2009年3月16日
しぇるぱ単独
山域:島根県松江市

松江の八雲、天狗山から大出日山おおしびさん

 

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麓の駐車場3週間前に大出日山おおしびさんへ登りました。
頂上から稜線伝いに天狗山を見て、いずれは天狗山と
大出日山おおしびさんを結んで歩きたいもんだ、と願ったものです。
ともかくも、天狗山へ行こう。天狗山に登って、行くか止めるか、その場で決めることにしよう。
国道54号線で、雲南市の三刀屋まで行く。県道を進んで同じ雲南市の大東に進む。
大出日山おおしびさんへの分岐を横目にどんどん進んで行くんですよ。
雲南市の境界を過ぎて松江市に入る。県道なのに、急カーブの連続で、峠から一挙に降りて行く。
今は松江市だが、合併以前は八雲村、前史があって、昭和26年に近隣を合わせて八雲村と名乗ったんですね。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
これは、スサノオノミコトが妻を得て、新居を建てたときに読んだ歌、その八雲を村の名前に当てたのですね。
最後の駐車場
大出日山おおしびさん篇で、に、出雲の衆にはじれったい、スサノオは出雲の征服者ではないのかい、と難癖をつけましたが、誤解でした。お詫びして、撤回します。
もともと、スサノオは高天原の宮殿で乱暴狼藉をしたので追放されたのでした。
スサノオは出雲の船通山に下りて、ヤマタノオロチを退治した。ヤマタノオロチから天叢雲剣を得てアマテラスに献上した。
ヤマタノオロチの生け贄になっていたクシナダ姫を妻として、八重垣の家を作り、子孫にオオクニヌシがいる。
その大国主命が出雲の始祖なんですよ。出雲大社の祭神です。
なんだ、英雄流離譚じゃないか。スサノオの名前で、出雲を開拓していくパイオニアを代表したのだな。
実はね、スサノオとヤマトタケルを、わたしは混同していました。
天叢雲剣と草薙の剣を混同して、スサノオとヤマトタケルが同一人物になっていました。
林道から登山道へヤマトタケルなら征服ですが、スサノオは開拓です。完全な思い違いでした。
お話し、もとに帰ろうね。で、山に入る道が判り難いから熊野神社まで進んで行こう。そこで、引き返す。
温泉スタンドがあって、温泉の湯を売っている、その前に舗装路があって、そこから入って行くのだよ。
温泉スタンドから舗装路を眺めると、天宮山参道入口と看板がある。逆方向から来ると看板が見えないのだよ。
道を進むと、森が道を分けているが、右の登りの道へ進んで行く。
狭い道で、対向車が来たらどうしようと進むのをためらうような道だよ。
集落の手前に駐車スペースがある。白線を引いて4台ほどのスペースがあるが、他にもまだまだ余裕がある。
一度は集落の中まで車を入れたんですよ。集落の中には停めるわけにいかないと駐車スペースまで引き返したんだよ。
集落の中ほどを過ぎて、電線が奥に行っているから車はまだ入れる、しかし、ためらってしまう、大丈夫なんだろうか。
意宇の源歩くことにしました。最後の民家を過ぎると、舗装路は尽きて地道に変わる。
ばたばたと倒木があったが、倒木は始末してくれている。ここにも駐車場があったんだね。ここまで進むことが出来たんだ。
まぁ、ええさ。無理にここまで車を引っ張って来なくてもええ。歩けるものなら歩いてもええさ。
ここから先は車はとても入れない。倒木が累々とあるが、枝打ちしてあるから、またいで行くのだ。
谷を渡る橋があって、ここからが熊野林道、銘盤で宣言してあって、今までの地道が舗装路に変わる。
倒木がどこにでも転がっているが、今年の雪が特別に重かったのだろうか、この程度の倒木があるのは毎年のことなんだろうか。
大きく谷をえぐって反転して道は登って行く。再び大きなカーブに差し掛かると、ここが分岐のポイントだった。
ここからが天狗山の登山道で、ここの分岐には熊野大社の説明看板が立ててある
登山道の始まりは谷を渡る丸太橋、板橋で、谷筋を離れて尾根道を歩いて行く。
熊野神社の元宮杉林の中に意宇の源と看板があって、トユで水源の水を流している。
意宇川は中海に流れ出す川で、下流には出雲国府跡や出雲国分寺跡があって、出雲の国はここから発祥した、それを伝えたいための看板なんだよ。
この先に、登山道右と看板がある。なるほどね、左が谷筋で、雪に道が埋もれていた場合など左に行きたくなるのを、右に誘導するためなんだね。
