大山山麓、大山道を行く

11年4月10日

米子インターの近くから大山集落まで行って、別のコースで戻る
でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます
いま、出雲神仏霊場を巡っているんですがね、出雲から飛び出して、大山の麓を巡ることになりました。
大山は伯耆の国に属するのだが、ええのだろうか。
米子インターの近くに大神山神社の本社があります。大山に奥宮があるのだが、冬には雪に閉ざされるので、参拝者のために麓の里に出てきたわけです。
自動車を神社裏の駐車場に置いて、あのね、これは神社の駐車場なのか、公園の空き地なのか、判断が付きにくい。
ここから自転車で出発します。
県道24号線経由で行くわけだが、このコースは昔ながらの大山道で、大神山神社の里宮が尾高に置いてあることでもあり、尾高道と呼ばれております。
進むにつれ、左手に孝霊山が見えてくる。常に孝霊山を眺めながら進んで行くわけです。
孝霊山のアンテナのある低い峰には登ったことがあります。雨が降り出して遠雷が鳴るので、高い峰に登るのは止めにしたことがあります。
正面に大山が見えているのだが、薄霞みに覆われてぼんやりとしか見えない。
米子市と大山町との境界を越える、ちょうど新大山橋が精進川に架かっている。
標高500メートルの標識があるあたりから、道の脇には雪が残っている。
何の変化もない真っ直ぐな道なんですよ。ひたすらペダルを踏みながら登って行く。道の端から端へと繰り返し蛇行しながら踏み込んで行く。
時々、駐車している車がある。何をしているんだろう。道の脇でフキノトウを摘んでいるのだ。レジ袋を膨らませて、結構な数のフキノトウを収穫している。
仁王堂跡と看板があって、仁王茶屋というバス停がある。ここまで接近すると、大山は霞みも消えて姿がはっきりしてくる。
道の分岐に道標がある。従是右みくりやい奈ば左よなごい津も道。みくりやい奈ば=<御来屋因幡>よなごい津も=<米子出雲>従是は従是これよりと読む。
北の海岸に御来屋というJRの駅がある、大山道のうち坊領道を指しているのだ。中間に坊領という集落がある。坊主の領土という意味だろうか。
わたしは米子出雲への道から登って来たのだ、大山道のうち尾高道を登って来たのだ。
大山道には、他に、溝口インター近くから登る溝口道、岡山県から来る横手道、東の倉吉のほうから来る川床道などがあります。
ここま登ると終点は近い。広い駐車場があって、門前町が見えてきて、周回道路と参詣道の交差点まで来た。
その昔は参詣客の門前町だったのですよ。今は、スキー客、登山者を対象にホテル旅館に変化している。
大神山神社の駐車場で自転車を置いておこう。駐車場のポールに絡ませて鍵を掛けておこう。
最初に大山寺に参拝、次に大神山神社奥宮に参拝、そのへんは出雲神仏霊場の各篇を読んでみてね。
大神山神社の参道は背丈を越すほどに雪が残っている。
さて、山を降りて行こうかね。
鉢巻に巻く周回道路を進んで、伯耆町への境界を越える。
周回道路から離れて、下への道を下りて行く。大山道で尾高道と溝口道との中間にある道を下りて行くのだ。
ミルク牧場の横を通り、ゴルフ場の傍を通り抜けて、S字形に曲がった橋を渡って行く。
小林大橋と言うのだが、ここまで下ると、大山はだいぶ小さくなって見える。
伯耆町と米子市の境界を越え、高速道路の米子道のガード下を潜って、佐陀川を渡って再び米子道を潜って進んで行く。
佐陀川の名前にこだわるのは、大山の内懐、北壁、元谷から発して、西に流れる最大の川だからなんですよ。大山登山口を流れる川だからなんですよ。
他の河川に合流することなく、独立を保って、 佐陀川の名前を維持したまま、日本海に放流します。
見覚えのある風景が現われたら出発地も近いのです。
もとの大神山神社の裏の公園まで戻れたら、めでたし、めでたし、その心は、判断に迷う分岐も幾つかあったからです。
さぁ、帰ろう。来る時は松江経由の山陰道で来たが、帰りは米子道中国自動車道経由で帰ることにしよう。
参考
出雲神仏霊場 大神山神社 大山寺
大神山神社本社、奥宮が雪に埋もれるので里宮を祭る 孝霊山、ほぼ並行していてずっと視野の内にある
米子市と大山町の境界、精進川を渡る新大山橋 仁王茶屋バス停から大山を
大山道の道標、坊領道と尾高道の分岐 大山門前町に到着
大山寺本堂 大神山神社、奥宮
大山町と伯耆町の境界 周回道路から離れてミルク牧場に沿って下りて行く
別所川を渡る小林大橋 伯耆町と米子市の境界
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