっぱ過ぎる規格の道路だねぇ。
このあたりで道と離れて、以前からある生活道路を行くことにしよう。この界隈に親戚があったんですよ、だから昔からの道を知っているのだよ。
吉祥院のお堂この道にほかの道が合流したよ。さっき悩んだ展望台からの林道かもしれない。どっちにしても舗装路を歩かなきゃならんのだ、五十歩百歩だね。
道はゴルフコースを貫いて、国民宿舎三次長寿村の脇を通って、坂道を下って祝橋まで下りて行くよ。
この橋が祝橋、この上流に寿橋、街の真ん中に巴橋、地名ではなく縁起のええ名前にしたところがなかなかでしょ。
祝橋を渡って、尾関山公園を過ぎて、鳳源寺まで進むんですよ。ここから比熊山に登るとするよ。
鳳源寺から墓地に入る、古い墓地で森が暗いので気味が悪いだろうが、そこは我慢、案内標識が見つかれば道は確認できます。
どうしても墓地で道が探せないひとは、鳳源寺の隣りの吉祥院を訪ねるとよろしい。本堂の裏の墓地の一番上に朱塗りのお堂があります。
鳳源寺の墓地を抜けて吉祥院の墓地の上の朱塗りのお堂までたどりついたよ。
たたりの石ここからは、もののけプロジェクト三次が整備したコースが始まります。
自然石に、○○番なんとか菩薩などと仏の名前が刻んであるんですよ。何度も折り返しながら登っていきます。
五十八ハン千手、五十九ハン薬師、ハンとは番のことだと思うよ、ここまで来るとえらく手抜きの石仏だね。願主がよっぽど石工を急がせたのか、山の上になったので石工が面倒になったのか、さぁ、どんなもんだろうね。
ここで道が別れている、石仏が誘導する方向へ行ってみようか。手水鉢と瓦の残骸が残っている。ここにお堂があったんだね。そこまで石仏が続いていたんだろうね。
石仏は85番までは確認したよ。おそらく四国巡礼と同様、88番まであったものだろうね。
この奥で別れた道は合流するよ。このあたりは植林でびっしり覆われているね。
比熊山頂上さて、山上にあるのが問題の
神籠石こうごいし、たたりの石なんだとさ。
稲生物怪物語いのうもののけものがたりの稲生平太郎少年は肝試しでこの石に木札を結んだ、タブーを犯したわけだね、それから30日間の毎夜、物怪が姿を変えて平太郎を襲った、ということなんですよ。
アラビアンナイトでは1001夜だが、日本では30日も続くお話は他にはなかなか無いものだよ。
平太郎は成長して、その名前の稲生武太夫物語とも言われているがね。
都市の活性化の一翼として、そのお話しをひろめているのがもののけプロジェクトというわけです。
ここから頂上はすぐなんですよ。平らでどこが頂上なのかわからない、植林でびっしりと覆われていてなおさら判らない。
比熊山城跡の土塁がこんもりしているので、ここが頂上と決めようかい。
吉祥院から比熊山頂上の下に、切り開きがあって市街地が見える。見えるように、わざわざ切り開いてくれたんだろうね。
あとは下りるだけ、朱塗りのお堂から鳳源寺へ戻ることはないさ、そのまま吉祥院へ下りていけばええ。
今日はくたびれちまったな。大部分が舗装路だったもの。高谷山はもう歩く対象の山じゃないね。比熊山は味がある山なんだが、小ぶりだからねぇ、高谷山以外の合わせ技を考えなきゃならんね。
吉祥院前でタクシーを捕まえた。
粟屋まで、三次大橋から高宮町のほうへ200メートル、そこへ車を止めているから、そこまで行ってちょうだい。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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