国有林野貸付標識がある。ふんふんと眺めていくうち、使用者に熊野神社宮司千家達彦、あれ、出雲大社の教団の管長の名前じゃないか。
千家は皇室と並ぶ古い家系の名前だよ。これを見ると、熊野神社と出雲大社は一元的に統合されているのだな。
もっとも、宮司に出雲大社の関係者を宮司にいただいてもそれは象徴であって、実際は権宮司が取り仕切って、熊野神社の伝来の家系が営むのだろうね。
天狗山頂上山腹を横切って、登る尾根をずらして行く。
登山道左、この標識のあるところに、不思議な構築物、と案内看板がある。
石垣だね、家の基礎ではなさそうだ。用途が不明だから不思議な構築物としか言えないのだろうな。
上方落語に「はてなの茶碗」というのがある。ちょっとしたはてなから話しが広がっていくのだよ。
同じはてななのだが、不思議な構築物で話しを打ち切ってしまった。虚構でもええから、ありそうな、なさそうな、お話しを語ってほしかったな。
でもまぁ、はてなを見つけた着眼点はなかななかのものです。
上古のものとは限らない、中世、近代のものかもしれない。用途不明ちゅうことは、いつの時代にせよ、はてなはてなだものね。
ここが斎場、斜面を仰ぐと上に磐座いわくらがある
斎場と言うと、火葬場を思うが、そうではないのだよ。御饌みけを捧げ、祭礼を行う場所、斎宮、斎王と同じ言葉の用例と考えてちょうだい。
最低鞍部この
磐座いわくらが熊野神社の元宮なんだね。ここはその礼拝所なのだ。
登れば巨岩の上に登れるそうなのだが、それはやってはいけないだろう。このまま進んで行こう。
笹の道から頂上に出た。ここが天狗山なのだ。
北から東、西へかけて展望は開けている。南は木立が邪魔しているが、今は葉が落ちた季節なので向こうが透けて見えている。
本来ならどこまでも見えているはず、あいにく、黄砂が邪魔をしてフィルターをかけたようでぼんやりしている。
大出日山おおしびさんは案外近いじゃないか。大出日山おおしびさんから天狗山を見たとき、これは遠い、と思ったもんだが、これなら行ける。行ってみよう。
一挙にどぅんと落ちて、ここが最低鞍部、このあたりは右も左も両側が切れ落ちていて、細い吊り尾根が先の峰に続いている。
最初の峰を越えて、次の峰を越え、天狗山から見えた
大出日山おおしびさんは距離感からしてこのへんなんだがな。
大出日山頂上行く手に大きな峰が見えて、あそこがそうなんだろう。今度は期待を裏切らんでくれよ。
登って、峰の頂上を見透かすと見覚えがある。そう、やっと
大出日山おおしびさんの頂上まで到着しました。
前に登ったときは雨上がりの水蒸気であまり見えなかったが、今日の黄砂はもっと酷い。
振り返って天狗山を見定めると、あれがそうなんだろうなぁ。歩いたコースのコブが見えて、コブの頭の上に見えているのだ。
帰ろう。天狗山まで歩いて帰ろう。
こぶを何度も越えて、最後の登りをがんばらねばならない。最低鞍部から一挙に登って天狗山まで戻ってきたぞ。
振り返ると、黄砂で
大出日山おおしびさんはよく見えないのだ。手前の峰を大出日山おおしびさんと思い込んで歩き出したのだ。
明らかに遠いと見えれば踏み出さないだろうし、錯覚したからこそ、怪我の功名、
大出日山おおしびさんまで往復できたのだ。
大出日山から天狗山をあとは麓へ降りるだけ、道は判っているからそんなに時間はかからない。
駐車場まで戻って、熊野神社に寄ってみよう
出雲一宮なのだそうな。筆頭なんだから出雲大社より格上なんだよ。
和歌山県の熊野大社との関係はどういうことなんだろうな。世間に知られているのは紀州のほうなんだがね。
別々の系統だという説もあるし、出雲から紀州へ伝来したのだ、という説もあるし、ま、ええか、このまま、曖昧なままでもええか。
比婆山に熊野神社がある、わたしのところの産土の神社も熊野神社なんですよ。
昨日までは、紀州の熊野から布教を広げてきたのだと思っていました。
そうではなかった、出雲の熊野大社が近隣に布教を広げたのだ、それなら納得だ、ありうることだ。
出雲布教圏と紀州布教圏、どこを境界に住み分けているのかしらね。
参考 2009年2月22日 難読の山、出雲の大出日山おおしびさん

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。
でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます


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