2008年5月6日
しぇるぱ単独
山域:島根県大田市

石見銀山、防衛拠点の矢滝城山やたきじょうざん

 

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西田集落の西から矢滝城山を
さっきまで清水大師寺に行っておりました。中国地蔵の札所で、30番目の寺なんです。
何故かどうしてか、別々の2箇所の道が道路工事で、市道の8号線福光西田線からしか入る道がないのですよ。
参拝後は、当然、福光西田線に戻らなきゃならない。これが実に都合がええ。予定では西田に向かうつもりでした。文句なくその道を進みます。
西田の集落は谷底の集落で、谷の流れに従ってなんぼでも道があるんですよ。
とりあえず、西田の谷の川下まで行って、谷全体を眺めてみよう。
地図と照合してみるに、矢滝城山を直接目指して進むのが正解だろう。集落のど真ん中を抜けて行く、これしかないだろう。
山裾の道を進むのに、狭いなぁ、対向車が来なけりゃええのに。来たよ、そっちのすぐ後ろにスペースがあるよ、あなた、下がってちょうだい。
西田集落の中心から矢滝城山へどうやら無事にすり抜けた。もう対向車など来ないでちょうだいよ。
谷の出口に道標がある。ポイント名が五老橋。谷に架かっている橋は五老橋というのだそうな。
ここが中国自然歩道の分岐で、谷の細道を進めば
降路坂ごうろざか、橋を渡れば矢滝城山、こんな道標が立ててある。
ごうろちゅうのは中部山岳の地域用語、岩石だらけの斜面、これと同類なのかと連想してしまうよね。
ごうろには進まず、狭い車道をどんどん進む。トンネルがあって、突き抜ければ駐車場、そこが矢滝城山の登山口だった。
ここの看板でわかるのは、石見銀山から運び出す銀山街道には三つのコースがあるということ。陸路・尾道コース、海路・袖ヶ浦コース、海路・温泉津寺泊コース。
温泉津・寺泊コースを警護支配するために、街道の南に矢滝城、街道の北に矢筈城、挟み撃ちで治安防衛の役目を果たした。そんな看板の内容です。
五老橋、銀山街道との分岐平時には治安警護するのが役目。合戦になると、真っ先に攻撃されるわけです。応戦する、勝てばよし、負けて、この城を占領されると銀山の支配も覆ります。
尼子、大内、毛利、豊臣、徳川、何度も取った・取られた・取り返した、中でも、尼子・毛利の間では繰り返し繰り返しの消耗戦が続いたのだろうね。
トンネルの尾根の裾から登って行く。いきなり急な坂道になる
杉林の中の道には、階段のステップが取り付けてあるが、これは環境省仕様ではないよ。
薄い板を差し込んで角材で留めてあるのだが、これは素人の作業だね。こんな簡単な補修が微笑ましくて、これはこれでなかなかええもんだよ。
階段の目的は土留めなんだよ。土が流れないようにすることなのだ。踏み台ではないのだから、心して歩くようにね。
そんなに時間もかからず稜線に到着した。今までの尾根の道と違ってゆるゆると歩ける傾斜の道なんですよ。
トンネルを越えたところに駐車場谷向こうに山頂が見える。梢には新緑が生えて、なかなか写真が撮れるほどの隙間がないよ。
登りの傾斜がいったん緩む、ちょっとたわんでまた登り直す、ちょっとたわんでまた登り直す、二回繰り返したぞ。
さらにもう一回繰り返すのかと思ったが、たわむほどのもんじゃないね、そのまま登りの道に変わった。
傾斜を写真に撮ると、思ったように表現されないのでがっかりすることが多いでしょう。
視線を坂道に誘導するのではなく、稜線・尾根の傾斜に誘導させると効果的です。ねぇ、ほら、登りがきついのが表現されてるでしょ。
さすがにね、そっくりかえるほどの傾斜のきつい山だもの、山のプロなら直登する道を付けるわけがない。
山腹を横切って右へ流れ、反転して左へ向かい、さらに右へ反転して、折り返しながら登って行きます。
稜線を行くその間、空が見えてくるので、なんとなく、頂上は近いな、次の折り返しで新展開があるかな、と期待が持てるよね。
繁みの中が平削されているように見える、これは昔の土木工事の跡だよ。このあたりは城の遺構の一部なのだろう。
繁みがぽっかりと開いていて、頂上の空間に飛び出した。
目の前にはコンクリートの廃墟がある。なんじゃ、これは。壁一面をツタが覆っているが、つたの中にNHKのプレートが読み取れる。
地面にはNHKTV送信所の銘板が落ちて転がっている。
廃墟のなかで、屋上へ梯子が延びている。これは誰かがアルミ梯子を取り付けたものだぜ。
登って穴から顔を出して、出ようとするが、カメラが引っかかって邪魔をする。穴が狭すぎるのだよ。屋上に出ても、降りてくるのに難儀するかもしれない。
谷越しに矢滝城山の頂上が止めたほうがええかな。数人いれば登ってみるのだが、たったひとりだ、君子危うきに近寄らず、指をくわえて見送るとしよう。
頂上は平らな草原で、廃墟の周辺をぐるっと回れば360度全部見える。
東には三瓶山が見える。南や東から眺めることが多かったが、西から眺める横顔もええもんだね。
南には大江高山、象が背中を丸めているようで、丸い背中から登ったのだったよな、象の頭の位置に大江高山の頂上がある。
西には西田の集落、視線を延ばすと海岸で、温泉津の入り江、湾が見えて、そこから銀を積み出したのだろうなぁ。
北には高山、馬路高山ともいう。最初、そこに登るつもりだったが、頂上に通信塔のある山、当然建設道路があるので車道歩きだろうなぁ、それで候補から外した山なのだよ。
しっかりと巨大アンテナが頂上に見えるよ。候補から外して正解だったかな。
頂上直下の急傾斜山々を眺めてると、石見銀山、大森銀山の中心地が見えてきた。三瓶山の手前が仙ノ山だろう。谷を隔てて要害山だろう
この要害山は山吹城跡で、山頂から展望が効くように大森谷の方向へ頂上の樹木を伐採してある。
両方の山に挟まれた狭い谷が石見銀山、大森銀山のハイライトなのだ。
確かにこの城は絶好の位置にあるね。
国境や海岸での敵の軍事行動はよく見えるし、輸送路で山賊が出ても、山を降りればすぐに駆けつけられる。
降路坂ごうろざかへの道は今は草に覆われているが、当時はそっちがメインの道だったことだろう。
単独のハイカーがひょいと顔をのぞかせた。
矢滝城山の頂上には廃墟が大江高山を登って、連続してここへも登ってきたのだそうな。
さっきのトンネルからの道を東に向かえば祖式の集落、そこから大江高山、さらに矢滝城山、時間を効果的に使って登れるんだそうな。
眉毛が伸びているひとだよねぇ、村山富市元総理を思い出すね、頭っから自分が年上、わたしを年下の扱いで言葉を使う。見たとこ、同じような年齢じゃん。ちょっと違和感があるよ。
眉毛が長い功績に敬意を払おう、へりくだって丁寧な口をきいたよ。
眉毛が長いのは、わたしは嫌いだから切っているのだが、伸びるがままにするとこうなるのかなぁ、と顔をみつめていたもんだよ。
さぁて、降りるかな。
矢滝城山の頂上は草原頂上からは
降路坂ごうろざかの峰は隠れて見えなかった。登りでの二つ目の緩やかなたわみのあたり、木の間に透けて見えている。
ふぅむ、あの峰の山裾に銀山街道があるのかい。あそこが中国自然歩道なのかい。
あっという間に降りてきた。
このコース、距離は短いが、石見銀山の全体像を見るには絶好の位置にあるね。いやぁ、満足、満足。

参考
2004年10月1日 大江高山、石見銀山周辺の山

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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